岸波通信その118「息子への手紙」

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岸波通信その118
「息子への手紙」

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  A letter for my son (2017.1.17改稿)当初配信:2004.12.19

「僕はいろいろな“種”を君にあげたいと、遅まきながら今、考えている。
 でも“花”はあげない。“花”は君の手で咲かせるんだ。」
  ・・・本文より

佑樹へ

 もうすぐクリスマスだね。

 今年のクリスマスは、ケイ子が入院しいるので君と僕ふたりだけの淋しいクリスマスになりそうだ。

 君は大学に行かずに専門学校へ行きたいと言う。それもまた君の選んだ人生、僕は何も言うまい。

 僕は、拓郎や沙織、そしてお前と暮らすようになる都度、心に誓っていることがある。

 それは、二つのことだけは、子供たちに自由に選択をさせ、それがどんな選択であろうとも応援していこうということだ。

 一つは職業選択、そしてもう一つが配偶者選択だ。

 それは、僕自身がそれらを選択する時に、親から大反対をされて辛い想いをした経験があるからだ。

 だから、お前たちには、そういう想いをさせたくないというせめてもの親心だ。

 学校を選ぶことも、職業選択への一里塚であるならば、それに反対する理由はない。

 願わくば、自分の選択した道、自分の人生の目標を見失わないように一生懸命に生きて欲しい。

 

 僕が君に手紙を書くのは初めてだが、それは、僕の友人の溝口画伯の個展を一緒に見に行こうと思ったからだ。

 というのも、今回、彼のサイトのお手伝いをして企画展の案内を書いているうちに、いろいろと思うところがあったのだ。

 まずは、次の二つの絵を見て欲しい。

牧牛

(作:溝口泰信)



エラ・アンド・ルイ

(作:溝口泰信)

 上が今回の企画展での展示作品、下が前回の「ポートレイト&ジャズ展」で展示されたジャズの巨匠エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングを描いた作品だ。

 一見して分かるユニークな特徴に気付くだろう。両方の作品とも、太く力強い線で輪郭が縁取られている。

 これを見て君は何を感じるだろう?

 僕が君の歳でこの絵を見たら、「なんだ、こんな絵は子供だって描けるじゃないか。」と不遜にも考えただろう。

 だが、彼の実力を最もよく知り、自分自身も年齢を重ねた現在では、全く別の印象を受けるのだ。

 上の「牧牛」で感じるのは、大胆に見えながら、極めて繊細に対象を捉えている確かなデッサン力だ。

 例えば、遠くの方にいる牛をよく見てご覧。

 

 手前の牛と同じくらいの太い輪郭で描かれているから、個々の牛だけを見れば決して牛の形をしていないはずだ。

 それにも関わらず、全体として見れば紛れも無い牛の姿に見えるだろう。

 極端にデフォルメしても、決して本質を失わない・・・これが彼の力だ。

 そして、下の「エラ・アンド・ルイ」だが、これはレコードのジャケットを元に描かれた絵だ。もちろん、二人がこのとおりの姿をしているはずも無いが、こちらもデフォルメの中にちゃんと生身のエラとルイが息づいている。

 

 さらには、対象を見る眼の優しさだ。

 僕は、芸術と言うものはすべからく“感動”が大切だと考えている。演奏もそうだし、文章もそう。

 どんなに技巧的に優れたものであっても、感動を与えない芸術は、もはや芸術と呼ぶに値しない。

 この二つの絵は、人間や自然に対する暖かいまなざしに溢れている。

 たった一枚の絵に過ぎないのに、広々とした世界や穏やかな時の流れまで感じさせてくれる。

 君はどう思うだろう?

 

 次に、この二つの絵を見て欲しい。

鶉 写生

(作:溝口泰信)



ポートレイト

(作:溝口泰信)

 上の「鶉 写生」は1979年、下の「ポートレイト」は1985年の作品だ。

 どうだい、見事なデッサンじゃないか? 実に繊細に写実的に描かれている。

 考えて欲しいことは、この確かな画力があって初めて、その後の「牧牛」「エラ・アンド・ルイ」があるということだ。

 人間は基本的な力に下支えされてこそ、独創や個性を発揮することができるんだ。

 基本をないがしろにして結果だけを求めたり、狭い世界だけに閉じこもってはいけない。

 君が目指すゲーム・デザイナーだって、そればかり追っていては内容の深さは生まれない。

 若い時には、いろいろな分野の知識を蓄え、様々な芸術に感動することも大事なんだ。

 

 次に、この絵だ。

すべては夢よ

(作:溝口泰信)

 恥を忍んで告白するが、僕はずいぶん前にこの絵を見たとき、“ただの奇をてらった絵だな”と軽く考えていた。

 そう・・・タイトルさえ頭に入らないほどに。

 画家が表現に用いるのは“絵”だけではないのだ。

 タイトルと絵、更に言えば、照明の当て方、BGM、ギャラリーのしつらえに至るまで周到に気を配りながらメッセージを発信しているんだよ。

 僕はこの「すべては夢よ」を改めて見たときに、人生の様々なシーンが去来した。

 君たちが誕生した時の喜び、大切な人々との永遠の別離・・・思わず熱い気持ちがこみ上げて来るのを抑えられなかった。

 まさに“万感の絵”ではないか。

 出来ることならば、作者自身についても理解すれば、一層作品の深みが見えてくるだろう。

 一つ例を挙げれば、小林一茶「われときて遊べや親のないすずめ」という俳句がある。

 この俳句の字面だけだと、感じることができるのは限定的なことかもしれない。

 だが、小林一茶は三歳の時に母親を亡くし、父の再婚した継母から虐待を受けて育ったのだ。

 彼を最後までかばった祖母が14歳の時に亡くなると、一茶は“口減らし”のために江戸に荒奉公に出され、食べるものも十分に与えられない不遇の少年時代を送った。

 さらに、結婚してからも子供運が無く、妻キクとの間にもうけた三男一女がことごとく夭逝してしまう。

 そうした一茶の人となりを知っていれば、「われときて遊べや親のないすずめ」というたった十七文字から、彼の本当の心情といったものも伝わってくるはずだ。

 目の前に見えるものだけでなく、その背景を知ることで本当の理解に繋がっていくのだと思う。

 

 そして、この絵だ。

・・・そしてわたしは
ほしたちのささやきをきいた

(作:溝口泰信)

 この絵もまた、タイトルと一緒に味わわなければならない。

 君は、星の美しさに涙したことがあるだろうか?

 街の光の中では、満天の星の美しさは分からないよ。

 普段の生活の中では何気なく見過ごしてしまう空の星だけれど、夜中にじっと宙(そら)と向き合うと、いろんなものが見えてくる。

 最初は、星座の煌きそのものに酔いしれる。

 やがて、この惑星(ほし)に生命が生まれたという奇跡、そして人類の果てしの無い孤独といったことに想い至ってくるはずだ。

 宇宙創成130億年・・・生まれつつある星、死につつある星・・・人間ばかりでない、この宇宙もまた苦悩しながら生きているということを感じることだろう。

 僕は、夜空を見上げていて最初にその考えが浮かんだ時、何故か涙が浮かんできたものだ。

 このペンギンもまた、“生命の孤独”に気が付いたのかもしれない。

 奇跡のような生命(いのち)、だが永遠ではない生命(いのち)・・・きっと、そのはかなさゆえに生命は尊いのだろう。

 

 僕が君に教えてあげるのは、今回はここまでだ。

 君にいろいろな経験を与えることを怠ってきた僕は、よい父親でなかったかもしれない。

 僕はいろいろな“種”を君にあげたいと、遅まきながら今、考えている。

 でも“花”はあげない。

 “花”は君の手で咲かせるんだ。

        君の愚かな父 靖彦より (2004.12.19) 

 

/// end of the “その118 「息子への手紙」” ///

 

《追伸》

 息子佑樹に宛てた手紙を通信として掲載させていただきました。

 読者の皆様にも是非、“ギャラリー宙(そら)”の今回の企画展に足をお運びいただきたいと考えています。

 

 

 

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

新宿1981(部分)

(作:溝口泰信)

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To be continued⇒“119”coming soon!

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