Our Way
of Ra-a-men 外伝20
岸波 皆さん、今日もおいしいラーメン喰ってますか~!
退かぬ!! 媚びぬ!! 省みぬ!!
“愛ゆえにラーメンを捨てられない男”が、またやって参りました。
今回は、前回“積み残し”となりましたマルイチ神田軒の話です。
会津タクシーの運転手さんから「だまされたと思って是非一度」のオススメをいただきました福島市野田町の店舗、残念ながら閉店でした。
でも、本店である福島市宮下町の「マルイチ神田軒」はもちろん健在。
となれば・・・
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マルイチ神田軒
(福島市宮下町) |
この際、二十数年も行っていない宮下町神田軒に出向き、超絶うどんの味を確かめなくてはなりますまい。
えーい、弔い合戦だっ!!
←(弔い合戦?)daddy
ということで、ラーメン道・外伝、もういっちょー!
1 伝説の神田軒
マルイチ神田軒についてネットで調べていましたら、意外な事実が。
野田町と宮下町の二店舗はともに「マルイチ神田軒」の屋号ですから、関連店舗であることは予想が付いておりましたが、なんと五月町の“伝説の神田軒”とも関係があったのです。
この“伝説の神田軒”とは、昔ながらのシナそばテイストでファンから根強い支持のあった店ですが、高齢の店主が亡くなって閉店。
この神田軒は、ジャカルタに行っている「海外駐在員便り」のJUNもお気に入りでした。
←(以前のラーメン道で触れてたな・・)daddy
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伝説の神田軒・休業の貼り紙
(福島市五月町) |
この店の人気のもとは、その値段。
店主が「お客さんのために決して値上げはしない」と頑張り、ラーメン180円(!)で提供していたのです。
あの幸楽苑でさえラーメンが290円ですから、もはや損得抜き!
それでもって、ワンタンメン、味噌らーめん、タン麺が250円。
チャーシュー麺は・・・・・・・・・・何となんと280円!!
涙なくしては語れない出血大サービス価格で営業してきたのであります。(うっうっ・・)
僕はケイコと一緒に、まだ小さかった拓郎やサオリを連れて行っていました。
素朴な味ではありましたが、大変美味しゅうございました。
話を戻しまして、宮下町の神田軒と伝説の神田軒はどういう関係だったのか?
実は、そのことを調べておりましたら、更に意外なもう一つの真実が・・・。
2 福島ラーメンのルーツ
喜多方ラーメンのルーツは、駅前近くの老舗「上海」であるのは有名な話。
では、福島ラーメンのルーツは?
結論から言いますと、どうやらこの創業85年のマルイチ神田軒・本店が、福島ラーメンのルーツである可能性が高いのです。
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醤油ラーメン
(マルイチ神田軒)
←福島市のラーメンのルーツ |
現在は三代目が店を継いでいるマルイチ神田軒の初代店主は、もともと群馬県高崎の人。
織物工場の工場長だった彼が、大正12年のとある日に一年発起、福島市で営業していた屋台ラーメンの元締めに弟子入りしたのです。
その元締めの屋号が「マルイチ神田軒」でした。
←(なるほど・・)daddy
この修行時代に一緒だった弟・弟子が、誰あろう後の五月町の伝説の神田軒店主でした。
つまり二軒は、兄弟弟子の関係だったのです。
宮下町神田軒の初代は、修行の甲斐あって、翌年、市内陣場町に店舗を開店。
以後何度か移転し、昭和の初めに現在の宮下町に落ち着きました。
この頃はまだ、“マルイチ”の屋号は冠していませんでした。
しかし、福島市の新条例によって屋台営業が禁止され、師匠であった屋台の元締めは廃業。
その際、「マルイチ神田軒」の屋号を譲られたのでした。
←(それがルーツか。)daddy
つまり、福島市で最初にラーメン屋台を引いた「元締め」の“味を引き継いだのは、宮下町「マルイチ神田軒」なのです。
これを、ルーツと言わずして、何をルーツと言うのでしょう! (うん、今いいこと言った。)
さらに、これを引き継いだ二代目は、福島市で初めての「冷やしラーメン」や「アンカケやきそば」を独自に考案。
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冷やしラーメン
(マルイチ神田軒)
←独自の味わい |
この「冷やしラーメン」、見かけこそ世の中によくある姿をしていますが、味は全くの“マルイチ・オリジナル”でありますゆえ、食するに当っては、ユメユメ侮るなかれ。
さて、それでは私めが、会津で噂になっている「手打ちうどん」を試さねばなりますまい。
3 マルイチ神田軒のうどん!
・・と、たいへん前置きが長くなりましたが、いよいよ「マルイチ神田軒」本店の実食であります。
野田町店が閉店していたゆえ、改めて本店に出直した僕とケイコ・・・実は大変な問題があったのです。
ねぇ、ホントにだいじょぶなの?
うーん・・・確かに二十数年前に食べた時は、口に合わなかったけど。
でもホラ、代替わりしたみたいだし、味も変わってると思うよ。
・・・そうなのです。
実は、二十数年前にこちらにも子供たちを連れて食べに来たものの、全く口に合わない。
何を食べたか定かではありませんが、僕も子供たちも一口食べただけでギブアップした記憶が。
ケイコにいたっては・・・
いったいなにをすれば、こんなにマズく作れんのよ!
~と、ヤキソバを酷評したのが、いまだに我が家の語り草になっているのです。
でもさ、今回は三代目の蕎麦やうどんが狙いだし、全部“手打ち”らしいよ。
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メニューを物色・・
(マルイチ神田軒) |
ということで、熟慮の上、ケイコが「ザル蕎麦とミニ・うな丼のセット」、僕が当初の予定通り「手打ちうどん」の大盛りに決定。
しかし、メニューをつくづく見るに付け、ここは定食屋ではなく本格・中華料理屋だと唸らせるラインナップがずらり。
しかも、それでありながら、本格・手打ち蕎麦(&うどん)を両立させている。
こんな店、他では聞いたことがありません。
←(本格手打ち蕎麦と本格中華・・・確かに。)daddy
初代は、屋台ラーメンから出発したのですから、もちろん日本の“古き良きラーメン”系。
料理の幅を広げようと、いろいろなチャレンジをした二代目。
さらに、それを継いだ現在の三代目は、そこを踏襲しつつ中華飯店で修行した経験と自分独自の「本格手打ち蕎麦(&うどん)」を加えた、というところでしょうか。
などと、考えているうちに出てまいりましたケイコのセット・メニュー、まずは「手打ち蕎麦」・・・
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手打ちザル蕎麦
(マルイチ神田軒) |
フツー・・・だよね?
ってゆーか、蕎麦がキラキラしてない?
どれどれ・・・。
・・・どうぉ?
お・おいしい~っ!
早速、僕もご相伴にあずかりましたが、確かに美味しい。・・しかも、タレの味が絶妙!
こっ・・・これはぁ~っ!!
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ミニ・うな丼
(マルイチ神田軒) |
続きまして、ミニ・うな丼。
こちらは、食べなくても分かります。
この鼻腔をくすぐる香り、そこはかと立ち昇る湯気、うなぎの色艶・・・。
たっ・・食べた~いっ!
これ、ケイコが注文したの。
ええー!!(お金払うの、ボクなんですけど・・)
と、そんなことにメゲてはいられません。
だって僕には「手打ちうどん」がありますもの。
どーせいいんだ、僕なんか。
←(抑えて、おさえて。)daddy
で、出てまいりました手打ちうどんがこれ。
ホレ、ど~んと!
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手打ちうどん
(マルイチ神田軒) |
アラ! え! ナニこれ! 旨いじゃないの!
あら、美味しそ・・・ちょっといただき。
うん、どーぞ。 じゃ、僕もうな丼を。
もう食べちゃったよ。
ええー!!(どうせいいんだ、僕なんか・・)
麺は、僕の手打ちうどんと同様、コシコシ讃岐系と言うよりは、モチモチ宮崎系。
汁は濃口醤油なので真っ黒に見えますが、それほどしょっぱくはありません。
味、ボリュームとも大満足のうどんでした。
ということで、大変美味しかった「マルイチ神田軒」。
二十数年前の悪夢は、完全に払拭されたのであります。
会津のタクシーの運転手さんには、しっかり御礼を言わねばなりますまい。
/// end of the“外伝20「マルイチ神田軒」” ///
《追伸》
この「マルイチ神田軒」の三代目は、昭和31年生まれ。
第四小、第四中を出て、福島商業高校では応援団長だったそうです。
で、おそらく四代目を継ぐであろう後継者は、昭和55年生まれ。
うちの拓郎やサオリとほぼ同年代で、味には大変うるさいのだそうです。
←(期待できそうだな。)daddy
そしてっ!!
とっても可愛い「看板娘」の目撃情報が巷で密かに話題になっておりまする。
時々お店に出ているということで、運がよければアナタも会えるかも・・・でございます。
では、また「新・僕達のラーメン道」で・・・See
you again !
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