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BGM "夢日和" by My WORLD |
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1 伝説の神田軒
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伝説の神田軒・休業の貼り紙 (福島市五月町) |
この店の人気のもとは、その値段。
店主が「お客さんのために決して値上げはしない」と頑張り、ラーメン180円(!)で提供していたのです。
あの幸楽苑でさえラーメンが290円ですから、もはや損得抜き!
それでもって、ワンタンメン、味噌らーめん、タン麺が250円。
チャーシュー麺は・・・・・・・・・・何となんと280円!!
涙なくしては語れない出血大サービス価格で営業してきたのであります。(うっうっ・・)
僕はケイコと一緒に、まだ小さかった
拓郎や
サオリを連れて行っていました。
素朴な味ではありましたが、大変美味しゅうございました。
話を戻しまして、宮下町の神田軒と伝説の神田軒はどういう関係だったのか?
実は、そのことを調べておりましたら、更に意外なもう一つの真実が・・・。
2 福島ラーメンのルーツ
喜多方ラーメンのルーツは、駅前近くの老舗「上海」であるのは有名な話。
では、福島ラーメンのルーツは?
結論から言いますと、どうやらこの創業85年のマルイチ神田軒・本店が、福島ラーメンのルーツである可能性が高いのです。
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醤油ラーメン (マルイチ神田軒) ←福島市のラーメンのルーツ |
現在は三代目が店を継いでいるマルイチ神田軒の初代店主は、もともと群馬県高崎の人。
織物工場の工場長だった彼が、大正12年のとある日に一年発起、福島市で営業していた屋台ラーメンの元締めに弟子入りしたのです。
その元締めの屋号が「マルイチ神田軒」でした。
←(なるほど・・)
daddy
この修行時代に一緒だった弟・弟子が、誰あろう後の五月町の伝説の神田軒店主でした。
つまり二軒は、兄弟弟子の関係だったのです。
宮下町神田軒の初代は、修行の甲斐あって、翌年、市内陣場町に店舗を開店。
以後何度か移転し、昭和の初めに現在の宮下町に落ち着きました。
この頃はまだ、“マルイチ”の屋号は冠していませんでした。
しかし、福島市の新条例によって屋台営業が禁止され、師匠であった屋台の元締めは廃業。
その際、「マルイチ神田軒」の屋号を譲られたのでした。
←(それがルーツか。)
daddy
つまり、福島市で最初にラーメン屋台を引いた「元締め」の“味を引き継いだのは、宮下町「マルイチ神田軒」なのです。
これを、ルーツと言わずして、何をルーツと言うのでしょう! (うん、今いいこと言った。)
さらに、これを引き継いだ二代目は、福島市で初めての「冷やしラーメン」や「アンカケやきそば」を独自に考案。
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冷やしラーメン (マルイチ神田軒) ←独自の味わい |
この「冷やしラーメン」、見かけこそ世の中によくある姿をしていますが、味は全くの“マルイチ・オリジナル”でありますゆえ、食するに当っては、ユメユメ侮るなかれ。
さて、それでは私めが、会津で噂になっている「手打ちうどん」を試さねばなりますまい。
3 マルイチ神田軒のうどん!
・・と、たいへん前置きが長くなりましたが、いよいよ「マルイチ神田軒」本店の実食であります。
野田町店が閉店していたゆえ、改めて本店に出直した
僕と
ケイコ・・・実は大変な問題があったのです。
ねぇ、ホントにだいじょぶなの?
うーん・・・確かに二十数年前に食べた時は、口に合わなかったけど。
でもホラ、代替わりしたみたいだし、味も変わってると思うよ。
・・・そうなのです。
実は、二十数年前にこちらにも子供たちを連れて食べに来たものの、全く口に合わない。
何を食べたか定かではありませんが、僕も子供たちも一口食べただけでギブアップした記憶が。
ケイコにいたっては・・・
いったいなにをすれば、こんなにマズく作れんのよ!
~と、ヤキソバを酷評したのが、いまだに我が家の語り草になっているのです。
でもさ、今回は三代目の蕎麦やうどんが狙いだし、全部“手打ち”らしいよ。
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メニューを物色・・ (マルイチ神田軒) |
ということで、熟慮の上、ケイコが「ザル蕎麦とミニ・うな丼のセット」、僕が当初の予定通り「手打ちうどん」の大盛りに決定。
しかし、メニューをつくづく見るに付け、ここは定食屋ではなく本格・中華料理屋だと唸らせるラインナップがずらり。
しかも、それでありながら、本格・手打ち蕎麦(&うどん)を両立させている。
こんな店、他では聞いたことがありません。
←(本格手打ち蕎麦と本格中華・・・確かに。)
daddy
初代は、屋台ラーメンから出発したのですから、もちろん日本の“古き良きラーメン”系。
料理の幅を広げようと、いろいろなチャレンジをした二代目。
さらに、それを継いだ現在の三代目は、そこを踏襲しつつ中華飯店で修行した経験と自分独自の「本格手打ち蕎麦(&うどん)」を加えた、というところでしょうか。
などと、考えているうちに出てまいりましたケイコのセット・メニュー、まずは「手打ち蕎麦」・・・
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手打ちザル蕎麦 (マルイチ神田軒) |
フツー・・・だよね?
ってゆーか、蕎麦がキラキラしてない?
どれどれ・・・。
・・・どうぉ?
お・おいしい~っ!
早速、僕もご相伴にあずかりましたが、確かに美味しい。・・しかも、タレの味が絶妙!
こっ・・・これはぁ~っ!!
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ミニ・うな丼 (マルイチ神田軒) |
続きまして、ミニ・うな丼。
こちらは、食べなくても分かります。
この鼻腔をくすぐる香り、そこはかと立ち昇る湯気、うなぎの色艶・・・。
たっ・・食べた~いっ!
これ、ケイコが注文したの。
ええー!!(お金払うの、ボクなんですけど・・)
と、そんなことにメゲてはいられません。
だって僕には「手打ちうどん」がありますもの。
どーせいいんだ、僕なんか。
←(抑えて、おさえて。)
daddy
で、出てまいりました手打ちうどんがこれ。
ホレ、ど~んと!
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手打ちうどん (マルイチ神田軒) |
アラ! え! ナニこれ! 旨いじゃないの!
あら、美味しそ・・・ちょっといただき。
うん、どーぞ。 じゃ、僕もうな丼を。
もう食べちゃったよ。
ええー!!(どうせいいんだ、僕なんか・・)
麺は、僕の手打ちうどんと同様、コシコシ讃岐系と言うよりは、モチモチ宮崎系。
汁は濃口醤油なので真っ黒に見えますが、それほどしょっぱくはありません。
味、ボリュームとも大満足のうどんでした。
ということで、大変美味しかった「マルイチ神田軒」。
二十数年前の悪夢は、完全に払拭されたのであります。
会津のタクシーの
運転手さんには、しっかり御礼を言わねばなりますまい。
/// end of the“外伝20「マルイチ神田軒」” ///
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《追伸》
この「マルイチ神田軒」の三代目は、昭和31年生まれ。
第四小、第四中を出て、福島商業高校では応援団長だったそうです。
で、おそらく四代目を継ぐであろう後継者は、昭和55年生まれ。
うちの拓郎やサオリとほぼ同年代で、味には大変うるさいのだそうです。
←(期待できそうだな。)
daddy
そしてっ!!
とっても可愛い「看板娘」の目撃情報が巷で密かに話題になっておりまする。
時々お店に出ているということで、運がよければアナタも会えるかも・・・でございます。
では、また「新・僕達のラーメン道」で・・・See you again !
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