こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
黒澤明×カズオ・イシグロ(ノーベル賞作家)
不朽の名作がイギリスを舞台にいま、よみがえる!
Yahooニュースに時々出てくる「〇月中にAmaプラで配信が終了する、是非見ておくべき映画」という記事の中にこの「生きる LIVING」がありました。
「七人の侍」と並ぶ黒澤明監督の代表作「生きる」(1952年)の舞台を同年代のイギリスに置き換え、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚本を翻案したリメイク作品。
これは是非見ておかなければと考え、配信終了直前に鑑賞しました。
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生きる LIVING
(C)Number 9 Films Living Limited
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監督はオリヴァー・ハーマナス、主演はこの作品でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた英国の名優ビル・ナイ。
で、実際観てみると、この主人公が余りにも自分の身近な人間に似すぎていて、思い出すことが多くありました。

最後を知り、人生が輝く。
映画の冒頭は1953年のロンドン。市役所に就職したピーター(アレックス・シャープ)が初出勤のため電車に乗り込むと、同じ市民課の同僚たちが同じ車両の座席に集う。
同じ座席に集う
緊張気味のピーターに先輩たちは、本当に緊張して対応すべきは次の駅から乗り込んでくる市民課のロドニー・ウィリアムズ課長(ビル・ナイ)だと諭す。
どうやら融通の利かない孤高のお役人タイプらしい。
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生きる LIVING
(C)Number 9 Films Living Limited
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いざ出勤して勤務に就くと婦人グループが、溢れた下水で汚水まみれになっている資材置き場を子供達の「遊び場」にして欲しいという陳情を携えて来る。
彼女らは、市役所の各課をたらい回しにされ、最後に市民課に相談にやって来たと言う。
ウィリアムズ課長から、それは公園課の仕事だから彼女らに同行して仕事を預けてこいと指示されたピーターだったが、公園課は下水道課の仕事だと言い、下水道課に行くと市民課だと言い、結局また、たらい回しにされただけだった。

顛末をウィリアムズ課長に報告すると、課長はいまいまし気に陳情書を受け取り、デスクにうず高く積まれた「未決書類」の山に放り込む。
おそらく、何の対応もされないまま放置されることになるだろう。
以下、作品の概要とあらすじは以下の通り。
◆『生きる LIVING』の概要とあらすじ(映画.comによる)
黒澤明監督の名作映画「生きる」を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本によりイギリスでリメイクしたヒューマンドラマ。
1953年、第2次世界大戦後のロンドン。仕事一筋に生きてきた公務員ウィリアムズは、自分の人生を空虚で無意味なものと感じていた。そんなある日、彼はガンに冒されていることがわかり、医師から余命半年と宣告される。手遅れになる前に充実した人生を手に入れたいと考えたウィリアムズは、仕事を放棄し、海辺のリゾート地で酒を飲んで馬鹿騒ぎするも満たされない。ロンドンへ戻った彼はかつての部下マーガレットと再会し、バイタリティに溢れる彼女と過ごす中で、自分も新しい一歩を踏み出すことを決意する。

「ラブ・アクチュアリー」などの名優ビル・ナイが主演を務め、ドラマ「セックス・エデュケーション」のエイミー・ルー・ウッドがマーガレットを演じる。
2022年製作/103分/G/イギリス
原題または英題:Living
配給:東宝
劇場公開日:2023年3月31日 |
この映画の冒頭の「たらい回し」シーンを見て複雑な気持ちが沸き上がった。
僕の父親は「お役人」というものを蛇蝎の如く嫌っており、おそらく自分で事業を開始した当時、この陳情の婦人グループのような経験をしたのだろう。
ウチの課の仕事じゃない・・
父親に大反対され、勘当までされながら公務員となった僕も、縦割り組織の中の仕事の押し付け合いを何度も目にしたことがあり、おそらくそれは民間組織でも同じだったのだろう。
ただ、それ以上に「父」を意識したのは、主人公である市民課長のウィリアムズが「果てしの無い孤独」の中にあったからだ。
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生きる LIVING
(C)Number 9 Films Living Limited
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ウィリアムズには・・そして「僕の父」には友人が一人も居なかった。父の唯一の親友は数年前に先立っていたのだ。
ウィリアムズは、自分が癌によって余命半年と知った時、その「苦悩」を語る相手が誰も居なかった。
妻に先立たれ、一緒に暮らしている息子夫婦は、父親の貯金を当てにして別の家を新築し別居することしか考えていない。「大事な話がある」という告白さえ聞く耳を持たない。
孤独なウィリアムズ
絶望したウィリアムズは市役所を欠勤し、貯金を半分下ろして最後の人生を謳歌したいと海辺のリゾート地を彷徨する。しかし彼は「遊び方」を知らなかった。
レストランでたまたま出会った劇作家のサザーランド(トム・バーク)に自分の事情を打ち明けると、「思い切り呑みに行くぞ」と誘われ夜の遊興施設を巡ることになる。
共感する劇作家のサザーランド
だが、いくら泥酔しても、ストリップ劇場で羽目を外しても一向に心は晴れない。
何軒目かのダンスホールで歌いたくなったウィリアムズは、ピアノ弾きに伴奏を頼んで思い出の歌を熱唱する・・故郷への郷愁を歌う「ナナカマドの歌」だ。
しかしそれは余りにも「場違い」だった。
日本で言えば『ふるさと』。うさぎ追いしかの山・・のような曲。
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生きる LIVING
(C)Number 9 Films Living Limited
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僕の父も「遊び」を知らない人だった。街に出かける時も社交的だった自分と一緒でなければ出かけられなかったと母が言っていた。
そんな父が癌を発症した後、長年会っていなかった人々を尋ねたいと、僕に車の運転を頼んだ。
ハワイアンバンド(イメージ)
父が十代の頃、一緒にハワイアンバンドを組んでいたという人物のところへ行くと、「何で今頃?」とあからさまに怪訝な顔をされた。
また、事業を始める前に勤務していた福島交通の上司の家を尋ねると、彼は父の顔を全く覚えていなかった。
福島交通のバス
その彼に対し、「ほらオレ、モンちゃん(昔の愛称)、モンちゃんだよ」と何度も訴えたが思い出して貰えなかった。父が憐れで居たたまれなくなった。
「父ちゃん、もう帰ろう。今の人に最後に会ったのは何年前?」と訊くと、しばらく宙を見上げて「50年前かなぁ・・」と言う。絶句した。
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生きる LIVING
(C)Number 9 Films Living Limited
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この「生きる LIVING」は、黒澤明監督の「生きる」をイギリスに置き換えてほぼ忠実にリメイクしている。
人生の最後を賭けて、誰も歯牙にかけなかった「小公園」を実現してささやかな満足を得、雪の降りしきる夜、小さなブランコで思い出の歌を歌いながら絶命する名場面も一緒だ。
「生きる」黒澤明監督(1952年)
その歌は『ナナカマドの歌』、原作の「生きる」で志村喬が歌ったのは「いのち短し恋せよ乙女・・」という『ゴンドラの歌』だった。
人生の最後には、誰しも幼い頃の「郷愁」の中で死んでいくのだろう。
父の最後の日、彼は痛みを和らげるための薬を投与され、眠るように息を引き取った。毎日のように介護施設に通っていた僕は、その「死に目」に間に合わなかった。
父が最後に思い描いた風景はどんなだったろう・・?
「生きる LIVING」は、父の人生に思いを馳せる映画となりました。
/// end of the “cinemaアラカルト522「生きる LIVING」”///

(追伸)
岸波
黒澤版「生きる」と英国版「生きる LIVING」で最も異なるのはスタートのシーンでしょうか。
黒澤版「生きる」では、主人公のウィリアムズが最初「レントゲン写真」で登場し、医者がそれを眺めて難しい顔をすることで、主人公の「癌」が示唆されます。
なので、登場人物たちがその事実を知る前と後で、どのようにリアクションが変わるかということに注目できるように作られています。
また、主人公が残された命を有意義にしなければと、ささやかな「遊び場」の実現に取り組もうとしたシーンの直後、主人公の遺影のシーンに切り替わります。
この間の主人公の奮闘について、黒澤版では通夜に集まった部下たちの回想で明らかになって行きますが、英国版では、冒頭と同じ「通勤電車」の座席での回想に変わっています。
このラストシークエンスから冒頭へループする流れは、「亡くなった課長の遺志を継いで自分たちも頑張って行こう」と誓い合ったにもかかわらず、結局、元の「事なかれ主義」に戻ってしまう市役所職員たちへのアイロニーかもしれません。
そして彼が命を懸けて実現した「小公園」という手柄は、嫌々ながら彼の要請に応じた他の課長らのものになってしまう。
単純なハッピーエンドには終わらせないストーリーの「奥深さ」を感じました。
では、次回の“cinemaアラカルト2”で・・・See you again !
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主演のビル・ナイと脚本のカズオ・イシグロ
(C)Number 9 Films Living Limited
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