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「Glidin'」(TAM Music Factory)
by 岸波(葉羽)【配信2024.12.7】
 

◆この記事は作品のストーリーについて触れています。作品を実際に楽しむ前にストーリーを知りたくない方は閲覧をお控えください。

 こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。

 ゴジラか、科学兵器か、
 驚異と戦慄の一大攻防戦!

 これは、1954年・・僕が生まれた年に公開された第一作『ゴジラ』の当時におけるキャッチコピー。

 今週の当番は、カリスマ彰氏です。

ゴジラ

(C)1954 TOHO CO.,LTD.

 日本が世界に誇る怪獣映画の金字塔『ゴジラ』(1954年)の真実とは如何に?

 その緻密なシナリオに刮目せよ!

 

◆『ゴジラ』(1954年 本多猪四郎監督 1時間37分 モノクロ)

 放射能を吐く大怪獣の暴威は
 日本全土を恐怖のドン底に叩き込んだ!

カリスマ彰 NHKBSで放映された「ゴジラ」(1954年 本多猪四郎監督 1時間37分 モノクロ)を録画して見た。

 実は、この映画が公開された1954年に私が生まれているので、ちょっと気になっていた。 特撮は円谷英二で、音楽は伊福部昭である。

ゴジラ

(C)1954 TOHO CO.,LTD.

 日本映画の金字塔であり、日本人なら必見、「七人の侍」(1954年公開)より価値があるなどという意見もあって、こういう映画にはあまり興味がないが見てみることにした。

 あらすじは以下の通り

◆『ゴジラ』(1954年)のあらすじ

 太平洋の北緯二十四度、東経百四十一度の地点で、次々と船舶が原因不明の沈没をした。新聞記者萩原(堺左千夫)は遭難地点に近い大戸島へヘリコプターで飛んだ。島では奇蹟的に一人だけ生残った政治が、海から出た巨大な怪物に火を吐きかけられて沈んだというが、誰一人信じない。

 只一人の老漁夫は昔からの云い伝えを信じ、近頃の不漁もその怪物が魚類を食い荒すせいだという。海中に食物がなくなれば、怪物は陸へ上って家畜や人間まで食べると伝えられている。萩原は信じなかったが、暴風雨の夜、果して怪物は島を襲って人家を破壊し、政治と母も一瞬に踏み潰された。

 

 国会は大戸島の被害と原因を確かめる調査団を派遣した。古生物学者山根博士(志村喬)を先頭に、その娘(河内桃子)で助手の恵美子、彼女の恋人サルベージ会社の尾形(宝田明)、原子物理学の田畑博士に萩原と政治の弟新吉も加った。そして調査団は伝説の怪物が、悠々と巨大な姿を海中に没するのを見た。

 帰国した山根博士は二百万年前の海棲爬虫類から陸上獣類に進化する過程の生物ゴジラが、海底の洞窟にひそんで現代まで生存していたが、度々の水爆実験に生活環境を破壊されて移動し、而も水爆の放射能を蓄積して火を吐くのだと説明した。フリゲート艦が出動して爆雷を投下したが何の効果もなく、ゴジラは復讐するかの如く海上遥かに浮上り、東京に向って進んだ。直ちに対策本部が設けられた。

  平田昭彦

 山根博士の弟子芹沢(平田昭彦)は、恵美子を恋していたが戦争で傷けられて醜い顔になったのを恥じ、実験室にこもって研究を続けていた。ゴジラは東京に上陸し、品川駅を押し倒し、列車を引きちぎり、鉄橋を壊して海中へ去った。本部では海岸に五万ボルトの鉄条網をはり、都民は疎開を始めた。ゴジラは再び上陸し、鉄条網を寸断し戦車や重砲の攻撃を物ともせず、議事堂やテレビ塔を破壊し、一夜にして東京は惨澹たる街となった。

 

 芹沢の秘密の研究を知る恵美子は、それを尾形に打明けた。水中の酸素を一瞬に破壊して生物を窒息させる恐るべき発明である。現代の人間を信じない芹沢はこれが殺人武器に用いられることを恐れて資料を火に投じ、ただ一個の機械を持って自ら海中に身を没した。船上の人々は目のあたりゴジラの断末魔を見た。そして秘かな恋をすてて死んだ芹沢の為に黙祷を捧げた。

 時代を感じてしまうが、映画冒頭からスタッフ&キャストを延々と流すのはやめてもらいたいものだ。エンドロール方式になったのはいつ頃なのだろうか。

 しかし、意外にも映画はなかなかしっかりした出来栄えだ。宝田明と平田昭彦の2人の主人公が似ているのは、上記のストーリーを勘案したキャスティングなのかもしれない。

  宝田明

 ヒロインの河内桃子(こうちももこ)も懐かしい。彼女は1998年11月5日に大腸癌のために66歳で亡くなっている。

  河内桃子

 志村喬がヒロインの父親役の学者を演じている。アメリカの水爆実験による変異を執拗に唱えているのが印象的で、まだ敗戦を引きずっている感じがする。

ゴジラ

(C)1954 TOHO CO.,LTD.

 経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたのは1956年(そもそもは作家の中野好夫がエッセイのタイトルに使った)。

 この映画の公開はその2年前だが、たしかに戦後の名残りが感じられる。人々の暮らしのディテールがそうなのだが、まだ戦後を引きずっている「暗さ」が感じられるのだ。

 「ゴジラ」は大ヒットして、傾きかけていた映画会社東宝の屋台骨を立て直したと言われる。

 やはり日本映画で最も有名な作品「七人の侍」(黒澤明監督)も東宝の制作作品で1954年公開である。

 

 この1954年は日本の映画史にとって最も記念すべき年だったのだ。

 

/// end of the “cinemaアラカルト447「まだ戦後の暗さを感じさせた映画「ゴジラ」」”///

 

(追伸)

岸波

 おそらく僕は、この映画は劇場ではなくTVの再放映で観たと思う。でもそれは小学校の頃で、ストーリー的にはよく覚えていない。

 ただ衝撃的だったのは、人々が為す術もなくリヤカーを引いて逃げ惑うシーンや、恐怖を煽るゴジラ進撃のあの有名なメロディだ。

 だが今回調べてみて最終兵器「オキシジェン・デストロイヤー」の真実がこうだったのかと気づき改めて感動した。

 ある意味では原爆を上回る殺傷兵器、それを後世に残さないために自ら抱えて特攻したんだな。日本人の美学を感じたよ。

 

 では、次回の“cinemaアラカルト2”で・・・See you again !

ゴジラ

(C)1954 TOHO CO.,LTD.

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To be continued⇒  “cinemaアラカルト448” coming soon!

 

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