こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
今、忘れられている
とても大切なものが、
ここにある。
これは、黒澤明監督の遺作『まあだだよ』のキャッチコピー。
今週の当番は、カリスマ彰氏です。
この映画は、黒澤明の監督生活50周年・通算30作目の記念作品として大きな期待を集めた作品でしたが、興行的には失敗したものです。
さて、カリスマ彰はどう見たか?
◆『まあだだよ』(1993年 黒澤明監督 2時間14分)
今、忘れられている
とても大切なものが、
ここにある。
カリスマ彰 BS松竹東急チャンネルの無料放送で映画「まあだだよ」(1993年 黒澤明監督 2時間14分)を録画して見た。
作家内田百閒(1889〜1971)の60歳から77歳までの人生を描いた映画だ。黒澤明(1910.3.21〜1998.9.6)の最後の作品だ。
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内田百閒(松村達雄)と教え子たちとの交流、空襲で家を失ってからの住居の話、飼い猫の話がその中心になっている。
法政大学でドイツ語を教えていた内田百閒の教え子たちは、還暦祝いから毎年(?)、内田の誕生日会をやっていた。
あの世からお迎えが来ても「まあだだよ」とお迎えにお引き取り願うのが決まりということでそれは「摩阿陀」会と名付けられた。これが映画のタイトルになっている。
『まあだだよ』
なんとも退屈な映画だが、内田百閒という希代の奇人を描ききれれば面白い作品になっていたかもしれない。
しかし、ドイツ語の教師を卒業してからも慕い、誕生日会を開き、空襲で焼けた住居の代わりを買ってやるなんて教え子なんてというのがそもそも今では信じられなくて、嘘臭いのだ。
私ですら「仰げば尊し我が師の恩」を「仰げば尊し我が師のハゲ」と替え歌していた世代だ。
『まあだだよ』
しかもそれを演じる中心的な教え子4人が井川比佐志、所ジョージ、由井昌由樹、寺尾聰というのが難。
特に所ジョージのミスキャストぶりが痛々しい。それに反して妻役の香川京子が素晴らしい演技。
「乱」(1985)を撮った後の1990年代に入ってからの黒澤の最晩年3部作「夢」(1990)、「八月の狂詩曲」(1991)、「まあだだよ」(1993)はやはり創作力の衰えは顕著だった。
『まあだだよ』
それにしてもこの映画は首を傾げる。
鈴木清順監督の怪作「ツィゴイネルワイゼン」(1980)の原作者がまさに内田百閒なのであるが、松村達雄演じる内田百閒はサザエさんの波平にピッタリのキャラクターなのだ(笑)。
この映画と同類の映画として、前衛画家の熊谷守一の生き様を描いた「モリのいる場所」(2018年 沖田修一監督 1時39分)がある。
出来は明らかに「モリのいる場所」に軍配が上がる。これはやはり主役(山﨑努)の芸格の違いと言えるのではないか。
ただしこちらは妻役の樹木希林が少々煩いのが玉に瑕。
そう言えば、内田百閒も熊谷守一も大の勲章嫌いだった。しかし、こうした偏屈老人の晩年を描いた映画に惹かれるのも歳をとった証拠かな。
◆『まあだだよ』allcinema ONLINEの解説から引用
黒澤明監督が、敬愛する随筆家・内田百閒とその門下生たちとの交流をほのぼのとしたタッチで描いたドラマ。
昭和18年の春。先生は生徒たちに、作家活動に専念するために学校を去ることを告げる。しかし、退職後引っ越した家にも門下生たちは遊びにやってくるようになる。ある日、先生の還暦の祝宴が開かれていた最中、空襲がやって来る。やがて、空襲で家を焼かれた先生と奥さんは、知人の厚意で借りた三畳一間の掘建て小屋で暮らすようになるが……。 |
/// end of the “cinemaアラカルト430「黒澤明最後の映画「まあだだよ」を
録画して見てみたのだが」”///
(追伸)
岸波
たしかに、所ジョージに限らず教え子たちの感情表現がオーバーアクションなので、ストーリーが全然、頭に入って来ないね。
そして、主人公であるべき内田百閒について、映画の中では何ら説明されていない。こういう脚本はどうなんだろうね。
まして当時は、スタイリッシュな洋画が全盛だった時期。悲惨な興行成績だったのも分かるような気がするね。
では、次回の“cinemaアラカルト2”で・・・See you again !
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『まあだだよ』撮影中の黒澤明監督
(C)1993 大映
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