こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
ゴダールが発見した"最後のヌーヴェルヴァーグ"
ーージャン・ユスターシュ
これは、フランスのジャン・ユスターシュ監督の最大傑作にして最後の作品『ママと娼婦』が上映された際、ポスターに記されたキャッチコピー。
今週の当番は、カリスマ彰氏です。
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ぼくの小さな恋人たち
(C)1974 コピアポア・フィルム
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今回は単体の映画の話ではなく、ジャン・ユスターシュ映画祭に関する記事です。
では、お願いします。
◆『ママと娼婦』(1973年 ジャン・ユスターシュ監督 3時間35分)
1968年の5月革命以降の精神を最もよく捉えた作品。
「優しさ、快楽、不安、狂気、フリーセックス、苦悩」
賞賛と強烈なヤジ、1973年のカンヌ映画祭を
興奮のるつぼに巻き込んだ伝説の映画!
カリスマ彰 ザ・シネマ(TV)でジャン・ユスターシュ監督(1938.11.30〜1981.11.5)特集をやっていた。
一番の有名作「ママと娼婦」(1973年 3時間35分)の録画を忘れてしまった。
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ママと娼婦
(C)1973 Elite Films
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結局録画して見たのは以下の3作だった。
◆「サンタクロースの眼は青い」(1963年 47分)
「サンタクロースの眼は青い」
◆「わるい仲間」(1963年 42分)
「わるい仲間」
◆そして生涯最後の長編でカラー作品「ぼくの小さな恋人たち」(1974年 2時間3分)
「ぼくの小さな恋人たち」
ポスト・ヌーヴェルバーグの代表的存在として、ゴダール、トリュフォー、エリック・ロメールから絶賛されたが、確かにトリュフォーやロメールのようなテーストがかなり垣間見られる。
3作に関しては、ゴダールのような政治的メッセージは皆無。描いているのは、男の「性欲」である。
ジャン・ユスターシュ監督
しかしトリュフォーほど情念の燃え上がりはなく、淡い味わいなのに心に迫ってくる。不思議な作風である。
しかし代表作とされる「ママと娼婦」を見ないことには始まらないようだ。
「ママと娼婦」
◆『ママと娼婦』allcinema ONLINEの解説から引用
モノクロ16ミリ、撮影レンズは50ミリのみという、製作当時としても極めて時代逆行的な方法で作られた作品。3時間40分にも及ぶ、どうしようもない男と母性的な年上の女、娼婦のごとき若い看護婦の恋愛模様が、内省的というよりもただだらだらした展開で描かれているのに、なぜこんなに面白いのだろう。それこそが、この若くして自殺したユスターシュの不可思議さだ。
カフェで毎日を無為に送る青年アレクサンドルは、ブティックを経営するマリーの部屋に居候している。彼はつきあっていた女にフラれるとすぐにヴェロニカに声をかけ親しくなる。そのことを報告すると、マリーは一度は嫉妬しながらもすぐに許してしまう。やがて三人の奇妙な共同生活が始まり、皆がベッドを共にすることもありながら、それぞれの孤独、諍い、恐怖が錯綜し、彼らは絶望的に疲れてゆく……。68年の5月革命に敗れた若者たちを端的に捉えた作品と評されるが、ここに表される心象は実に普遍的なものではなかろうか。だからこそ、観る人によってはこの4時間弱が瞬く間に過ぎ去ってしまうのだ。 |
なおユスターシュは1981年にギリシャのテラスで転落して、車椅子生活になった。
ユスターシュは一生車椅子生活になるのを悲観して同年11月に自室で自殺した。享年42。
/// end of the “cinemaアラカルト428「不思議な感銘を受けたユスターシュの映像世界」”///
(追伸)
岸波
う~んフランス映画って・・特に愛蔵やセックスをテーマにしたモノは僕の性に合わないようだ。
好きでずっと見ていたアラン・ドロンの映画でも『栗色のマッドレー』(1970年)が『ママと娼婦』に似たテーマの作品で、男・女・女の三人愛を描いていて「なんでそうなるの?」という感じだった。
別に愛の形は自由なのでソコは非難しないが、美しいとも思わなければ「感動」する部分が全く無かった。何のために映画を撮ってるのかな・・という疑問だけが膨らむ。
しかし、そういうことを評価する人も居るんだな。人間の感性も色々だね。
では、次回の“cinemaアラカルト2”で・・・See you again !
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ぼくの小さな恋人たち
(C)1974 コピアポア・フィルム
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