こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
違う! オレは怪人二十面相じゃない!
去年の秋口以降この年末年始に至るまで、ケイコと二人、映画を見まくっていました。
それなりにcinemaアラカルトで感想を発表してきたものの・・・
もー間に合いませんっ!!
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K-20 怪人二十面相・伝
(C)2008「K-20 怪人二十面相・伝」製作委員会 |
何せ、もうすぐ「007 慰めの報酬」が来てしまいますもの。
というワケで、今までたまっているcinema感想を「前・後編」で一挙に放出しようと思います。
それでは、過去二度目となる「ダイジェスト版cinemaアラカルト」、まずは、もっとも感銘を受けた「K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝」から。
◆「K-20 怪人二十面相・伝」
主演は今をときめく金城武、ヒロイン役に松たか子でございます。
北村想原作の小説「怪人二十面相・伝」を映画化したもので、作品の舞台は、日本が第二次世界大戦を回避したという前提にたった架空都市「帝都」。
犯行予告とともに華麗に名画・金品を奪い去る全身黒づくめの怪盗二十面相は仕掛けて仕損じなし。
これを追いかける名探偵明智小五郎(仲村トオル)と少年探偵団が目を付けたのは、身のこなしの軽いサーカスの曲芸師平吉(金城武)でした。
そんな平吉は、本物の怪人二十面相にまんまと騙されて犯行現場におびき出され、怪人二十面相として逮捕されてしまいます。
違う! オレは怪人二十面相じゃない!
~という平吉の主張も空しく、容赦のない拷問を受けてしまいます。
護送途中、サーカス仲間の機知により救い出された平吉は、自分を陥れた二十面相を捕らえ、身の潔白を証明しようと心に誓うのでした。
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K-20 怪人二十面相・伝
(C)2008「K-20 怪人二十面相・伝」製作委員会 |
息もつかせぬストーリー展開、二十面相&明智小五郎との三つ巴の頭脳戦、随所に散りばめられた小粋なユーモアと実に素晴らしい演出。
架空都市「帝都」のレトロな街並みや松たか子とのロマンスなど見所満載で、実によくできたエンターテインメントに仕上がっています。
最高に笑ったのは、平吉が二十面相に扮して松たか子とともにお宝を奪って飛行艇で逃げ去る場面。
突然、松たか子が「平吉さま、笑ってー!」と。
「えっ?!」と驚きながらも、空中で腰に手を当て「うわっはっはっはー」と大笑いする平吉。
そうですよね、これって二十面相のキメポーズなんですからね。
そして、最高に意外な結末を迎えるラスト・シーン。
このどんでん返しは、きっと貴方を唸らせずにはおかないでしょう。
◆「春色のスープ」
昨年秋に福島県で開催された“第20回全国生涯学習フェスティバル”記念事業映画として製作された「春色のスープ」。
そう、この映画制作を担当した人こそ、我が岸波通信「Jackのミニミニ映像」のジャックさんなのです。
舞台はもちろん福島県。
大勢の福島県民がエキストラや製作ボランティアとして参加いたしました。
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春色のスープ
(C) 2008映画「春色のスープ」製作委員会 |
父親と離婚した母と二人暮しをしている女子高生の桃子(佐津川 愛美)は、事あるごとに母親に反発。
荒れた生活をしていた桃子は、ある日、ラジオから流れてきた長田弘(福島県出身詩人)の「最初の質問」という詩の朗読に聞き入ってしまいます。
※大和伸一写真館「最初の質問」へ>>
彼女は母親の書棚からその詩集を見つけると、やがてひょんな縁から盲学校で「最初の質問」を朗読するボランティアをすることに。
そこで出会った盲目の少年亮太と、次第に心を通わせるようになり、ある日仲間とスキーに出かけますが、そこで大事件が起きてしまうのです・・・。
僕がこの映画の上映最終日に、仲間たちともう一度見に行きましたら、そこにはJACKさんの姿が。
きっと彼も感無量だったことでしょう。
亮太との出会いによる桃子の心の成長、そして映画終盤での母親との和解、しかし・・・・。
最後は言わずに置きましょう。
ラストシーンに賛否両論あったことだけを記しておきます。
◆「まぼろしの邪馬台国」
この映画の原作は、邪馬台国研究家であり島原鉄道会社の社長であった宮崎康平と、盲目の彼を生涯ささえ続けた妻・和子の物語です。
当初「九州文学」に連載開始され、1967年の出版と同時に夫婦揃って第一回吉川英治文化賞を受賞して、一躍“邪馬台国ブーム”を巻き起こしました。
福島市では、封切りに先立って福島県文化センターで主演の吉永小百合(宮崎和子役)と竹中直人(宮崎康平役)を迎えた先行上映会が催されました。
運良く抽選に当った僕ら夫婦は、時間ぎりぎりに会場へ飛び込んだのですが、何と座席は先着順。
僕らは、最後部の中央席~頭の上で映写機が廻る真下に陣取って観賞することにあいなりました。
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まぼろしの邪馬台国
(C)2008「まぼろしの邪馬台国」製作委員会 |
ラジオ局で番組司会者を務める和子は、番組に出演した宮崎康平に誘われて、彼の住む島原を訪れました。
そこで見たのは、情に厚いけれどもちょっとしたことですぐにキレるワンマン社長の姿。
しかし彼は、プライベートでは妻に逃げられてしまい、幼い子供たちを抱えながら途方に暮れる情けない身の上だったのです。
情にほだされた彼女は、康平のもとで子育てを手伝いながら、彼が企画した観光バス会社のガイド教師を務めることになります。
しかし、部下のクーデターで社長を罷免された康平は、盲目の杖代わりとなる和子を伴って、生涯の夢であった邪馬台国を探す旅に半生を賭けることになるのです。
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まぼろしの邪馬台国
(C)2008「まぼろしの邪馬台国」製作委員会 |
この映画・・・僕は4回号泣しました。
和子の無私の献身、その姿を見続けた子供たちが、長じて後、和子に報いる至上の愛、和子に心から感謝しながら不器用ゆえに言葉にできない康平~それらが、底抜けの笑いのエピソードから突然やってくるのです。
特に大笑いしたのは、康平が死んだ葬儀のシーン。
額に掲げられたのは、彼が遺言で指示していた若い時のふざけた顔の写真。
ものすごく悲しいシーンなのですが、その写真に会場は大笑い。
しかあしっ!!
まさか、その直後にあんなことが起こるなんて・・・・。
してやられました・・・油断していました。演出が旨すぎます。
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まぼろしの邪馬台国
(C)2008「まぼろしの邪馬台国」製作委員会 |
この宮崎康平はもちろん実在の人物で、彼と我等がさだまさしさんの父とは懇意の仲でした。
まっさんのエッセイの中で、宮崎康平が島原鉄道を訪れた天皇陛下を同乗して案内したエピソードが書かれています。
天皇は、車窓の外の風景を的確に説明する宮崎康平に、最後まで彼が全盲だとは気づかなかったそうです。
そして、宮崎康平との出会いが、まっさんの名曲「邪馬臺」を生んだのです。
※なっちヤンの写真館「邪馬臺」へ>>
さて、とりあえず今回は以上の三本。
次回は、「252 生存者あり」など四本を取り上げます。
/// end of the “cinemaアラカルト82「K-20 怪人二十面相・伝+2本」”///
(追伸)
岸波
最近、とみに思うのは“日本映画の質の高さ”。
それに引き換え、アメリカ映画の鼻につく大作主義や浅薄なストーリーの情けなさ。
特に“魂を揺さぶるような感動”というものを、アメリカ映画から得られなくなって久しくなります。
次回、お送りする後編では、そんなことを痛感させた作品を両側から取り上げたいと思います。
あ、そうそう・・・
我等がまっさんの名曲「関白宣言」ですが、この曲も、まっさんが幼い頃に出会った宮崎康平のイメージがベースになっているのだそうですよ。
さて次回は、「252 生存者あり」から・・・See you again !
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「252-生存者あり-」
(C)2008「252」製作委員会 |
eメールはこちらへ または habane8@ybb.ne.jp まで!
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