こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
“いのち”の長さは誰が決めるの?
福島での公開初日、ケイコと見てまいりました妻夫木君の「ブタがいた教室」。
“福島での”と断ったのは他でもありません、この映画、何と映画館によって公開日がまちまちだからです。
どうして、このようなことになったのか?
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
もちろん、この年末には「252生存者あり」など話題作が目白押しのために、上映スケジュールを個々の映画館に委ねたという側面はあるでしょう。
しかし、それだけなのか?
この映画は、ある意味で「今年最大の問題作」だと思います。
さて、そのワケは?
この「ブタがいた教室」は、教育なのか残酷なのか全国に賛否両論を巻き起こした実話の映画化です。
1990年に、大阪のある新任教師が試みた食育授業は、小学生の教室でブタを飼育して食べるというもの。
まだ「食育」という言葉さえなかった頃に企画されたこの大実験は、テレビ界の注目するところとなり、二年半に及ぶ飼育期間をフジテレビの番組が追いかけて、後に全国放送されました。
今回の映画化にあたり、全国公募された26人の小学生たちは、オーディション以降180日間にわたって実際にブタを飼育し、現実にあった生徒たちの体験をリアルに追体験したのです。
そして、この「ブタがいた教室」を福島県で上映した映画館は、福島市のフォーラムのみ。
うーむ、これはぁ・・・。
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
テレビ放映後、「あまりにも残酷だ」、「これはとても教育とは呼べない」などとバッシングの嵐が吹き荒れる一方、「命」の大切さと真剣に向き合う子供たちの姿に心を打たれた人々からの絶賛と世論は真っ二つに割れました。
ということは、映画の公開にあたっても及び腰になった配給館が出たり、とりあえずの上映を決めてもまずは様子見を決め込んだ館があったとしても不思議ではありません。
しかぁしっ!
結論から言いますと、映画は素晴らしい作品に仕上がっていました。
僕たちの観た福島フォーラムでも、子供たちが涙を流しながら「食べる・食べない」の真剣な議論をする姿に感動した観客の嗚咽が止まることはありませんでした。
この映画を上映しなかった映画館は、きっと大きな後悔をするのではないでしょうか。
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
さて、そのストーリーですが、新たに6年生を担任することになった新任教師の星(妻夫木聡)は、授業で子供たちにこんなことを言い出します。
「卒業までの1年間でブタを飼育し、最後にはみんなで食べたいと思います。」
騒然となる子供たち・・・しかし、結局はブタを育てる興味にひかれ、全員が賛成して飼育を始めることに。
先生にナイショで日曜日に登校し、みんなで手分けして校庭の片隅に手作りの飼育小屋を作ってしまいます。
家庭から残飯を持ち寄って餌を与えたり、最初は嫌がりながらも糞の世話をしたり、そうこうするうち、子供たちはブタを育てることに夢中になって行くのです。
ある日、生徒の一人が提案します。
「先生、ブタに名前を付けてあげようよ。」
・・・戸惑う教師。
それもそのはず、ペットとして飼うのではなく、あくまでも「命の授業」として最後には食べることが目的。
過度な愛着を抱いてしまっては、当初の目的が雲散霧消してしまいます。
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
しかし、結局は熱意に負けて、子供たちが提案した「Pちゃん」という名前を付けることに。
一方、これを知った父兄たちは、集団でクレームを付けに訪れました。
いわく・・「子供がブタと遊んで膝をすりむいた。どうしてくれる!」
「臭い匂いが衣服に付いて、他の洗濯物に移って困るんです!」
「これでは、学校に勉強に行かせているのか、ブタの世話に出しているのか分かりません!」
あらららら・・・・。
しかし、ここで女性の校長さんは少しも慌てず・・
「子供たちは、ブタの世話をしていることに不満を言っていますか?」
顔を見合わせる父兄たち。
子供たちはPちゃんを育てることに生きがいを感じ、むしろ文句をいう母親に自分たちのことはかまわないでと言っているのでした。
「子供たちは星先生を信じています。皆さんも、子供たちとその子供たちが信頼している星先生の取り組みを見守ってやってくれませんか? どうかお願いです。」
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
やがて季節は流れ、6年生が卒業する時期が近づいてきます。
星先生は、「Pちゃんをどうするのか、みんなで話し合って決めてほしい」と。
当然のことながら、自分たちが手塩にかけたPちゃんを食べるか食べないかについて、教室は真っ二つに割れて大論争となります。
このシーン・・・
子供たちに渡された最後の脚本の中身は白紙でした。
本当にブタを育て、結末を知らない子供たちは、このシーンで「命を食べる」ということの重さと真剣に向き合い、思いのたけをぶつけ合います。
いわく・・「そんな残酷なことはできない。」
「命を食べていきているのに、Pちゃんだけ食べられないのはおかしい。」
「下級生に引き継げばいいのよ。」
「僕たちが食べてあげることが、本当の責任なんじゃないのか。」
「“いのち”の長さは誰が決めるの?」
真剣になるあまり、取っ組み合いの喧嘩をはじめる子供たち・・。
泣きながら、自分たちの責任を全うしようとする子供たち・・。
あぁ、もういけません。
この先の展開は、とても書けません。(うるうる・・)
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
星教師役の妻夫木くんは、Yahoo!映画のインタビューで次のようなことを話しています。
(以下、「Yahoo!映画」より部分引用)
Q:子どもたちと何か印象に残っている思い出はありますか?
撮影の最初のシーンで、カットになってしまったんですが、子どもたちが食べ物で遊んでいて、それを僕が怒るシーンがあったんです。
本番以外の時間でも食べ物で遊んでしまう子がいたんで「命についてもっともっと考えなければいけない作品を作っている僕たちが、こんなことでどうするんだ!」ってガツンと怒鳴ってしまったんです。
そのときはシーンとなっちゃったんだけど、そのシーンの撮影が終わった後で、食べ物で遊んでいた子が僕のところに来て、「先生、さっきは本当にすいませんでした。今後はちゃんとします」って言って謝りにきたんです。
「わかればいいんだよ、次から頑張ろうな」って言ったんです。
あの瞬間はほんとに気持ちが良かった。僕と子どもたちの距離がぐっと縮まりましたね。
Q:この映画の見どころとファンに向けてのメッセージをお願いします。
子どもたちと、僕と、監督とスタッフ、皆でぶつかり合いながら出た、うそのない言葉や表情なので、それを観て心が揺れ動くような作品になっていると思います。
子どもも大人も劇場で観てほしいですね。
映画を観て子どもと一緒に生きるってことについていろんなことを話し合ったり、考えたりしてほしいと思います。
(引用終わり)
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ブタがいた教室
(C) 2008「ブタがいた教室」製作委員会 |
26人の子供たちが「命を食べて生きることの覚悟」と真剣に向き合ったこの映画。
さて、子供たちの結論は?
そして、Pちゃんの運命やいかに?
日本映画は素晴らしいところまで到達したと実感できる一本。
その結末は、是非、アナタの目で。
/// end of the “cinemaアラカルト81「ブタがいた教室」”///
(追伸)
岸波
フジテレビで放送後、賛否両論の大論争を日本中に巻き起こしたこの実話。
同番組は、1993年度ギャラクシー賞奨励賞を受賞、1995年に動物愛護教会主催映画コンクール内閣総理大臣賞を受賞しました。
その後、実話の主人公である黒田教師自身によって「豚のPちゃんと32人の小学生~命の授業900日~」として取りまとめられ、出版されています。
では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See you again !
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舞台挨拶
(妻夫木聡) |
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