こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
さらば新参者ーーー
事件の謎は、俺。俺なのかーーー
キャッチコピーに"さらば新参者”とあるように、東野圭吾の小説「新参者」シリーズ完結編「祈りの幕が降りる時」の映画化作品です。
主演は阿部寛、監督はテレビシリーズと同じ福澤克雄。
ケイコと観に行ってから若干時間がたちましたが、ロングラン中なのでレポートしたいと思います。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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「新参者シリーズ」は、阿部寛が主人公の刑事加賀恭一郎を演じ、2010年4月18日からTBSの日曜劇場枠で10回にわたり放映されたTVドラマ。
後にスペシャルドラマとして「赤い指」・「眠りの森」の二作、映画版として2012年の「麒麟の翼 〜劇場版・新参者〜」が制作されました。
今回の「祈りの幕が降りる時」はこれらシリーズの集大成として加賀恭一郎(の生い立ちなど)にまつわる全ての謎が解かれる完結編となります。
さて、その内容は?
映画の冒頭でいきなり事件が発生。東京都葛飾区のアパートで中年女性の絞殺された腐乱死体が発見され、住人の越川睦夫と名乗る男は行方不明に。
また同時期に近くの河川敷でホームレスの焼死体が発見され、加賀恭一郎の従兄弟で捜査一家刑事の松宮(溝端淳平)は、焼死体が行方不明の越川睦夫ではないかと疑います。
アパートの腐乱死体の身元は滋賀県の清掃会社社員、押谷道子(中島ひろ子)であることが判明。同級生である演出家の浅居博美(松嶋菜々子)を尋ねて上京したまま失踪していました。
その理由は、得意先の老人ホームで浅居博美の母親と思しき人物を発見したため。浅居博美の母は放蕩な性格で、莫大な借金を博美の父親に押し付けて蒸発。そのまま行方知れずとなっていたのです。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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浅居博美はかつて雑誌の取材で加賀恭一郎(阿部寛)と面識があったこともあり、松宮は捜査線上に浮かんだ浅居博美と事件との関連性について意見を求めます。
加賀恭一郎は事件があったアパートの遺留物であるカレンダーに日本橋周辺の橋の名前が月ごとにメモされていた事を聞き衝撃を受けます。
その月ごとの橋の名前は、子供の頃に失踪した恭一郎の母親、田島百合子(伊藤蘭)が亡くなって遺品を取りに行った部屋のカレンダーのメモと全く同じだったからです。
唐突に突き付けられた自分と事件との関連性。自分の母親とこの二つの殺人事件は何か関係があるのか? かつて自殺したという浅居博美の父親の死の真相は?
捜査が進展すると、さらに過去の殺人事件との関連が浮上して…。
(原作「祈りの幕が降りる時」)
東野圭吾のミステリにありがちですが、登場人物が多く関係性が複雑なので、頭の中をよく整理しながら見て行かないと混乱します。
焼死したホームレス=行方不明の越川睦夫の正体が中々見えて来ませんし、途中、浅居博美(松嶋菜々子)の高校時代の恩師苗村誠三(及川光博)が有力な「正体」候補として浮上するものの結局空振りに終わる。
そもそも最大の謎は、家族を捨てて蒸発した加賀恭一郎の母親が独居死した仙台(だったかな?)のアパートにあったカレンダーと腐乱死体があったた越川睦夫(その後焼死体で発見)の葛飾区のアパートのカレンダーに同じ日本橋周辺の橋のメモが残っていたこと。
仙台の母親のアパートには時々同じ男性が訪れていたことが分かっており、この男性が越川睦夫その人であれば一つに繋がるワケです。
その越川睦夫の正体が、浅居博美(松嶋菜々子)と二人暮らしをしていた父親浅居忠雄(小日向文世)だったとすれば、博美を尋ねて絞殺された押谷道子とも一本の線に。
ところが…
浅居博美(松嶋菜々子)の父親は、生活苦のあまり能登の断崖から飛び降りて既に自殺していました。これで全ては振り出しに。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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人間関係の謎が壁に付き当たったままであれば、ここで観客は脱力モノでしょう。しかし、そこを放置しないのがこの映画の親切なところ。
浅居博美(松嶋菜々子)はストーリーのもう一方の視点人物で、いわば二人目の主人公。彼女の回想シーンを通して、事件の核心部分が明らかになってきます。
夫名義で借りた借金を放蕩のために使い、揚げ句にそれをすべて夫に押し付けて自分は愛人と蒸発した浅居博美(松嶋菜々子)の母というのは、もうどうしようもない性格破綻者。
父の浅居忠雄(小日向文世)は生活苦のあまり、娘の博美(桜田ひより:14歳時代の子役)と無理心中を図ります。
博美と忠雄(小日向文世)
ところが、最後の定食屋での食事で、原発労働者の男が尋常でない親子の様子を見て一計を案じ、「夜中に自分の車に来てくれればお金をあげよう」と博美をそそのかすのです。
家にお金がない事を知っている博美は、夜中に宿を抜け出して男の車に向かいますが、当然そうなれば予想の付く結末。乱暴を働く男に抗ううち、誤って男を殺してしまいます。
異常を察知して博美を探しに出かけた父の忠雄(小日向文世)は、その現場を発見。考えあぐねた末に、男を自分の身代わりに投身自殺したように偽装し、自分はその男越川睦夫になりすまして生きる事を決意するのです。
浅居博美(桜田ひより)
この後のシーン…たまりません。
博美とは赤の他人になることを言い含め、一人で去ろうとする忠雄(小日向文世)に、「おとうちゃん、おとうちゃん、おとうちゃん!」とトンネルの中で繰り返しくり返し絶叫する博美(桜田ひより)の演技、戻って来て抱きしめる忠雄(小日向文世)の演技に止めどなく落涙…。
ここはトラウマになるくらいの名シーンだと思います。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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これまでのシリーズで伏線になっていた、その他の謎…。
捜査一課の刑事だった加賀恭一郎(阿部寛)は、日本橋署の所轄の刑事に異動することを希望し、その後は他に異動することを頑なに拒んで居続けました。
その理由は、仙台で独居死した部屋のカレンダーにあった日本橋周辺の橋を歩き続けていれば、いつの日か母を愛した男(越川睦夫:当時は綿部俊一と名乗っていた浅居忠雄:小日向文世)と巡り合い、母親が生きていた日々の事を知る事ができると考えたからでした。
加賀恭一郎(阿部寛)
また、恭一郎とその父親、加賀隆正(山﨑努)の確執は、同じく刑事だった父親が家庭を顧みず仕事に没頭していたこと、その後の介護の負担が母親百合子(伊藤蘭)の家出の理由だと思い込んでいたからでした。
しかしその真実は、父親隆正(山﨑努)を看取った介護師金森登紀子(田中麗奈)によって明かされます。
恭一郎の母親は息子を愛していなかったワケではなかったのです。母親はうつ病を病み、ある日発作的に息子に包丁を向けている自分に気付いて驚愕します。
「このままでは、いつか自分の気がおかしくなった時に、息子を殺してしまいかねない」…そう考えて、家族から一人離れる事を決意したのでした。
そしてまた… 父親の隆正(山﨑努)も自分に反抗する息子恭一郎を愛していなかったワケではなく、妻の家出の全責任を自ら負うと心に決め、恭一郎の罵詈雑言に一言も反論しなかったのでした。
いやぁ、何という家族でしょう…。お互い優しすぎて、結果的には家族が崩壊してしまうのですから。
そんな恭一郎の母親田島百合子(伊藤蘭)、そして他人になりすました浅居博美の父忠雄(小日向文世)が傷口をなめ合う様に生きて来たのが仙台のアパートだったのです。
こういう人間ドラマを描かせると東野圭吾は他の追随を許しませんね。
「容疑者Xの献身」もそうだったし、「ナミヤ雑貨店の奇跡」もそうだったし、次々と名作が浮かんできます…。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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そして、何と言っても浅居博美を演じた松嶋菜々子の全編を通した熱演。鬼気迫るものを感じました。
圧巻だったのは、やはり父親忠雄(小日向文世)の自殺をほう助するために首を絞めるシーン。
「死ぬなんてやめて!」と涙ながらに懇願する博美に対し、父は「もう疲れた。もうこの歳で逃げきれるわけがない…楽になりたい…」と。
忠雄(小日向文世)は娘の成功だけを祈り、他人に成りすました自分の謎に迫った娘の恩師・苗村誠三(及川光博)と上京してきた娘の同級生・押谷道子(中島ひろ子)の二人を手にかけています。
月に一度、娘の顔を遠くから見るためにだけ落ち合う「橋」の場所をカレンダーに記し、会話の無い逢瀬を積み重ねて来た年月も全てが水の泡に。
浅居博美(松嶋菜々子)
博美(松嶋菜々子)がホームレスのテントに駆け付けた時には、既に忠雄(小日向文世)はガソリンを被って火を付けようとしていました。
「死ぬにしても焼身自殺だけは嫌だなぁ‥苦しいだろうなぁ‥」
もはや忠雄(小日向文世)の意志が翻らないと悟った博美(松嶋菜々子)は、昔、母娘心中しようとして呟いた父親の言葉を思い出します。
「おとうさん、私が殺してあげる!」
最愛の父の首に手をかける娘。なんて悲しいシーンだろう。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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この映画での松嶋菜々子、小日向文世、そして子供時代の博美を演じた桜田ひよりの三人の演技には、キラ星のような出演者陣の中でも特に感動しました。
さらに映画のエンドロールでは、テレビシリーズに出演していた杏や香川照之がカメオ登場。大作の幕切れにふさわしい演出でした。
そしてまた、JUJUが歌うテーマソング「東京」も映画のストーリーにピッタリの素晴らしい曲。
JUJUの柔らかい声で歌い上がられるバラードが、一層映画の感動を引き立てていたように感じました。
(主題歌「東京」を歌うJUJU)
しかし何と言っても、原作東野圭吾のストーリーテリングには脱帽。
彼が扱うミステリの事件では、トリックにはあまり重点を置かず、その代わりに動機や人間模様で深い世界が構築されています。
その東野圭吾のシリーズ作品の中でも、この加賀恭一郎のシリーズは特段に長期にわたって執筆されています。
2004年から小説現代でスタートした「新参者シリーズ」の前にも、加賀恭一郎が登場する作品はいくつもあり、初出は1986年に講談社から刊行された「卒業―雪月花殺人ゲーム」です。
以後、1989年「眠りの森」、1996年「どちらかが彼女を殺した」、同年の「悪意」など、折に触れて再登場し、「新参者シリーズ」に繋がって行くのです。
今回の「祈りの幕が降りる時」は、全ての謎が解かれた加賀恭一郎シリーズの大団円の位置づけとなっており、作者の思い入れも格別なものがあったことでしょう。
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祈りの幕が降りる時
(C)2018 映画「祈りの幕が下りる時」製作委員会
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映画のラスト近く、いよいよ加賀恭一郎と浅居博美が対峙します。
場所は、博美が演出する「曽根崎心中」がクライマックスを迎えるスタッフ用観覧ブース。
舞台上の「異聞・曽根崎心中」が、自分の最愛の父を手にかけ、同時に自分の心を殺してしまった浅居博美の運命の暗喩であるように見え、何とも重い幕切れとなりました。
/// end of the “cinemaアラカルト199「祈りの幕が降りる時」”///
(追伸)
岸波
浅居博美(松嶋菜々子)は、あちらこちらで「犯人役」として紹介されているのですが、ちょっと疑問を持ちました。
そもそも彼女は「殺人」を犯しているのだろうかと。
最初に人を殺めたのは、14歳の時に親子心中する旅行きのなかで強姦魔に乱暴されそうになり、揉み合っているうちに誤って暴漢の命を絶ってしまったもの。
これはどう考えても殺人ではなく、正当防衛か過剰防衛。もしくは事故と言ってもいいかもしれません。(はずみで自滅しているので。)
そして二人目は父親ですが、あの行為は自殺をほう助したものであって、殺人とは呼べない気がします。
なので、記事の中では「殺人者」や「真犯人」という表記はしませんでした。
そう考えれば、二人の死に関与があったとしても死刑にはならず、再び社会に復帰することもあるでしょう。(相当な情状が勘案されるでしょうし。)
もしかしたら、恭一郎と接近することになる? いえいえ、両者は義理の兄妹のような関係にありますし、そこまではないかと。
実は、小説のストーリーの中では、父隆正(山﨑努)を看取った介護師の金森登紀子(田中麗奈)とビミョーな空気が流れているのです。そこそこ歳も釣り合いますしね。
ただ、この作品でシリーズは完結となる(多分)ので、二人の行く末は描かれることは無さそうですし、蛇足になるでしょうけどね(笑)
では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See you again !
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レッドカーペット・イベント
(2017.12.12 日本橋)
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be continued⇒ “cinemaアラカルト200” coming
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