こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
このまま、何も言わずに愛し続けたい。
こちらは「日の名残り」のキャッチコピー。原作はノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏。
さて、カリスマ彰の映画感想シリーズの後編です。
こちらの記事は、昨日付けで編集・アップした「ファッションの達人!」本体と(ほぼ)同時アップ。
前回と同様、ストーリー解説を映画解説サイトのallicinemaから引用して付してあります。
ではどうぞ。
今回は、最近観た映画シリーズ。といっても、劇場ではなくテレビで放映された往年の名画であるが。
①「日の名残り」(1993年)
10月の3連休に観た映画その1。
カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞は意外。英語で書いている小説家なのに、日本人枠だろうから、これで村上春樹の受賞はしばらくないのでは。選考委員によほどのムラカミ嫌いがいるのではないだろうか。
ハヤカワ文庫で「日の名残り」を読んでいたが、「前衛」が優遇されるノーベル文学賞では異例の分かりやすい小説だ。
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映画は名匠ジェームズ・アイボリー監督(「眺めのいい部屋」など)で1993年に公開。9月にNHKBSで放映されたもの。原作には及ばないが、秀作だ。
アンソニー・ホプキンス(写真正面)が演じる執事がちょっと彼の代表作「羊たちの沈黙」のレクター博士を連想させてアクの強さが鼻につくが、エマ・トンプソン(ホプキンスの右隣)の女中頭が好演で見応えがある。
◆allicinemaの映画解説から引用
E・M・フォスター原作のアイヴォリー映画と違い、ここに描かれるのは貴族にかしづく側の人間たちである。日系の英国作家K・イシグロのブッカー賞受賞作を基に、一人の侯爵(J・フォックス)の忠実なる執事が、自らの仕事に完璧を成すため、女中頭への恋心を断ち切り、老境の父に侯爵の身の回りの世話ができないと知ると情け容赦なく掃除係に格下げしてしまう、そのストイシズムを冷徹に描く。無論、彼は自分独りきりになるとそんな己を呪う。名優ホプキンスの独壇場である。恋を知らぬ彼は安っぽい恋愛小説に慰めを得、それを女中頭のE・トンプソンに見つかり頬を赤らめる。結局、彼女は彼を待ちきれず、彼の友人と結婚し町を去る。侯爵は容ナチ的で、彼はそれを疑問に思うが執事の立場からは何も言えない。そして戦後、もろもろの非難を浴びた侯爵は傷心のままこの世を去る。ようやく自由を感じた彼は女中頭を訪ねるが(その旅の解放感と彼が口にする自己否定的な嘘は印象深い)、既に離婚していた彼女の返事はつれなかった。侯爵の屋敷に新たな買い手(アメリカの富豪=C・リーヴ)がつくと、再び彼は執事として雇われる……。格式を重んじる貴族社会の内実をロマンティックであると同時に否定的に描く、アイヴォリーのスタイルにようやく得心できた感じ、それも物語の良さに多くを負っている。 |
②「若者のすべて」(1960年)
ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」(1960年)は、この監督の出世作。
彼はイタリアの2大巨匠の一人だが、もう一人の巨匠のフェリーニにも「青春群像」という出世作があるが、2人とも青春がテーマの群像劇で既に本領を発揮している。
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「若者のすべて」はなんと言ってもアラン・ドロン(写真右端)の美男子ぶりが全編を通じて見事に描かれる。
80歳を超えた彼は最近引退表明したが、60年代の彼は天下無敵の青春スターだった。3時間という長尺だがダレない。
◆allicinemaの映画解説から引用
巨匠ヴィスコンティが悠揚迫らぬタッチでつづる、兄弟愛の大ロマンである。南部で貧窮にあえいでいたパロンディ家は、先に北部の大都市ミラノに出稼ぎに来ていた長兄ヴィンチェを頼って、老いた母と兄弟4人でやって来る。長兄には同郷出身の婚約者ジネッタ(カルディナーレ)がいたが、田舎出の彼らに対する風当たりは厳しいものだった。次兄シモーネ(サルヴァトーリ)は三男のロッコ(ドロン)と共にプロ・ボクサーを目指しジムに入ったが、娼婦ナディア(ジラルド)に夢中になり、自らその可能性を潰して、自虐の一途を辿り(バカンス旅行の豪華な園遊会を開くホテルを前にたたずむ二人が妙に寒々しかったのが記憶に残る)、ナディアは突然彼の前から姿を消す。一方ロッコはクリーニング店で地道に働くが徴兵され、寄宿舎へと赴くのだった。その後ロッコは寄宿地で偶然にナディアと出会い、ロッコの優しさに触れた彼女は急速に彼と愛し合うようになる。しかしそれに嫉妬したシモーネは仲間を引き連れ、ロッコの目の前で彼女を犯してしまう(まさに圧巻の場面!)。ナディアは愛するロッコの前での辱めに心深く傷つき、再び街娼へと逆戻りし、結局シモーネと退廃的な生活を送っていくのだが……。このネオ・レアリズモの総集編のような壮大な叙事詩を放ってのち、ヴィスコンティは、より典雅で耽美的かつ様式的な、貴族階級を描く独自の世界に没入していくことになる。 |
③「奇跡の丘」(1964年)
やはりNHKBSで放映された映画。パゾリーニ監督の出世作である「奇跡の丘」(1964年)。
パゾリーニの監督作品は殆ど観ているが、これだけは観れずにいたので、NHKBSに感謝。
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無神論者でコミニュストのパゾリーニがなんでマタイ伝に基づくキリストの生涯を描いたのかは謎だが映像はモノクロで恐るべき迫真力。
老マリアはパゾリーニ監督の実母だ。音楽はバッハのマタイ受難曲をベースに黒人霊歌やブルースを交えたものだが、これが素晴らしい。
パゾリーニは1975年に「ソドムの市」撮影後に出演していた少年に撲殺されて53年の生涯を閉じた。少年に性的悪戯をしていたとされるが、真相は謎だ。
◆allicinemaの映画解説から引用
“マタイによる福音書”をコミュニストとして知られるパゾリー二が映像化し、意外にも、どんなハリウッド製のキリスト伝より感動的な作品となっていることに、改めてイタリアの信仰心にふくよかな風土に思いを馳せずにはいられない。出演は全て素人。音楽に使われるのは黒人霊歌や革命歌。カメラはあくまで素朴に人間キリストを中心に捉え続けるが、こうした表現の自由さが、真理を獲得した信徒たちの生き生きとした喜びの表情を自然に導き出す。終幕の復活劇のごくあっけらかんとした反ロマン的表現も、むしろ神話的な力をより印象づける効果がある。 |
④「マイ・フェア・レディ」(1964年)
これもNHKBS放映を録画したもの。ジョージ・キューカー監督による1964年のミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」。
ブロードウェイの舞台では、イライザ役はジュリー・アンドリュースが演じたが、必ず当たる主役ということでオードリー・ヘップバーンが起用された。
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しかし原作「ピグマリオン」ではイライザは21歳の花売り娘。当時35歳のオードリーの起用には疑問の声もあった。
私も同感だ。やはり、この映画でのオードリーの色気は30女の色気だろう。全体的に演技もウルサイ。このあたり、オードリーファンの岸波氏の意見を聞きたいが。
それ以上にヒギンス教授役のレックス・ハリソンが鼻持ちならないイヤーな男に思えるのだが。こんな男に惹かれる花売り娘なんかいるわけないと思う。
余談だが、同じ年の「メアリーポピンズ」に主演したジュリー・アンドリュースは見事にオスカー主演女優賞して溜飲を下げた。
オードリーは、「マイ・フェア・レディ」(作品賞は獲った)でオスカー主演女優賞を獲れず、周囲にあたりちらした映像が残っているという。
◆allicinemaの映画解説から引用
言わずと知れた、ヘプバーン主演によるミュージカル映画の大作。ロンドンの下町。花を売り歩いていた女性イライザは、通りすがりの言語学教授ヒギンズに言葉の訛りを指摘され、彼の提案で訛りの矯正と淑女になるための礼儀作法を教わることに。そして、ヒギンズの家に住み込みながら厳しい指導を受けるイライザ。彼女はやがて、上流階級の貴婦人として競馬場へ赴き、社交界に華々しくデビューする。ところが、淑女らしさにますます磨きをかけていたある日、ヒギンズの研究対象にされていたことを知り、ショックを受けたイライザは彼のもとを去ってしまう…。音楽・踊り・出演陣のどこをとっても、「サウンド・オブ・ミュージック」や「ウエスト・サイド物語」と並ぶミュージカル映画の傑作。必見! ビデオは「ニュー・デジタル・バージョン」も有り。 |
/// end of the “cinemaアラカルト194「日の名残り+3本」”///
(追伸)
岸波
オードリー・ヘプバーンの「マイ・フェア・レディ」出演年齢について意見を求められたので書きましょう。
"30女の色気”と言いますが、見た目にはまさにその通り。
花売り娘の役をやっているシーンでも…
…うん、彰の言うとおり、やっぱり"小娘”には見えませんね(笑)
でも、ミュージカル舞台版でイライザを演じていたジュリー・アンドリュースも、映画「マイフ・フェア・レディ」の1964年時点では29歳。オードリーよりは下ですけれど、やはり21歳のイライザとは年が離れています。
淑女イライザの風格を演じるには、実年齢20歳そこそこでは無理がありそうなので、この辺りはやむを得ないのかなと。まあ「脳内変換」して観るしかないのでしょう。
もっとも僕が最初に映画を観た時には、まだ12歳の中学一年生だったので、21歳も35歳もどっちも「おばさん」で、とにかくキレイな人だったという印象しかありませんでしたけど(大笑)
演技者としてのオードリーを認識できたのは3年後に封切られた「いつも二人で」と「暗くなるまで待って」からでしたね…。
作品賞をはじめ主なオスカー部門賞を総なめにした「マイフ・フェア・レディ」でしたが、主演女優賞は舞台版を演じたジュリー・アンドリュースの「メリー・ポピンズ」がかっさらって行きました。
これは、他のキャストが軒並み舞台版の俳優が登用されたのに対し、知名度で劣るジュリー・アンドリュースだけ差し替えられたことに対する同情票もあったと言われています。
(※ヒギンズ役:レックス・ハリスン、イライザの父親役:スタンリー・ホロウェイなど。)
しかし、決め手となったのは、ジュリーが「メリー・ポピンズ」で自ら歌っていたのに対し、オードリーの劇中歌はマーニ・ニクソンによる吹き替えで、彼女が口パク演技だったことでしょう。
いずれにしても、僕の洋画の原点は「マカロニウエスタン」と「007」とオードリー・ヘプバーンであったことは間違いありません。オードリーよ、永遠なれ。
では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See you again !
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