こんにちは。気付けば人生の傍らには必ず映画があった岸波です。
現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。
庵野秀明監督による待望の『シン・ゴジラ』をケイコと二人で観てまいりました…既に二回も!!
2004年12月の「ゴジラ FINAL WARS」においてゴジラが地球防衛軍に倒されてから早12年、第29作目のニッポン・ゴジラが堂々とリボーンいたしました。
で、何でこの短期間に、二度も観に行ったかといいますと……
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シン・ゴジラ
(C)2016 TOHO CO.,LTD.
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一回目の感想は「非常につまらなかった」からでございます。
そう感じた要因は、「登場人物のセリフがあまりに早口で何を言っているか分からないほどであった」こと、「映画の半分は対策会議のシーン」で、「残り半分がひたすら街を破壊するゴジラ」ということで「“人間ドラマ”としての要素がほとんど無いこと」など様々ありましたが…。
何といっても閉口したのは、第二形態のゴジラ(※シン・ゴジラは第四形態まで進化する)の『眼』が凶暴な肉食獣を思わせる過去のゴジラとは全く違い、まるで人形の目をはめ込んだような『作り物』じみていたことに落胆したからです。
ところがっ!!! お盆の家族の飲み会で…
「いやぁタケヒコ…『シン・ゴジラ』には参ったな。だいたい何であんなボタン縫いつけたような眼になったんだ、チープすぎるよ。」
「ええ~『シン・ゴジラ』凄いでしょ! あんちゃん、あの眼は違うんだよ。今度のゴジラは恐竜じゃなく深海生物だからだよ!」
「へ? 深海生物??? 現代に生き残ってた恐竜じゃないの!?」
タケヒコオーナーの情報によれば、深海生物が放射能によって急激に進化したのがシン・ゴジラで、あの眼は深海生物由来の“何も見えていない眼”だそうで。
たしかにそう言えば…シン・ゴジラが自衛隊に攻撃されてもそちらの方向を見ることもなく、何も居ないがごとく闊歩してたっけ…。
ゴジラのイメージデザインを担当した前田真宏氏によれば、陸に上がった第二形態のゴジラは両生類のイメージで、頭部のモデルは深海魚のラブカらしい…。
“ラブカ”ってどんなだ? …と思い、探してみたのがコレ。
(“生きている化石”深海ザメ・ラブカ)
ぅをををを~ ホントだ、シン・ゴジラ(第二形態&第三形態)の眼だ!
全体像はどんなだ? …というのことでコレ!
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げっ! ある意味、ゴジラより恐ろしい。
うむぅ…あの眼はファンタジーにしたんじゃなく、むしろリアルを追求したものだったのか。確かに、深海に居たんだから野獣のような眼はあり得ないよな。
そもそも水棲恐竜がたまたま生き残っていた、そのたまたま同じ場所に放射性廃棄物が投棄されたというのも出来すぎた話。こちらの方がよほどリアリティがあります。
すると、他にも見損じていた事があるかもしれない…。
~ということで、早速の第二回目鑑賞となった次第。
さあ、日本が世界に誇る『キング・オブ・モンスター』、今度こそちゃんと正座して観るぞ! ←(他のお客さんの迷惑です)
映画の最初のタイトルは黒背景にこんな(↑)感じの質素なレタリング。
きっとこれは、白黒映画だった1954年の“ファースト・ゴジラ”をリスペクトしたものでありましょう。
続いて、懐かしい感じがする『東宝』のお馴染みのプレゼント(提供)・ロゴが…え、待てよ…どうして『制作委員会』の表示が無いんだ!?
後で調べてみましたら、庵野監督が“制作委員会方式”を避けたとのこと。
いま流行りの制作委員会方式ですと、多くのスポンサーによりリスク分散が図れる一方、シナリオに注文を入れたり、自社の関係者をキャストに加えろなどという横やりが多いのだとか。
やはり『庵野ワールド』を守るためにも、そこだけは譲れなかった模様。
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映画冒頭は、東京湾羽田沖を漂流するボートのシーン。海上保安庁がこの漂流船に乗り込んで内部を捜索しますが、船内は無人。
いったい何処に…? と訝ったその刹那、海中から巨大な水柱が吹きあがり、ボートは吹き飛ばされます。
一方、東京湾アクアラインでも海底トンネルの崩落事故が発生。逃げ惑う通行客…いきなりのパニック・シーンでございます。(ドキドキ…)
政府は直ちに重大事故の対策会議を招集。さて、この閣僚による対策会議のセリフがとても早口なわけです。
タケヒコオーナーの入手した話によると、この映画のシナリオがそれこそ辞書か(昔の)電話帳くらいぶ厚いそうで。
驚いたスタッフが庵野監督に聞いたとか…「このシナリオじゃ普通の三倍くらい長い映画になりますよ」と。
その時、庵野監督少しも慌てず「大丈夫。凄く早口でやらせるから。んで、遅かった人のシーンはカットするから」。
ええええ~!!!?
つまり、台詞の早口は庵野監督の確信犯であった訳で。
庵野監督は「シン・ゴジラ」のイメージづくりに当たって、実際の政府の危機対策会議のやり方を取材したとか。つまり『リアリティ』を重視したのですね。
ただ、かくいう僕もレベルが違うとはいえ、実際の行政の危機対策会議がどんなものかはよく知っています。(某被災県の幹部でしたから。)
いくらなんでも早すぎ、そしてやや感情的。本当の危機に当たってこそ「冷静さ」が最も求められるのですから、あんな事にはなりません。(ただ、時の民主党政府を思い起こすと、断言するのに少し躊躇しますけれど(笑))
で、一回目に観た時には、そのあたりが引っかかって白けたのですけれど、二回目の時は……やっぱり早すぎる(笑)
でも、言葉は聞き取れるし、言っている内容は“さもありなん”というくらいリアルです。
結局、この演出によって伝わってくるのは、首相以下対策会議メンバーの溢れるほどの焦燥感。
それが“狙い”であるとしたら、庵野監督の目論見は、見事に成功していることになります。
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シン・ゴジラ
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さて、巨大な水柱やアクアラインのトンネル崩落については、海底火山の噴火説などが唱えられ、会議メンバーも「その方向で」となったところで、主人公の一人、矢口蘭堂内閣官房副長官(長谷川博己)が巨大生物による可能性を提起して一笑に付されます。
いくら『シン・ゴジラ』の映画の中とはいえ、さすがにこの発言は唐突。彼が事前から現場をよく知っており、海底火山の可能性が低いと判っていたとしても。
上司格であるもう一人の主人公、赤坂秀樹総理補佐官(竹野内豊)からも「発言をわきまえろ」と叱責される始末。
とどのつまり、民心の安定を図るために総理大臣による「海底火山説」の記者会見を開くことになるのですが、まさにそれが決定した時に巨大不明生物(ゴジラ)が東京湾に出現するのです。
まあそうでしょうね、演出的にはこのタイミングでしょう。期待通り(笑)
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シン・ゴジラ
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ゴジラは多摩川河口から大田区を経て鎌田に上陸。ここでも、政府では「水棲生物なので上陸すれば自重によって潰れ死んでしまう」と楽観的情報が流れる中、潰れるどころか突然の“進化”を始めて両生類型の第二形態から第三形態へ。二足歩行を開始します。
(ちなみに第一形態は海中での“チラ見せ登場”のため全体像は不明です。)
政府ではゴジラへの対応をめぐって激論が。「想定外」を連発する閣僚がいて議論が進まないのは、某大災害の政府対応に対するアイロニーでしょうか(笑)
結局、政府各機関の立場によって「捕獲」か「駆除」か「放逐」と異なり、矢口副長官(長谷川博己)が『三つのどれがいいのか検討して下さい!』というのに対して…『えーと今の発言、どの役所に対して言ったの?』には腹を抱えて大笑い。
そもそもゴジラによる大規模な都市破壊が進む中、警察や自治体による対応で間に合わないのは自明の理。自衛隊の出動や武力攻撃が検討されますが、これがまた『法的根拠』をめぐって侃々諤々…。
リアル自民党の元防衛大臣石破茂氏が個人ブログで『(自衛隊の出動には害獣駆除と治安出動、防衛出動があるが)いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象なのであって、「国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃」ではないのですから、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当』と発言すると、これが炎上。
害獣駆除では「武力行使」できないではないかというもっともな反論なのですが、それこそまさに法律の想定外。
実は、防衛庁ではゴジラのような巨大生物が出現した場合、現実にどう対応できるかという検討がまじめになされた事があり、元大臣の発言はコレを踏まえたものでしょう。
庵野監督もこの防衛庁の検討を知っており、最終的に映画では「超・法規的措置」として武力行使の防衛出動に至ります。
リアル元大臣としては、さぞかし立つ瀬のない思いでしょうが、皆さん、そんなところでムキにならなくとも(笑)
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シン・ゴジラ
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ゴジラは北品川で自衛隊の攻撃ヘリと対峙するものの、何故かそのまま東京湾へと転進して海中へ。その経路には放射能が検出され、ゴジラは体内に原子炉を模した器官があると推測されます。
政府では矢口副長官をトップとする「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」を設置。一方、未曽有の災害に対して同盟国アメリカから大統領特使カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)が派遣されてくる。
やがて、鎌倉沖から再び姿を現したゴジラは体長が倍近い(118.5m)第四形態へと進化しており、多摩川をデッドラインとして自衛隊が総攻撃を開始するもゴジラは全くの無傷で防衛ラインを突破されます。(えええ~!)
進退窮まった政府は米国の爆撃機の出動を要請し、ようやく手傷を負わせるのですが、ここでゴジラが覚醒(?)
全身から無数の光線を発して爆撃機を破壊し、口から巨大な放射能炎を噴き出して東京を大破壊。ヘリで逃げようとした総理大臣ら政府首脳も巻き込まれて死亡してしまいます。(ええええ~!!!)
政府は生き残った農水大臣を総理に任命して臨時政府を樹立。赤坂(竹野内豊)や矢口(長谷川博己)も登用されます。
矢口(巨災対)は、最後の手段としてゴジラの口から冷凍液を注入して全身を凍結させる「ヤシオリ作戦」を立案。しかし…
ゴジラの脅威を重く見た国連は、ゴジラに対して熱核攻撃による打倒を決定。
東京を核攻撃の的にしたリミットが迫る中、矢口の「ヤシオリ作戦」は果たして間に合うのか? それとも……??
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シン・ゴジラ
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大統領特使カヨコ・アン・パタースン役の石原さとみがぶっ飛んだ怪演を見せてくれます。このコ、ホントに凄い才能だと思います。女優として。
石原さとみは主演の矢口(長谷川博己)とともに、『進撃の巨人ATTACK ON TITAN』に出演してハンジ役を熱演。
本人はあんな美女なのに、映画では牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけて、巨人の来襲に際し『こんなの、初めて~♪』と言ったセリフにすっかりヤラレました。いや~意表を突かれた…ってゆーか、最初は石原さとみだと気づきませんでした(爆)
それが今度はバイリンガルの日系大統領特使として、峰不二子ばりのクレバーな悩殺美女を熱演。『大統領特使にあんなのいねーだろ!』という世間の突っ込みも当然に想定内。
でもこういうキャラ、アメリカなら実際に居ますよ。僕、知ってるもん(笑)
とにもかくにも、スクリーンにおける彼女の存在感というのは「出色」と言えるものがあります。
一方の長谷川博己ですが、同じ『進撃の巨人』で、原作にはない調査兵団のヒーロー、シキシマを演じました。
2013年のNHK大河『八重の桜』で八重の婚約者川崎尚之助を演じていましたが、本格的な主演級は『進撃』が初めて。これがなかなかカッコいいのですよ、日本人的なシュッとした顔立ちで。
『進撃』では、その実態が悪の黒幕である超大型巨人ということで、最後はダークサイドに転じますが、この人、顔立ちが整い過ぎていて悪役の似合わない事ったら…。
それが今回の『シン・ゴジラ』では、堂々の主役三名のうちの一人(と言うかNO.1主役)で、これからますますブレイクするのではないでしょうか。
さらに赤坂首相補佐官の竹野内豊…こちらも存在感がありますね(元々大好きな男優さん)。
ひたすら早口競争のような登場人物たちの中で、唯一、言葉を噛みしめながら話す人。←(そりゃ、目立つよ)
よく庵野監督から出演シーンをカットされなかったものだと感心。←(だって主役だもの)
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シン・ゴジラ
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映画の中には様々な『謎』が登場します。
冒頭の漂流船の中には人の姿は無く、あったのは、きちんと揃えた革靴とテーブルの上の『折り鶴』と宮沢賢治の『春と修羅』。
後に明らかになりますが、乗船していたのはアメリカで巨大不明生物について研究していた牧博士。彼は、放射能によって妻を亡くし、放射能の無害化と放射能によって進化する生物の研究を進めていました。
このうち『折り鶴』については、カヨコ・アン・パタースンがアメリカからもたらした博士の遺留物「DNA地図」を完成させるためのキーだという事が判明しますが、『春と修羅』については全く分かりません。
(いろいろ考察している人もいるようですが、いずれもピンと来ません。)
もう一つは、ラストシーンでアップにされたゴジラの尾から「人間の手や半身のようなもの」が生えていた謎。
こちらも多くの人が言及していますが、果たして「次に続く伏線」なのかどうか? うーむぅ……まさに“庵野ミステリー”。
庵野監督は『新世紀エヴァンゲリオン』でも読者(観客)を惑わす様々な謎をちりばめています。
ただ、異形な世界観の謎やシークエンスは作品の中だけでは回収されないものも多く、折に触れた原作者(庵野氏)の発言なり、研究者の見解などで補足され、組み立てられています。
思うに“庵野ミステリー”は、そもそも一つの答えを用意していない『リドル・ストーリー』ではないかと感じます。
彼自身、様々な媒体でゼロから繰り返して『エヴァンゲリオン』の制作を続けているのも、“自分なりの答え”を探求する道筋なのではないかと。
『シン・ゴジラ』のメガホンを取るに当たっては、再三固辞しながら、最終的に「これ一作限りで」という約束で制作に取り掛かった庵野監督。
今回の『春と修羅』や『ゴジラの尾の異形』は、続編が作られないことで、観客に提示された『リドル・ストーリー』のまま謎が回収されず、永遠に議論を呼び続けるのかもしれません。
でもなぁ……「2000%無い」と言って出馬した人もいるしなぁ(笑)
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シン・ゴジラ
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制作を受けることを固辞し続けた庵野監督、その内心はどのようなものだったでしょう…考えてみれば、これほど難しいテーマはありません。
「ゴジラ映画」は既にファースト・シリーズから「平成ゴジラ」、「ミレニアムゴジラ」と二回(米国ゴジラも含めれば三回)もリボーンされています。ストーリー的には、やり尽されているのです。
しかも、各シリーズの最初こそ話題を呼びましたが、次第に別怪獣との“対決モノ”になっていき、評判を下げて制作中止になる繰り返しです。
“対決モノ”という構図は、ウルトラマンや仮面ライダー、戦隊モノのTVドラマの中で大量に、そしてチープに提供され、もはやそれだけで世間の耳目を集める要素になり得ないのではないでしょうか。
また、ゴジラが最初に単独で出現するストーリーにしても、「原子力による影響で生物が怪獣化し」・「人類に対する復讐のように都会を破壊し」・「最後は人類の叡智によってこれに打ち勝つ」という外せない鉄板の要素があります。
ストーリー進行による意外性など追及しようもないし、外せば、きっとブーイングの嵐に見舞われることは火を見るよりも明らかです。
『シン・ゴジラ』が怖くない…という評価をした人たちがいますが、それは当然なのです。誰もが“予定調和”を知っているのですから。
ならば「人間ドラマ」を持ち込むか? …でも、こういう手法もハリウッドで数多く制作されたパニック映画の二番煎じでしかありません。
ではいったいどうすれば……?
庵野監督の出した答えは「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」…まさに、この映画のキャッチコピーどおりではなかったでしょうか。
現実ありのままのこの日本に想定外の巨大不明生物が降り立ったとしたら、どんな対応をすることになるのか。
そのために、監督とスタッフは時間をかけて政府や自衛隊への取材を重ねます。
…『映画の中でファンタジーなのはゴジラだけ』の世界観を実現するために。
ですから、登場人物が専門用語ばかり使う・聞き取れないほど早口な会議・縦割り役所同士の縄張り争い・責任のがれのような発言~などは、全てそうでなくてはなかったのです。リアルであるために。
(もちろん“やり過ぎ”が無いとは言わないけれど。)
結果、『シン・ゴジラ』は今まで誰も見たことが無いゴジラ映画になりました。
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全身から破壊光線を放射したゴジラは、休息を取るように東京駅で眠るかのごとく活動を停止します。
国連軍の核攻撃開始時刻が迫る中、「ヤシオリ作戦」を開始する巨災対メンバーと自衛隊。
ドローンによる無人爆撃が始まり、再び破壊光線を放つゴジラ。そのエネルギーが底を突いたのを見極めて、東京駅に向け発射されたのが新幹線と山手線など線路を疾走する車両爆弾。
倒れ込むものの再び立ち上がって、車両を宙に巻き上げるゴジラ…この車両がネックレスのようにゴジラにまといつくカットは、確かに「ファースト・ゴジラ」にもありました。きっとオマージュなのでしょう。
周囲のビルを崩落させる作戦で再び倒れるゴジラ…その口を狙って、福島第一原発の消火作業にも登場した屈折放水塔車(※参考写真)の決死隊が急行。
(※屈折放水塔車)
しかし、注液作業の半ばで彼らは壊滅。そしてひるまずに第二陣が出立。
次々に倒れて行く仲間たち…コイツは本当に不死身なのか?自分たちの力が及ぶのか?
かくして核攻撃の時限は刻々と迫って来ます…。
庵野監督が意図したこの映画の「怖さ」はゴジラそのものでなく、それがもたらす「首都への核攻撃事態」だったのではないでしょうか?
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1954年のファースト・ゴジラが日本中を震撼させたのは、終戦からまだ9年という当時の状況を抜きにしては語れません。
突如深海から出現したゴジラによる東京の破壊は、第二次世界大戦の忌まわしい記憶を彷彿させる「悪夢」そのものだったでしょう。炎の中、逃げ惑う人々の姿も自らに重ね合わせたに違いありません。
そして、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で第5福竜丸の乗組員が被ばくしたのも、その1954年の3月のことでした。
ゴジラがもたらす恐怖は絵空事でなく、当時の日本人自身に深く刻まれたトラウマを目覚めさせる「恐怖」だったのです。
そして、現代のシン・ゴジラによる放射線被害や政府対応の迷走…それは、僕らフクシマの人間にとって、再び「悪夢」を見せつけられることにほかなりません。
だから、終盤の「ヤシオリ作戦」で、屈折放水塔車に志願した決死隊が最後の結団式で見せる毅然とした表情に、「あの時」の東京消防庁ハイパーレスキュー隊の鈴木成稔隊長が言った『自分たちが最後の砦』という言葉を重ね合わせ、思わず泣けるのです。
そういう意味で『シン・ゴジラ』は福島第一原発事故を色濃く意識した作られ方になっていると思います。
フクシマの人間にとって、そして震災で母を亡くした僕にとって、悪夢(リアル)は今も終わっていないのです。
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『シン・ゴジラ』は、賛否両論あれ、今年の映画界にとってエポック・メイキングな作品となりました。
興行収入は60億円以上が確実と見込まれ、これまで本年トップだった『信長コンチェルト』(40億円)を抜き去り、ハリウッド版『GODZILLA』を凌駕する勢いです。
また、近年主流だった「制作委員会方式」を排し、フリーハンドで制作したことが作品の成功に繋がった事で、映画製作のあり方そのものについても一石を投じました。
願わくば、このまま『シン・ゴジラ』は伝説になって欲しい。安易な「続編制作」などを庵野監督に迫って欲しくない。そう思わせる作品でした。
いや…やはり……(笑)
/// end of the “cinemaアラカルト177「シン・ゴジラ」”///
(追伸)
岸波
『シン・ゴジラ』の“シン”は、「新」であり「真」であり「神」であるとのこと…なるほどね、「シン・ヱヴァンゲリオン」と同じ意味なんだ。
いやぁ、この記事を書くのに本当に苦労しました。もちろん、最初に観た時に「見間違い」してることをタケヒコオーナーに諭され、いったん白紙になったことも当然あります。
何せ、世の中には「庵野教」の信者のような人たちもいまして、下手にケチを付けると袋叩きになるような風潮もありましたし(笑)
ところが最近では、ケチを付けなければ、遅れて感想を述べる意味がないという「逆の風潮」もありますし(大笑い)
まあ僕としては、そういうものに左右されないで、いつものようにマイペースで行くことにしましたけれど。
だから『リドル・ストーリー』に迷い込んでしまう“深読み”はナシで、解らないことは解らないと、ありのままで♪
では、次回の“cinemaアラカルト”で・・・See
you again !
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