「Ice Cubes」 by Fra's Forum♪

 

 

 

 

 

 


◆ シンガポールの休日

(前回の続き) 1983年5月。LNG液化プラントの冷却用海水取水口工事が完成し、ジャカルタへ移動する日が近づいてきました。

  ロクスマウェ最後の日、りんかい建設の事務所で荷物の整理をしているとローカルスタッフの女の子たちが皆ぼくの席の周りに集まってきました。

 なごりを惜しんでくれるのかと思いきや、なにかお土産を置いて行けと・・・運転手にドーナツを買いにいかせ、それでかんべんしてもらいました・・・

地元発祥ドーナツ店 J.CO

 パスポートの有効期間が残り1年を切っていたので、ジャカルタに直行せず、日本へ帰国する所長、副所長、主任と一緒にシンガポールへ行き、所長たちはそのまま日本へ、ぼくはシンガポールの日本大使館でパスポートの更新、インドネシア大使館で長期VISAの取得をすることになりました。

 シンガポールの日本食レストランで別れの会をして、翌朝日本へ帰る皆を送り、それからはパスポートとVISAの申請手続き以外することがなく、ホテルで本を読んだり、オーチャードロードをぶらぶらしたりして暇を持てあましていました。

昔のアポロホテル

 宿泊したアポロホテルは、前年8月に日本から一人でやって来た太太と待ち合せたホテルで、シンガポール川近くのエリアにあって、当時は日本人客が多く宿泊しており、1階には日本の書店や和食レストランもありました。

(高級クラブもありましたがこちらは縁がありませんでした)

 その後経営がNovotel Hotelに代わって日本人客の利用も減ってしまいましたが、今でも当時の雰囲気は残しているようです。

現在のNovotel Hotel

 この頃の住友建設のシンガポール事務所は、事務職の所長が一人でやっていて、メルバウ島の石油化学プラントの工事が終わって稼働中のプロジェクトもなく暇だったため、連夜のようにカラオケクラブを連れまわしてくれました。

 ぼくがシンガポールに駐在した2005年頃は、シンガポールのカラオケクラブは中国本土から短期ビザで来た小姐たちが大勢働いていましたが、この頃はシンガポールの地元の子たちがほとんどでした。

シンガのカラオケクラブ

 SQの制服のようなチャイナドレスで接待してくれ、お持ち帰りも可能だったようですがこちらもぼくには縁がありませんでした。

 勘定はだいぶ高かったようですが、シンガポールMRT工事の入札を控え、一人事務所でも接待費の予算は潤沢だったようです。

MRT Red Hill駅

 1984年10月からはRed Hill駅~Queens Town駅の202工区(電車が地下から地上に出てくる工区)の施工が始まって、日本人社員が大挙して乗り込んでくるのですが、この時は昼は狭い事務所で所長が一人眠たそうにしていました。

 夜になるとすこぶる元気になっていましたが・・・

駅手前で地下から地上へ

 シンガポールはロクスマウェとは違って日本へ電話が簡単に通じるので、毎日電話をしていましたが、α(アルファ)ちゃんー男の子か女の子かわからないので、太太はお腹の子をこう呼んでいましたーは元気に育っているようで、安心しました。

 パスポートの更新と長期VISA取得も無事終わり、いよいよジャカルタへ赴任する日がやってきました。

 飛行機から見おろすジャカルタの町は、高層ビルもほとんど見えず、赤い瓦の屋根が目立つ田舎臭いさびれた街という印象でした。

◆ 現在/織田信長ラーメン

 すっかり秋らしくなり、日が短くなりました・・・

 9月21日、珍しく残業したら佃の中央大橋から中秋の名月がきれいに見えました。

 花月の期間限定らーめん、戦国武将シリーズ「織田信長」。

 信長をイメージした?西洋風トマトベースの特製スープに隠し味として味噌を加えた和洋折衷な味わいとか。

 太太は気に入ってましたが・・・

 最後は同じく花月の「もんじゃそば」。

 まぜまぜして醤油、酢、ラー油お好みでかけて、自分好みの味を作るのですが・・・

 コロナの感染者も減ってきて、緊急事態宣言も解除されそうなので、10月にはいよいよ帰れるかねえ。

(胃とか大腸とか目とかいろいろ検査もしないといけないんだけど・・・)

 (2021.9.26up)

葉羽トマトに味噌か、想像がつかない。アレか、ナポリタンに味噌入れたようなもんかな? うっ・・やっぱ、僕はいいです(笑)



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