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| ◆ 海上の現場にて
工事開始時は浅かった浜辺も浚渫されて十分な深さになっていました。 ずっと事務所に座っていると気が滅入るので、時々海上の現場を見学に行きました。
プラント内は一般人立ち入り禁止だったため、海がきれいで浜辺の桟橋ではイカやサヨリなどが群れをなして海面近くを泳いでいるのを見ることができました。
イカもサヨリもほとんど透明で陽光にキラキラ光っていてしばらくの間見とれてしまっていました。
現場の足場の上からは近くを泳いでいる海亀や海ヘビ、沖合でジャンプしているイルカも見ることができ、つかの間の癒しの時間となっていました。
また日本にLNGを運ぶ大型タンカーがひっきりなしにアルンの港を出入りしていて、あれに乗れば日本に帰れるんだなあ・・・とぼーっと見ていることもよくありました。
この頃、キャンプのガードマンをしている現地スタッフの結婚式に招待され、住建を代表して出席してきました。 花婿は地元の不良グループのボスで、プラントのゲートの前でメダンなど他地区から入ってくるスタッフを待ち伏せしてはナイフで脅して追い返したりしていた男でした。 よそ者を雇わず、地元の人間を雇えというわけですが、そんな活動が功を奏してかキャンプのガードマンとして雇われたようです。 キレると何をするかわからないので気をつけろと言われており、なるべく近づかないようにしていましたが、ここは懐柔しておいた方がよいだろうということで、住建代表として日曜休みをつぶして出席してきました。
イスラム教の式で酒も出ず、食事も質素でお祝いを渡してすぐに帰りましたが、思いのほか喜んでくれ、以後は日本人のみならずメダンから連れてきたスタッフたちにも非常に友好的に接してくれました。 当時、会社の国外勤務規程では、単身者の一時帰国は18カ月以上の勤務が見込まれる場合、駐在開始日から8か月後に一時帰国できることになっていました。 11月半ば以降に一時帰国する権利が発生しましたが、突貫工事だったため一時帰国はプロジェクトが終わって、ジャカルタに移ってからでなければ取れないだろうなあとあきらめていました。
ところが、元請けの千代田化工建設が年末、年始に1週間プロジェクトをストップすることになり、ぼくの他に、本来は駐在予定期間が短くて帰国権利のない副所長と主任を加えた3人で一時帰国できることになりました。 規定では休暇は10日間ですが、12月28日成田着、1月4日には成田発という短い休暇でした。 太太と長女が東京まで迎えに来て、28日は丸の内のパレスホテルに宿泊しました。
◆ 現在/帰郷断念 8月7日から15日まで会社が一斉夏休みとなり、実家の妹や友人たちもワクチン接種をすませ、いよいよ福島に帰省しようと思いましたが、コロナ感染がまったくおさまる気配がなく、埼玉県は緊急事態宣言が発令され、福島県もまん延防止措置適用となったため、帰省はあきらめざるを得ませんでした。 ほぼ2年ぶりの帰省を楽しみにしていたのに残念です。 不要不急の外出は控えろということで、近くのイオンで食材を買ってきて、オリンピックや甲子園大会、大リーグ中継などを見ながら家飲みするぐらいしかすることがありませんでした。
前任地のカンボジアでもコロナ感染は広がり続けていて、8月11日のカンボジア保健省発表では、累計感染者83,000人超、死者数1,600人超となっています。 僕がカンボジアを出た今年の2月7日時点では累計感染者450人ほどで死者はゼロだったのですが・・・
そんな中で国道5号線の現場は雨季に入っても突貫工事でがんばっています。
コンポンチュナンの街を迂回するバイパスもほぼ完成し、バイパス入口と出口に設置するモニュメント(コンポンチュナン名産の陶器と、陶器を作る女性の像)もほぼ完成しています。
バイパス入口の陶器のモニュメントは、まるでキングスライムのようだ(笑)
来年4月の竣工はかなり難しそうですが、施主のカンボジア公共事業省と鋭意ネゴしているようです。
下は近所の優勝軒。 ウリは二郎系のこってり濃厚メガ盛ラーメン。
この日食べたのは「昔ながらのあっさり中華そば」。 あっさりだったが塩辛い・・・味覚が変わったのかも?
7日から9連休も県外へ出られず、写真も取れず・・・太ってしまった。
(2021.8.15up)
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