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| ◆ タイプライターの頃 (前回の続き) しばらくして所長、副所長、主任、大工、鳶の職人さん計5名がやってきて、一部屋に簡易2段ベッドを3つ入れてにぎやかな共同生活が始まりました。 毎日ロクスマウェの事務所からLNG液化プラントに車で20分程かけて通いましたが、プラントを運営しているアメリカのエクソンモービルオイル社は、プラント近くの海辺や内陸部の丘に大規模なキャンプを設営していて、キャンプの中には病院、スーパー、学校などもあって、多くの家族が住んでいました。
なんとかキャンプ内に一軒借りて住めないものかと画策したものの、空きがなく、また空いたとしてもかなり高額な家賃を払わねばならないため諦めざるを得ませんでした。 近年では工場萌えとか言って、プラントや工場の夜間照明や煙突・配管・タンク群の重厚な「構造美」を愛でる奇特な人たちが多くいるそうですが、39年前のこの時は無機質で殺風景なプラントの外観を見ると気が重くなってしまい、日本が恋しくなるばかりでした。 工場萌えが好きそうな夜景 3カ月ほどして千代田化工建設が用意する、プラント内の海辺の宿舎に移れることになり、寝室2、トイレシャワー、居間のあるユニット3つが当社の6名用としてあてがわれました。
ロクスマウェの宿舎の食事はローカルスタッフの奥さんたちが料理する現地料理(魚や野菜の揚げ物、卵料理、水牛のステーキなど)で毎日ほぼ決まったメニューばかりで飽き飽きしていたところ、プラント宿舎の食堂は日本人が経営するケータリング会社が運営しており、鰻の蒲焼や生ハム、シーフードなど見違えるような料理が並んでいて大いに満足したものでした。 アルンLNGプラント ところが日が経つにつれ料理の質がどんどん落ちて行って、ロクスマウェの宿舎と大差ないものになってしまいました。 (どちらもデザートについてくるパパイヤだけはおいしくて飽きが来なかったので、それを大量に食べることで何とかしのいでいました) 後にケータリング社を経営していた日本人が、支給される食材費をピンハネして食事の質を落としていたことが発覚し、会社を変えてからは少しまともなものが食べられるようにはなったのですが・・・ アルンLNGプラント 初めの頃のぼくのメインの仕事はドライバー、事務のマネージャー、アカウンタント等ローカルスタッフの採用でした。 アチェの人たちはほとんど英語を話せないので(インドネシア語も話せず、アチェ語しかダメという人たちもけっこういた)メダンから連れてきたローカルスタッフに通訳してもらい、片言のインドネシア語と英語とで面接をして給料などの条件を決め、契約書はインドネシア語で、手打ちのタイプライターを使って作っていました。 当時のタイプライター また、鉄筋、型枠工事の下請にメダンの工務店CV. TANAKAという会社と契約しましたが、社長のMr. Yusuf Tanakaは(本人曰く)終戦後もインドネシアに残ってインドネシアの独立のために戦った残留日本兵で、独立後現地の女性と結婚して子供たちと会社を興したということでした。 (出身は台湾だそうで、日本語に少しなまりがあった)
◆ 現在/石川島公園 本社のある中央区・佃の石川島公園。 隅田川、朝潮運河沿いに細長く広がっており、1990年4月開設。 シーバスやハゼの釣り場がありますが、基本的に釣り人は少なく隠れ家的なスポットになっています。 1853年に江戸幕府が水戸藩に命じてここに創業した造船所が、後の石川島播磨重工業(現IHI)です。 東京ラーメンストリートへ。 本日はコチラ。 東京煮干らーめん玉(ぎょく)のさらりそば。 煮干と鰹節のきいたスープと博多らーめんのような固めのストレート細麺でおいしくいただきました。 好みとしては麺はもう少し柔らかめのほうがよかったかな。 原稿送ります。 来週火曜日、またイオンモールクリニックで2回目のワクチン接種です。 (太太もいっしょ) 問題はちゃんと抗体がついてるか、だけどどこかで調べてもらおうかなと・・・ (2021.6.20up) そうだよな。そこまで含めてワンセットだと思うんだけどな。 |
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