|
| ◆ 華人文化禁止令 (前回の続き) 1982年(昭和57年)3月14日、太太と1歳6か月の長女に見送られ、成田発シンガポール行きの便に乗り込みました。 今回は一人で先乗りして、後発の作業所長、副所長、主任と鳶、大工の職人さんを待つことになります。 太太は3月末日付で中央区の幼稚園を退職し、長女を連れて福島の実家へ帰ることになっていました。 日本橋箱崎のターミナルからバスで来て、バスの中ではずっと眠っていた長女が初めての空港ロビーを音の鳴るガラガラを振りながらうれしそうによちよち歩きしていたのが強く印象に残っています。 今回はシンガポールのエアポートホテルに泊まって翌朝の便でメダンに入りましたが、今回はパスポートは取られなかったものの、税関で日本語の書籍がすべて没収されてしまいました。 当時インドネシアではスハルト政権の華人文化禁止令により、中国語の教育と公の場での使用が禁止されていました。 スハルト大統領 経済を牛耳っている華僑や、1965年のインドネシア共産党のクーデターを支援したと言われる中国への反発は根深いものがあったようです。 日本語の書籍も漢字を使っているからダメだと言われ、インドネシア語のテキストまで没収されてしまいました。 半年ほどしてメダンの日本領事館から、没収された書籍がメダン税関から送り返されてきたので、心当たりの人は領事館まで取りに来るようにとの通知がありましたが、機会がなく取りにはいけませんでした。 華人文化禁止令はスハルト政権崩壊の1998年まで続くのですが、日本語の書籍が没収されたのはこの時だけでした。 (インドネシアの税関とはその後も長年にわたり様々なトラブルがあるのですが… 。)
メダンから車でロクスマウェへ行き、りんかい建設の宿舎に入りました。りんかい建設は市内の大きな住宅を借り上げて事務所兼宿舎にしており、すでに日本人社員が20人ほど生活していました。 5月にはLNGプラントの拡張工事全体をPTアルンから請け負った千代田化工建設が運営するキャンプに入居できる予定で、それまではロクスマウェの宿舎の一室に二段ベッドを3台入れて後からやって来る当社の所長以下6人で仮住まいをすることになります。 もし太太と長女を連れてくるとしたら、ロクスマウェ市内に家を借りてそこに住むことになりますが、市内にはろくな病院も、まともな食料品や雑貨を買える店もなく、電話も通じておらず日本に電話するには市内にひとつだけある郵便局へ行って申し込みして、繋がるのを待って(30分以上待たされました)ようやく話ができるという状況でした。
りんかい建設では家族帯同者が二人いましたが、お子さんはおらず夫婦二人だけで暮らしていました。 いかに女丈夫の太太でも幼子を連れていきなりここに来て生活していくのはさすがに難しそうでした。
◆ 現在/ラーメンストリート 緊急事態宣言が6月20日まで延長されましたが、相変わらず週3日東京駅から佃の本社までバスに乗って通勤しています。 雨の日は本当に家を出るのがおっくうになりますが・・・ それでも6月1日にやっと第1回目のコロナウイルスワクチンが接種できたので、昼休みの外食を解禁して東京駅八重洲の東京ラーメンストリートまで出かけていきました。 これまでは緊急事態宣言中ということもあり、外食は控えてコンビニの弁当やサンドイッチを事務所で寂しく食べていましたが、これからは晴れて食べたいものを食べに出かけていくことができます。 本日の一品は「ソラノイロ」の淡麗醤油らーめん。 ソラノイロはベジソバとヴィーガンラーメンが有名で、赤坂の本店は2016年から3年連続でミシュランガイド東京・ビブグルマンに掲載されたとか。 スープも細麺もぼくの好みにど真ん中ストライクなのですが、去年1月に会議出席のため一時帰国した時に食べたものよりスープが少しだけしょっぱくなっていたかな・・・。 6月1日、1回目のワクチンを打ってきましたが、全く痛みもなく、副作用もありませんでした。 (逆にちゃんと抗体が付いているか心配。) 昔ジャカルタで肝炎の予防注射をしたときに、3回打っても抗体がつかなかったので・・・ (2021.6.6up) だいじょぶかオイ!ラーメン喰ってる場合じゃないんじゃないのか?(笑) |
Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |