|
| ◆ 海外勤務コトハジメ 77年4月に入社してから、最初の6ヶ月の現場研修(神奈川県南足柄市の郵便局建設現場)を経て本社の経理部財務課勤務となり、大手町や新宿の銀行回り等してましたが、昭和56年1月1日付で海外事業本部へ異動となりました。 当時はイラクで大型工事をいくつか施工していて、若手社員は技術職も事務職もいつでもイラクへ赴任する準備をしておくようにとことあるごとに言われていました。 バグダッドの文部省庁舎、繊維工場、近郊のいくつかの大型橋梁、バスラやモスールの通信局庁舎等々の大規模工事に大勢の社員が従事して盛況を呈していました。
もっともこれらの建造物は湾岸戦争時に多国籍軍によってほとんど破壊されてしまいましたが。 海外事業本部へ移って1年ほどしたころ、上司の総務部長からインドネシアのジャカルタで住友商事のオフィスビルの工事を受注したのでその事務職として赴任してほしいとの内示がありました。 当時のジャカルタ事務所長は東北大工学部卒の先輩で野球部でピッチャーをしていた人でした。 日本に出張で来た時ジャカルタ事務所でぜひ働かせてほしいと売り込んでいたのが功を奏したのかと思いました。 大学時代、仙台6大学の野球はまったく見たことがないのですが、かの大魔神、佐々木主浩投手や斎藤隆投手、金本知憲元阪神監督等そうそうたるメンツが東北福祉大出身なのでけっこうレベルが高かったのでしょうか。 (所長がプレーしていたのは佐々木投手より20以上昔のことになりますが)
すっかりその気になってジャカルタの情報誌などを買い込んで太太と長女も連れて行けると喜んでいましたが、その後しばらく何の話もなかったので、インドネシア担当の営業課長(前ジャカルタ事務所事務長)に確認すると、住商ビルの工事はまだ先の話なので、君はその前にスマトラ島北端のアチェ州にあるアルンLNGプラントの工事に行ってくれと・・・ アチェ州!? しかもプラント以外何もないへき地だし予算もないので単身ベースでと・・・ その時長女は1歳半になろうかという時期でこの子と太太と1年以上離れて暮らすなどとても考えられませんでした。 (福島に帰って太太の実家の税理士事務所の手伝いでもしようかと本気で考えました) そうこうしているうち、本チャンで乗り込む前に一度現地の様子を見てこようということになり、作業所長、工事主任とぼくの三人で現地へ出張することになったのでした。 ◆ 思い出の場所 さて現在ですが、4月1日より本社の国際本部・グローバル人材開発センター配属となり、コロナ対策で会社全体では出勤率50%なのですが仕事に慣れるまではということでここまで7営業日連続で出勤しています。通勤の電車もけっこう密になっていて東京、埼玉のコロナ感染者も少しずつ増えてきている状況下で、不安な気持ちで通勤しています。 グローバル人材の育成、採用、流動化を推進し、日本人、外国籍社員の教育や派遣、管理業務や翻訳業務を行うというよくわからない部署です。 本社のある中央区佃は40年前、太太と長女と三人で暮らしていた晴海のすぐ近くなので、昼休みに足をのばしてみました。 住んでいた中央区立晴海住宅はなんと昔のままの姿で残っていてまだ住んでいる人もいましたが、周りには当時は一つもなかった高層ビルが立ち並び、目の前にあった国際見本市会場は大きな中央清掃工場に変わっていて当時の面影は全くありませんでした。 中央区立晴海住宅 満開の桜が散り始めた先月28,29日、太太と伊豆・片瀬白田の温泉まで出かけてきました。 宿泊した大勘荘は駅から徒歩1分の好立地でネットの口コミ評価の通り、夕食、朝食とも最高に満足できました。 今回のらーめんはイオン上尾店のフードコートに出店している「灯花」。 鯛塩そばがウリですが、ぼくは昔ながらの中華そばをオーダー。 スープを真鯛の出汁で取っているそうで、なかなか奥の深い味わいでした。 細麵にもう少しコシがほしかったかな。 ということで、後は写真に沿って。 まずは晴海区の中央清掃工場。国際見本市会場は1996年に閉鎖された。 清掃工場から出る熱を利用した温浴施設「ほっとぷらざ晴海」。 現在改修の為長期休館中。 晴海住宅北側の「ホテルデンプラザ晴海」跡。 伊豆急行・片瀬白田駅。ひなびた感じ。 駅近くの桜。 続いて、夕食のお造り。 伊勢海老の蝦味噌焼。 他に鮑にバターソテー・肝のソース、鶏の粕漬け等々・・・ メインの伊豆名産、金目鯛の煮付。 灯花・イオン上尾店の「昔ながらの中華そば」。 ラストは太太注文の「鯛塩そば」。 写真はフェースブックに送りました。 1日から平日は毎日出勤し昨日まで7連続出勤。 大宮で始発の京浜東北線に乗り換えて東京まで行って、都バスで佃の本社まで。 ドアツードアで1時間40分かかる。 (しんどいわ。) (2021.4.11up) 最初に遠隔地異動を言われると焦るよな。県職員だって福島県は広いので引っ越し必須・・大抵は単身赴任だ。でもまぁ、それはいろんな場所・職場を経験させて視野を広げるための人材育成策。当時は、紙切れ一枚の辞令で飛ばされる軽い人生と自嘲してたけどな(笑) |
Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |