|
| ◆ カンボジア(柬埔寨)便り-28「虐殺博物館」 先月25日ANAから12月に6便、1月に2便プノンペン直行便を飛ばすとのプレスリリースがあって喜んでいたら、29日から30日にかけて合わせて15名のコロナの市中感染者が出て、その中の何人かがイーオン1号店で買い物していたため29日から12月2日の午後3時までイーオンが閉鎖になってしまいました。 幸い検査で陽性者が出なかったため早めに再開できたのでよかったですが、その後も毎日新規感染者が確認されています。 累計感染者はまだ335例ですが、これからカンボジアもヤバい状況になっていくかもしれません。 話変わって、朝ドラ「エール」が終わってしまいましたね。 涙腺が脆くなったぼくは何度も泣かされましたが、最終週のオリンピックの場面では「本当なら2度目のオリンピックが日本で開催されていたはずだったのに・・・」と実に複雑な思いでした。 (来年本当に開催できるのかなあ。) 今回のプノンペン行きでついにというかようやくというか・・・トゥールスレン虐殺博物館へ行ってきました。 館内案内図 太太が最初にカンボジアに来た去年の8月、まず二人で初めに見ておかないといけないかなと話したのですが、なにか気が重くて次の機会にと延ばし延ばししているうちコロナ騒動で太太が来ることができなくなりやむを得ず一人で行ってきました。 1975年~1979年のポルポト政権時代に反革命分子とみなされた人たちを収容して拷問、処刑を行っていた所でカンボジアの悲劇の歴史を伝える場所です。 (2003年に世界記憶遺産に登録されています。) ここには幼児から老人まで2万人ほどの罪なき人々が収容され、生きて出られたのは8人だけだったそうです。 ポルポト政権は農業主体の共同社会の建設を目指して、通貨を廃止、学校教育を否定して極端な原始共産制を実現しようとしていました。 インテリは全て反革命分子とみなしメガネをかけているというだけで収容して処刑してしまったとか。 中庭にある被害者の像 博物館はもとは高校の校舎だった建物ですが、中に入ると犠牲者の頭蓋骨や、収容者の写真、拷問に使われた道具などが並んでいて、建物の中は撮影禁止でしたがそもそもシャッターを押すような気にはなりませんでした。 その日は入館者が他に誰もおらず、空調も全くなかったため空気がやたらと重たく感じられ憂鬱で悲しい気分になってしまいました。 ということで、写真を撮れた風景のみ順に説明します。 最初はトゥールスレン虐殺博物館入口。もとは高校の校舎だったと言う。 収容所がベトナム軍に制圧される寸前に処刑された最後の犠牲者14人の慰霊碑。 校舎3階から被害者の像を望む。 こうして見るとただの古びた高校の校舎風。 収容棟には逃亡や自殺を防ぐため有刺鉄線が張りめぐされていた。 校舎2階。室内は独居房や雑居房。 拷問に使われていた遊具。 被害者の人形がなんともシュール。 観覧後はシャングリラ2号店まで歩いて淡麗醤油つけ麺でビール。 平和な時代に平和な国に生まれた幸せをかみしめました。 今回雅楽で食べた白子ポン酢。日本酒がうまい。 のどぐろ炭火焼き。こちらも日本酒が進む。 〆の鮨5貫。 小肌が食べたいのだけど日本以外ではまず無理かなあ。 原稿送ります。 カンボジアもヤバい状況になってきました。 ところで昨日鬼滅の刃の最終23巻が発売になり、さっそく電子版を購入。 最終話がかなり加筆されていてこちらもヤバい。 (また枕を濡らしてしまいました・・・) (2020.12.6up) 僕も鬼滅の刃を電子版で読んだよ。福島とカンボジアで同時に枕を濡らしたかもな(笑) |
Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |