「Ice Cubes」 by Fra's Forum♪

 

 

 

 

 

 


◆ 駐在員生活の思い出/飾り窓の女

1990年(平成2年)に入り、ジョモ・ケニヤッタ農工大学拡張工事のスタッフも決まって、イラクの工事で下請をしたインドの建設会社からエンジニアを二人派遣してもらうことになりました。

 まずは二人を日本に呼んで雇用契約を交わすことになり、ケニアのビザや予防注射(黄熱病や破傷風など、ぼくも一緒に接種)の手配から、休みの日の東京観光など2週間ほどの滞在中ずっと世話をすることに。

(一人はヒンドゥー教のベジタリアン、一人はイスラム教徒だったので食事の手配が大変。どちらも長く海外で出稼ぎしていて、かなりフレキシブルだったのでなんとかなりましたが)

 ジャカルタのソフトボールチーム、パラダイスのOBが何度も送別会をやってくれ、最後の送別会では2次会で行った新橋のカラオケの後で胴上げされてしまいました。

(胴上げされたのは、結婚式の後とこの時、人生で2回だけ)

 ケニアには、まず僕が一人で先乗りすることになりKLM航空で2月23日1200成田発、12時間飛んでアムステルダム・スキポール空港に現地時間1610着。(日本時間翌24日00時10分)

 KLMが手配してくれた空港近くのホテルにチェックインし、まずは市内観光とタクシーで中央駅へ。

 駅のすぐ近くは「Red Light District」。


 有名な飾り窓の通りが続いていて、セクシーなお姉さんたち(妖艶な美人もいれば、とても相手にはならないなというようなのも・・・)が誘ってきました。

(オランダは今でも売春やドラッグが合法)


 さすがに遊んでいく勇気はなく、しばらく冷やかしてホテルへ戻り、ベッドに直行しましたが、窓の明かりがちらついてなかなか寝付けなかったような・・・

(8時間の時差のせいか?)

 翌日1300発のKLM便で飛び、ナイロビ空港2330到着。 ナイロビ事務所長が自分で車を運転して迎えてくれました。

 空港を出るとフェンスの向こうに夜のサバンナが広がっていて、所長が「この辺、昼間はよくキリンが歩いてるんだよ」などと教えてくれ、アフリカに来たんだなあ・・・と実感。

ケニアのキリンたち

 ナイロビ市内のヘロン・コートというひなびたホテルに到着。家を見つけるまで、しばらくはここに寝泊まりすることになるのですが、グラウンドフロアーに有名なレストランバーがあり、いろんな客が集まって来ました。

 これはだいぶ後の話ですが、このレストランに武装した強盗集団が立て籠って、人質にした女性客を犯しまくり、男性客は撃たれたり暴行されたりというテロ事件があったそうです。

 翌25日は日曜日で、右も左もわからないので一人ホテルでじっとしていました。夕食は所長がナイロビに3軒だけある日本食レストランの内、一番おいしいというその名も「日本人クラブ」へ連れて行ってくれました。

 焼鳥、うどん、肉豆腐などをいただきましたが材料が現地のものであまりおいしくは感じず、やはりケニアでは食事はあまり期待できないなあと・・・

←現地のビールはけっこういけた

(現在/近場で食べ歩き)

 寒さが厳しくなり、すっかり抵抗力がなくなったぼくはほとんど遠出をしなくなって、近場のおいしい店を中心に食べ歩きしています。

 家から歩いて八分の大宮市場(大宮総合食品地方卸売市場)。


 寿司、天ぷら、海鮮、洋食等々いろんな店があって楽しい。

 朝5時から営業している中華、「はちまき家」のわんたんめん。

 ほんとに昔ながらのラーメンの味。

 市場の北にある四季彩料理・吉祥。

 鯛の兜煮定食と魚づくし定食。


 山崎のハイボールでいただく。

 上尾駅前の沖縄料理「亜空“(あぐう)」。

 海ぶどうとミミガー。

 ジーマミー豆腐とラフテー。

 店長おすすめのタコスピザ。

 泡盛カクテルと沖縄のオリオンビールでおいしくいただく。

 花月の期間限定、とん汁ラーメン。


 とん汁スープはラーメンには合わないかな・・・

 #177送ります。毎度遅くにごめん。

 ほんとに寒さに弱くなって、熱は出ないまでもふらついたり、めまいがしたりする。

(赤道直下の暑い地域で長く暮らしたせいかなあ。)

 (2025.1.26up)

葉羽寒暖もそうだけど重力の違いもあったりして。赤道付近は地球の遠心力が強く働くから身体が軽くなるよね。

 

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