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| ◆ 駐在員生活の思い出/グアムかケニアか
鶴間の時と同様、ドアツードアで1時間40分ほどかけて通勤。帰りは四谷か新宿で飲んで終電を逃してカプセルホテルに泊まったり・・・ 12月27日の仕事納めの日も会社で遅くまで飲んで帰り、28日朝家族で福島へ帰省。 30日には大学時代の友人たちと飲み歩いて11時過ぎに帰宅。たいたいと子供たちから白い目で見られていました。 明けて1989年(昭和64年)。 ジャカルタのソフトボールチーム、パラダイスOBの新年会の幹事をしていて、1月8日に新宿三角ビル47階の住友クラブを予約。 ところが1月7日に昭和天皇崩御。あえなく予約をキャンセルし、その後しばらくは飲み会も自粛することになりました。
当時、会社はグアムで大規模開発事業を展開していて、ホテル、コンドミニアム、ゴルフ場などのリゾート施設を建設していました。 アルンで、我が家の向いに家族で住んでいた副所長がホテルの工事所長をしていて、事務担当で駐在しないかと誘いを受けました。 新婚旅行で行ったグアムへ家族で行くのもいいかなとすっかりその気になっていましたが、グアムの統括所長が古い土建屋気質丸出しのパワハラ男で、少し前に車の売却申請書類の詳細を確認したところ、「オレの申請書類にケチをつけるのか」と怒鳴り散らされたことがあり、その時のぼくの対応が気に入らなかったようで、グアム駐在の話は却下されてしまいました。 (グアムのリゾートホテル↓)
それからしばらくして、ケニアでODA案件が出て、たいたいにその話をすると「アフリカに行ってみたい。スタッフ選考があったら絶対手を挙げて」と厳命されました。 しばらくして上司の工務課長から、ナイロビのジョモ・ケニヤッタ農工大学拡張工事の事務担当で行きたい者がいるか?」と打診があり、その場で手を挙げて「私が行きます」と。 (完成したジョモ・ケニヤッタ農工大学講義棟前でたいたいと子供たち↓)
工務課にいた同期の事務職は入社1年目からケニアに派遣され、現地スタッフの給料を持って現場へ向かうところを、運転する車の前後をふさいで止められ、銃を突きつけられて大金を強奪されたうえ射殺されそうになったという恐ろしい体験をしており、「あんな治安が悪くてインフラも酷いところに家族を連れて行くのはやめた方がいい」と本気で心配してくれました。 一方、家族でケニアに駐在した先輩達は、「ケニアの自然はすばらしく、子供たちにもぜひ経験させるべき」と強く勧めてくれたのですが・・・ (現在/新橋演舞場で歌舞伎観劇) 1月3日、新橋演舞場で歌舞伎を観劇。
市川團十郎が四役早替りを演じる双仮名手本三升(ならびがきまねてみます)。
團十郎が大星由良之助、早野勘平、斧定九郎、高師直の四役を勤め見ごたえ十分。
休憩時間に幕ノ内弁当を。
夕食は浦和パルコの叙々苑で。
ユッケ、タン塩、ハラミ、カルビといつものオーダー。 ここはたいたいの大好物、ユッケが食べられるのがうれしい。
花月の期間限定・博多ラーメン健太。
超こってり味と・・
美味すっきり味。
たいたい注文の超こってり味を一口食べてみたけど、豚骨臭が強すぎてぼくには無理。 すっきり味をおいしくいただきました。 #176送ります。毎度遅くにごめん。 時々思うんだけど、あの時ケニアじゃなくてグアムに行っていたら、その後の人生おおきくかわったんだろうなぁ。
(2025.1.12up)
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