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| ◆ 駐在員生活の思い出/予想外の帰国命令 12月に入りアルンLNGプラント土建工事もピークを過ぎ、最盛期には20人以上いた日本人スタッフも担当業務が終了した者から日本へ帰国することになり、彼らの帰国と途中の立ち寄り旅行等の手配を依頼されるようになりました。 また残留者の年末年始休暇の旅行の手配もあって本来の仕事よりそちらの方が忙しいような状況でした。 それでも、ぼくはみんなの帰国をアレンジして、工事完了後の後始末までしてから最後に帰るのだろうなと覚悟していましたが、ある日帰宅しようとしたところを所長に呼ばれ、来年3月末ごろを目途に帰国するようにと伝えられました。
当時の日本はバブル真最中で、本社も国内、海外ともに工事受注が激増して人出がたりず、全社的に人員配置を見直しているということでした。 そのころ、たいたいは子供たちの友人家族との交友やインターナショナルスクールの行事、日曜学校などに積極的に参加し、家では庭に小さな畑を作って日本の胡瓜、オクラ、ナスなどを栽培して、会社の同僚や発注者のJGC(日揮)の人たちを家に招待して料理をふるまったりとけっこう生活をエンジョイいているように見えたのですが、帰国が早まる話を伝えると大喜びしていました。 (やはりこの最果ての地に島流しされたような生活は大変だったのだなあと痛感しました) 日本に帰ったらいままで女中さんまかせだった料理、洗濯、掃除、など家事全般すべてやらなければいけないのはしんどいかもとか贅沢な悩みも言っていましたが・・・
一方で、子供たちの帰国後はおおいに心配でした。 何しろ帰国時点で長女7歳6か月、長男4歳6か月、次女2歳6か月になりますが、日本にいたのは、長女3年3ヶ月、長男3ヶ月、次女にいたっては生後三か月の時に一時帰国した2週間だけという頼りなさなので・・・ 仕事は後輩の事務職に引継ぎし、所長も副所長に引継ぎをして帰国することになり、最盛時の半分以下のスリムな体制で工事完成まで進めることになりました。 帰国の際、たいたいの希望で(かなり遠回りになりますが)オーストラリアに寄って帰ることにしてツアーを予約しようとしましたが、当時もオーストラリアツアーは人気が高く、なかなか予約が取れないまま帰国の日が迫ってきました。 (現在/46回目の結婚記念日) たいたいと二人で古希を迎えたお祝いに子供たちからプレゼントされた旅行券で箱根湯本のホテルおかだに宿泊。 露天風呂付きの部屋からの眺めもすばらしく、料理も豪華。 翌日は強羅からケーブルカーで大涌谷から芦ノ湖まで足を延ばしビューレストランで昼食。 天気も良くすばらしい結婚記念日でした。 なぜここにエヴァンゲリオン?と思ったら、箱根はエヴァの第3新東京市、だった。 箱根湯本駅前「山そば」 地元の自然薯をたっぷり使ったとろろそば(冷)と・・ 山芋そば(温) 山の香たっぷりの特選・山茸で昼前から一献 久しぶりに上尾駅前「らーめん はやし」へ。 上尾のラーメンランキング2位だけど、ぼく的には1位の店 出汁にとことんこだわった極上醤油雲呑麺は2290円。 2年前に食べた醤油雲呑麺(1150円)の2倍の値段に・・・ 具も倍ほどに増えていてスープもさすがの味だったけど、この値段はさすがに・・・ コスパの点で1位になれないのかな?と思ってしまう。 #172送ります。 箱根に行く前夜、珍しく37℃越え。 翌朝、36.5℃まで下がってなんとか旅行に行けたが、夜また咳が出て熱っぽかった。 (咳はまだ続いているし、年のせいか治りが遅くてまいってしまうね。) (2024.11.17up) インフルだったんじゃないのか?感染症に気を付けよう。 |
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