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| ◆ 駐在員生活の思い出/インターナショナルスクール 早朝のセスナ便でアルンに戻り、たいたいと子供たちを家に送って、そのまま現場事務所に出勤。 また医療も通信事情も最悪の状況下で、インドネシアでの忙しい日々が始まりました。 休みは月1日か2日という超ブラックな職場でしたが、昼休みは90分あったので、その時間を利用して同僚に車の運転を教えてもらいました。 広大な敷地内で運転の練習 同上 同上
当時のぼくは典型的ペーパードライバーで、大学4年の夏休みに運転免許を取得したものの、その後運転する機会がまったくなく、10年以上ハンドルを握っていなかったので、外界から完全隔離された広いプラント内で思う存分実習できる環境はありがたいものでした。 たいたいと子供たちも慣れない環境で頑張っていました。 長女はインターナショナルスクールで、習字(ABCの)、作文、算数などはオール1(日本の5にあたる)の成績でしたが、さすがに英会話には苦労していました。
たいたいもスクールの行事に積極的に参加していましたが、やはり英会話が大変で、仲良くしてくれたアメリカ人の夫人にずいぶんと助けてもらっていたようです。 当時(1980年代)は日本でもハロウィンの行事などほとんど話題になっていなかったと思いますが、インターナショナルスクールではスマトラ島北端のアチェくんだりでも盛大に仮装大会を催して、子供たちは「トリックオアトリート?」と言って家々を渡り歩いていました。 音楽の授業で賛美歌を歌う これを見て、たいたいに「子供のころ“だんごくいでこっこ”と言って近所の家を回ってお菓子やお小遣いをもらったことがある」と言ったら「なにそれ!」と大笑いされてしまいました。 たいたいは実家は福島でも、仙台生まれの青森育ち(小学生まで)でそんな風習は聞いたことがないと・・・ 60年ほど前、一度近所の子らとそれをしたら、新潟生まれの父と山梨生まれで東京育ちの母から「ご近所に恥ずかしいからあんなことはやめなさい」と禁止され、ほどなく学校からも「物乞いみたいなまねを子供にさせるのはいかがなものか」という話が出て、この風習は姿を消してしまいました・・・ (現在/2024年のハロウィン) イオンモール上尾のハロウィンモニュメント。 1987年、北スマトラ・アチェのインターナショナルスクールのハロウィン仮装大会。長女はピエロ。 長男は大河ドラマ「伊達政宗」の梵天丸、次女はチョウチョ。 10月26日(土)はたいたいと孫の保育園の運動会の応援で川崎まで出かけ、その後横浜まで足をのばして関内駅前のEverybody’s Tableでランチ。 目当ての天ぷら屋さんが長蛇の列で90分待ち(しかも閉店まで60分しかない)だったので、近くでよさげな店を探していると雰囲気のいいイタリアンの店を発見。 ・・と思って入ったところ、ラーメンを食べている客が多く?? メニューを見るとなんと四川料理の店でした。 さらに、オーナーがニュージーランドでラーメン店を経営しているとかで、ニュージーランドのワインやクラフトビールが多数提供されていました。 クラフトビールでスパイス豆、ポルティーニ茸入焼売など。 今週のラーメンはイオンモール上尾・東京餃子軒の醤油ラーメン。 (羽根付餃子のセット) 昔ながらのシンプルな味でグッド。 #171送ります。 気づいたらもう霜月。 2,3年前までは冬の寒さも心地よいとか思っていたけど・・ (年のせいか、寒さが真にこたえるようになってしまった) (2024.11.3up) あはは、ちょうど僕らも今日、ハロウィンにかこつけて「だんごくいでこっこ」の話をしてたトコだよ。アレってニワトリの真似するんじゃなかったっけ? |
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