![]() |
|
|||||||
|
| ◆ 帰国か残留か?
わがパラダイスも好調で、日本人学校を2-1で破って6勝1分けで2部リーグ優勝を飾りました。 優勝祝賀会を我が家の広いリビングルームで開催し、その時に供した鯛の尾頭付きは、しばらくの間、ニョニャ(ご婦人たち)の間で語り草になっていました。
その後も送別会やら、ゴルフコンペの表彰式やらクリスマスパーティやら我が家で開催することが多くなり太太の料理の腕も格段に上達していきました。 仕事ではコタのグロドックショッピングモール、スマトラ島ランプンの砂糖工場など順調に進んでいましたが、海外の経理処理もコンピューター会計を導入する方向で進んでいて、経理部からぼくの後任がパソコンを持ってやってくることになっていました。 当時のインドネシアは通貨バスケット制という、複数の主要貿易国の通貨を1つのバスケットに入れて為替の変動を加重平均して緩和する制度を採用していて、為替レートはほぼ固定(緩やかにルピア安に進んでいた)されていましたが、1986年9月12日、インドネシア中央銀行が突然1ドル1134ルピア→1644ルピアへのデヴァリュエーション(平価切下げ)を発表しました。
実に45%の切り下げでこれはドル―円のレートが一夜にして1ドル120円から174円になるようなものです。 石油輸出収入が大幅に減少していたため、輸出を増やすために挙行されたそうですが、78年11月と83年3月にもやはり50%ほどのデヴァリュエーションがされたことがあり、インドネシアの国際的信用を著しく失墜させていたのでまさかもうやらないだろうと思われていたところの抜き打ち的な発表でした。
83年の切下げ時は北スマトラ・アルンの現場にいて、収入、支払も全てドル建てだったのでほとんど影響を感じていませんでしたが、今回はプロジェクトの工事代金も一部ルピア建てで、ルピアの預金もけっこう残高があったので青くなってしまいました。 83年の時も、同現場で一緒に働いていた、りんかい建設の日本人スタッフの人達は、給料をルピア建てでもらっていたので、いきなり給料が2/3に減ったようなもので大変だったようです。
グロドック、砂糖工場とも工事代金はドルとルピアの両建てでルピアはなるべくドルに換えて預金していましたが、まだドル転していないものが1億円相当ありがっかりしましたが、ドル預金に多額の為替の評価益が出て、その年のスミコンウタマ決算は大幅な黒字になりました。 10月になると、気分はもうすっかり帰国モードになり、帰国後の暮らしをどうするかばかり考えていましたが、JGC(日揮)が受注したアルンのLPGプラントの土建ポーションの工事の引き合いがあり、見積書を提出すると、意外と好感触で受注できそうな感じでした。
これが受注となると、またアルンに行かなければならず;不安な気持ちのまま、年越しすることとなりました。
◆ 現在/日本のスイーツを堪能 ようやく暖かくなって、庭の花たちも咲き始めました。 週2日の出勤も楽になり、出勤の日は帰りに東京駅中のグランスタやエキュートでスイーツを買って帰り、太太と二人で楽しんでいます。 昔から酒と同じくらい甘いものが大好きだったのが、東南アジアやアフリカ、中東の駐在地ではおいしいスイーツがなかったので、酒一辺倒になっていましたが、東京駅には全国各地のスイーツの名店が出店していて毎回の出勤日が楽しみで、二刀流に産まれてきたことをあらためて神と両親に感謝しています。 ということで、我が家の庭の花たち。
バラももうすぐ満開です。
東京駅中のエキュート。 入口にイベントスペースがあり、期間限定で各地の名店が出店している。
4/4~4/27は「はるいろピスタチオ」で東京会館が出店。
東京会館のピスタチオとマロンシャンティ―。絶品。
東京会館 ピスタチオラズベリーとモンブラン。
ル・ビエ ルージュ・ブランシェとフレーズ・トランペ。
花月の期間限定らーめんは東京新宿御苑の「金色不如帰」真鯛と蛤の塩そば。
三年連続ミシュランの一つ星獲得とかで、スープはもちろんイベリコ豚のチャーシュー、ルッコラとバジルを乗せたりと具にもかなりのこだわりが感じられ、洗練された味でした。
ラーメンとしては上品すぎる気もしますが・・・ 最近忙しくなって、福島に桜を見に行くのは来年に持ち越し。 GWは10連休だけど、子供たちの家を回って孫たちと遊ぶ予定。
(2022.4.24up)
|
| Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |