|
| ◆ 朗報と悲報と (前回の続き)このころには太太のお腹もだいぶ大きくなってきましたが、相変わらず平日は仕事に接待に、週末はゴルフとジャパンクラブのソフトボール、更に加えて毎週水曜夜にはジャカルタインターナショナルスクール迄出かけて行ってアメリカンリーグのソフトボールに興じていました。 アメリカのチームとはパワーの差が歴然で、なかなか勝てずに19連敗の後ようやく初勝利を挙げることができました。 (その試合はぼくの先頭打者ホームランもあり、19-7で快勝) その後なんとか2勝を加え、最終的に3勝21敗の成績を残しましたが、やはりレベルの違いを痛感したこともあり、平日の夜に集まるのも大変だったため、アメリカンリーグ参戦はこの年限りとなりました。
1985年8月2日、我々夫婦の31歳の誕生日の前日(まだ予定日の1カ月以上前)、朝5時に太太が「産まれそう」と大騒ぎし、あわててタクシーを拾ってブンダ病院に駆け込みました。 長女出産のときも我々夫婦と同じ誕生日にしたいと思っていたのが、予定日の計算が間違っていたらしく一カ月以上遅れて産まれてきたので、今度こそ同じ誕生日の子が産まれるかと期待しましたが、結局その日は陣痛?がおさまってしまい夕方にむなしく病院から家に帰ってきました。 それ以後はまったく産まれそうな兆しもなく過ぎてしまいましたが、13日に珍しく実家の妹から国際電話が入り、涙声で「父さんが前立腺がんで余命6ヶ月と診断された」と。 本人には告知していないけどなんとか手術を受けさせるつもりと・・・
2年ほど前から腰が痛いと言って、定年退職後再就職した会社をやめて家で休んでいたのですが、根っからの医者ぎらいで検査を拒絶していて、妹が泣いて頼んで検査を受けさせたところ末期がんと診断され・・・ 第三子誕生を楽しみにしてくれていて、誕生後飛行機に乗れるようになったら孫の顔を見せに帰ると約束していたのですが・・・ その2日後の8月15日には御巣鷹で日航機の墜落事故があり、第三子出産を間近にした幸せな気分がすっかり暗転してしまいました。 さらに1ヵ月が経ち、今度は予定日前日になってもまったく産まれる気配がないので、ブンダ病院に入院して陣痛促進剤を打ってもらい、翌17日の夜10時、ようやく次女誕生の運びとなりました。 長女、長男の時は飲みに出かけていてずっと太太に嫌味を言われていたので、この日は病院に詰めて誕生の瞬間を待っていました。
次女は長女と長男の誕生日の間に産まれたため、その後ずっと2週間の間に3回誕生祝をすることになるのですが・・・ 父は9月11日前立腺摘出手術を受け、成功したと連絡がありました。 術後の経過が思いのほかよくて、余命6ヶ月の診断でしたが、そのあと寛解状態となり6年以上頑張ってくれるのですが・・・
◆ 現在/桜が開花 ようやく寒さもゆるんできて、日も長くなってきました。 去年2月にカンボジアから帰国し、この一年間は四季の移ろいを肌で感じることができました。今は冬の寒さも愛おしく思えます。 オミクロンと大雪のせいで食べに行けなかったので、角上魚類で活きズワイガニを購入。 (脚が一本とれていたので二割引き) 11年前近所(さいたま市宮原町)にオープンした角上魚類。 新鮮な魚介類が安く買えるので、開店以後まったく回らない寿司屋に行かなくなってしまった。 のどぐろなど高級魚もさばいてくれる。 お気に入りはウマズラハギ。肝が大きくて美味。 佃中央大橋の袂で早くも気の早い桜が開花。 10日は天気が良く暖かかったので八丁堀迄歩いて久しぶりに吉野家へ。 肉だく牛黒カレー。 牛丼に黒カレーをかけた感じでバランスよくないかな。 1年ほど前から「チャーハンのおいしい店」を看板に出してきた麺屋・東龍。 こちらが売りの「しっとり系」チャーハン。 おいしいのだけど、ぼくはチャーハンはパラパラ系であるべしと思っているので・・・ こちらは東竜の雲吞緬。普通においしい。 グローバル人材開発センターの仕事が増えてきたので、もう1年、契約延長することにしました。 (悠々自適の生活はまだ先になりそう・・・) あ、それと通信#103の8.チャーシュー麺の写真が7.道頓堀ラーメンの写真になっていたので、 差替えといてくださいな。 (2022.3.13up) あ!?ソラノイロ・ラーメンは単ミス。すぐ直した。それと、そっちももう一年か。実はこっちも後一年になったんだ・・6月で辞めたかったけれど。でもまあ、何かしら仕事があるってのはいい事かもね、年金少ないし(笑) |
Copyright(C) JUN&Habane. All Rights Reserved. |