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| ◆ 台湾到着! (2003年)7月25日に台湾に赴任しました。 台北に事務所があるけど、台中で新幹線軌道スラブ作成、高雄で地下鉄シールド工事(2件)のプロジェクトがあって、さっそく高雄、台中を回ったりでメールアドレスを取るのが遅くなってしまいました。
しばらくの間台北、台中、高雄を行ったり来たりするので、当分はホテル住まいになりそうです。 いままでは運転手付の車で通勤し、メイドが炊事、洗濯、掃除などの雑用を全てやってくれていたのが、毎日朝昼晩と3食外食、20数年ぶりに洗濯も自分でしなければいけない。 ま、コインランドリーかなんかでするんだけど、切り替えが大変です。 まず最初に台北に着いた時に、会社の人が迎えに来てくれたのだけど、そこから社有車でなく空港からバスで事務所に連れていかれたのが驚きでした。 逆カルチャーショックとでもいうのですかね。 (前任地のケニアでは、危険なのでかなり慣れるまで極力バスやタクシーには乗るなと言われいたので)
岸波先生の「ラーメン道」に触発されたわけではないですが、こちらに来てから毎日麺類を食べています。 担子麺やら牛肉麺やらワンタン麺やら・・・次に刀削麺を食べたいと思っているのですが。 最近の日本のラーメン屋さんと違って、こちらでは麺にもスープにも特別なこだわり等がなく、実に素朴な味だけど、そこがかえって気に入っています。 そういえば、通信はその76,77の他にリメイクやらリニューアルやら編が3通届いています。 (仕事する暇あるの?)
通信といえば、外国で感じたカルチャーショックのレスを募集してましたね。 最近も上述のようなカルチャーショックを受けたばかりですが、いま思い返してみるとほぼ17年になる海外生活で、あまり大きなショックというのはなかったような・・・ メダンの国際空港のイミグレでパスポートを取り上げられ、お金を請求されたとか・・ イエメンのサナア空港で、職員にセキュリティチェックのレントゲンに入れた荷物を取り上げられ、お金をせびられたとか・・ ローマの空港でも注意していたのに結局だまされて相場の倍ほどのタクシーに乗せられたとか・・ エルサレムでガイドにだまされたりとか・・・ほんとに「生き馬の目を抜く」という状況を実感したという事は多々あるけど-ところで空港でのトラブルって多いよね。 そういや、ブリスベーン空港まで乗ったタクシーの中に家族全員のパスポートと航空券を入れた鞄を置き忘れたなんてこともあった。
カルチャーショックというか、日本との違いを一番感じたのは、やはり宗教の問題ですね。 特にイスラム教のラマダン(イスラム歴の9月)-断食は日本人には理解するのがかなり難しいと思う。 日本にいるとイスラム教の信者と接する機会もほとんどないし。 21年前、初めて駐在したのが、インドネシア・スマトラ島の北端・アチェ州(最近独立運動が盛ん)のアルン。
その年は6月の下旬から断食開始。 (毎年10日ぐらいずつ早くなるので、今年は11月下旬頃から始まるのかな) その少し前に日本人スタッフの間に回覧が回り「イスラム教徒は断食期間中-日の出から日没迄の間、食事はおろか、水も飲まず、煙草も吸わず、つばも飲み込んではいけないので、異教徒のわれわれも彼らの前では飲食、喫煙等を控えるように」とのことだった。
なぜ20世紀の世にこんな前近代的で非生産的なことをするのか、インドネシアのスタッフに聞いても納得のいく答は返ってこない。 コーランに書いてあるとか、昔は一年中戦争をしていたので、断食期間中に停戦するんだとか・・・。 その後もキリスト教圏のケニア、フィリピン駐在をはさんで、またインドネシ、そしてヨルダンとイスラム教圏の国に駐在したけど、やはり断食の意義というか必要性というものが理解できない。 (キリスト教圏のケニア、フィリピンにもイスラム教徒は結構いるし、断食が開ける日は祝日になったりする) 最近はマスコミでもイスラム教を取り上げることが多くなって、断食は「世界中のイスラム教徒が同時に一斉に断食して一体感を強めるため」とか「豊かな教徒も貧しい人達のつらさを知るため」とか理由付けをしているけど、ぼくの実感では末端のイスラム教徒達がこういった信条をもって断食をしているとはどうも思えない。 話は変わって、去年の11月にはケニアのモンバサでイスラエルの飛行機へのミサイル攻撃とホテルへの自爆テロが同時に起こり、一昨日はジャカルタでホテル(このホテル、ぼくの2度目のジャカルタ駐在時に当社で躯体を施工したホテルだった)への爆弾テロがあったけど、イスラム原理主義者の考え、行動はまさしく理解不能。
ヨルダンでは、3年前にイスラエル-ヨルダンの国境を流れるヨルダン川に架ける橋の工事に従事していて、このときは、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が入り交じって一緒に仕事をしていたけど、普通に仕事をしている分にはあまり宗教の違いを意識することはなかった。 (ヨルダンにもキリスト教徒はいて、公共事業省の担当官はキリスト教徒だった) しかし、一旦事あればそのために殺し合ったりすることもあるわけで、実際イスラエル、パレスティナ自治区などでは未だに報復合戦をしていて・・・ ぼくがいた99~2000年頃は穏健派といわれたバラクがイスラエルの首相になって、和平ムードが高まっていたのにすっかり様変わりしてしまった。 一応、仏教徒とはいえほとんど無宗教に近いぼくには理解が難しいし、大方の日本人も同じような感じではないでしょうか。 国際化とか国際交流を考えるときに宗教の問題が一番ネックになるのは間違いないでしょうね。 (何か書いているうちに全くまとまりがなくなってしまった)
宗教の問題は微妙だし、いろんな人が言い尽くしていると思うけど、実感として感じている事を思いつくまま書いてみました。 まだプロジェクトが本格的に稼動してないので暇だし、いままですっかりご無沙汰してしまった友人達にこの20年ほどのレポートをする意味もあってね。 いま、9月に何とか休暇を取って日本に帰り、福島にも行ってみようと思っています。 日程が決まったら連絡するので、一杯やりますか。 台湾での同窓会の日取りも決めちゃう? では、再見。
(2006.3.14) 今回のNews-02は時代を少しさかのぼり、三年前、JUNが前の任地である台北に着任した時の便りをお届けしました。長文でメールをもらってたのに、やっと紹介する場ができてうれしいです。(ホッ) |
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