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Written by まっさん命の小柴
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BGM:「古都」by MusicMaterial

※Uta-Net「木根川橋」の歌詞へ>

 

まっさん命の小柴まっさん命の小柴

 さだまさし 40周年記念コンサートツアー「さだまつり」の前夜祭“ しゃべるDAY”からの最終話です。

僕の経歴についてですが…

【幼少期】
3歳8ヶ月でヴァイオリンを習い始める。

【小学校時代】
小学5年生で全日本学生音楽コンクール西部(九州・山口地区)大会小学校の部3位入賞
小学6年生で同大会2位入賞

【中学校時代】
ヴァイオリン指導者として高名な鷲見三郎に認められ、小学校卒業後ヴァイオリン修行のため単身上京し下宿暮らし。

【高校時代】
東京都立駒場高校を受験するも不合格となり、國學院高校に入学。

【大学時代】
そのまま國學院大學法学部に進学するも中退。 僕は小学校では神童でしたが、中学ではちょっとかげりが出て、天才になってしまいました。もちろん高校では普通の高校生、大学は中退です。

ヴァイオリン修行


(中学時代)

 当時、加山雄三の若大将ブームがありました。

 なかでも「エレキの若大将」という大ヒットした映画の中で、加山さんが歌った「君といつまでも」を真似して歌いたくて下宿のお兄さんのギターを借りました。

 自分でチューニングしてね、押さえ方なんてわかりゃしませんよ。

 だから平凡の付録をこう首っ引きで見ながらね、大バレーコード、ハイコードになると人差し指で6弦全部を押さえなければならないんですが、これが大変、音が出ないんですね。

 あの頃、ギターが弾けるといったらスター、もうそれだけでスター。

 加山さんの「君といつまでも」が弾きながら歌えた時は嬉しかったなぁ。感動しました。

ギターが弾ければスター

 これと同じコード進行で、その日のうちに別の曲を作ったんです。

 それで「木根川橋」という歌に出てくるのりちゃんという親友がいるんです。

 こいつの家に行って、たったいま自分が作った歌を聞かせたんです。

 そしたら、のりちゃん感動しましてね「すごいよ、マー坊」(笑)

 その頃わたし、マー坊と呼ばれてましたんで(笑)

「マー坊、これすごいよ、お前作ったの?おまえー天才だよ」(笑)

 のりちゃんというのは、音楽のことがわからない男なんです。

木根川橋

 あんまりほめられたので次の日も同じコード進行で別の歌を聞かせた。

 やっぱりのりちゃんは驚いた。

 さらに3日目も同じコード進行で別の歌を聞かせたら「他にないの?」と飽きられた。

 それでもこの時に、のりちゃんがあんなにほめなかったら、歌い手にはなってなかったかもしれません。

 そういう意味では、加山さんがいて、のりちゃんがいて、初めて今日のさだがいるというわけです。

(高校時代)

 東京都立駒場高校の音楽科という超難しい学校を受験したんです。

 バイオリン科ですよ、バイオリン科。

 ですから普通の学科試験の前に実技試験があるんです。

 これが大変なんです。30人にひとりの超難関。

 ところが僕は実技に受かりましてね、バイオリン科でたった6人。

 あとは学科試験だけでしょう。もう自信たっぷりなわけなんですよ。

 ところが、実技試験では合格したものの筆記試験で不合格となった。

 浪人するわけにはいかないのでどこか2次募集している高校で、名前に○○学院とつく高校を探してもらい國學院高校に入学しました。

國學院高等学校


(大学時代)

 大学は、そのまま國學院大學の法学部に入学しました。

 大学に入ってからは、親からは学費だけ送ってもらい、生活費は自分で稼ぐため、千葉の市川というところの飯屋でアルバイトをしました。

 それこそ刺身から焼きそばから何でも作って食べさせるような店で、2年ほどアルバイトをしました。

 夕飯もついていて、お客さんにかわいがられるとお酒もごちそうになり日に5合飲むようになる。

 そうすると授業に行かなくなる。

 学校に行かず朝9時から5時までペンキ屋のバイトを始めました。

ペンキ屋のバイト

 夕方6時半か7時には板場に立つ。

 お店が終わるのが夜中の1時、お客さんに粘られると2時、店の後片付けと翌日の仕込みをして下宿に帰るのは毎晩3時頃。

 部屋へ帰ってすぐに寝ればいいものを、それからまた曲を作ったり詩を書いたりして5時頃寝る。

 ほんの少し横になって仮眠したかなと思ったら、また朝のバイトに行く。

 朝のバイトが休みの日に大学へ行く。

 人間の体っていうのは弱いもんで、そうやって過ごしていたら、半年もしないうちに肝臓をやられました。

 医者に診てもらったら「君、仕事を休まないと死ぬよ」と言われました。

 こっちは「休みゃ休んだで死ぬ」(笑)と反論しそうになりました。

 結局肝臓を患い長崎に帰ることになりました。

長崎

 親っていうのはありがたいもんでね、普段帰省する時と同じ顔で迎えたよ「お帰り-」って。

 同じ頃、高校時代の友人吉田政美東京から長崎を訪ねてきて、そのまま俺の家に居候することになりました。

 そして「グレープ」が結成されました。

 (参考図書:文藝春秋 さだまさし「噺歌集」Ⅲ)

 

(追伸)

 「しゃべるDAY」お楽しみいただけましたでしょうか?

 「しゃべるDAY」は、今回で完結です。

まっさん命の小柴まっさん命の小柴【2013.4.26アップ】

 

 

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