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Written by まっさん命の小柴
Site Arranged by 葉羽
BGM:「古都」by MusicMaterial

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まっさん命の小柴まっさん命の小柴

 さだまさし 40周年記念コンサートツアー「さだまつり」の前夜祭“ しゃべるDAY”から。今回は感動的な話です。

今回は、前回までとはがらっと変わって笑えない、切ない思い出の話です。

 中学2年次が終わり、3年を迎える春休みだったと思います。

 それまでも帰郷するのは正月と夏休みと決めていて、短い春休みは東京にいました。ところが突然帰りたくなったんです。

 父からの仕送りはなく、長崎へ帰る汽車賃はありませんでした。

 もちろん無理なのはわかっていました。

 それでもどうにかその気持ちを抑えるために3日間続けて東京駅まで出かけ、14番線から出る急行「雲仙」号を見送りに行きました。

 ところが4日目、僕は無意識のうちに動き出した列車に飛び乗ったんです。

急行「雲仙」号

 横浜から戻ればいいやと思いながら車内に入り椅子に座ると、そこへ大学生らしい男性が現れて僕の向かいの席に座りました。

 するとすぐに車掌がやって来ました。

「恐れ入ります。切符を拝見いたします」

 僕は一気に心臓の鼓動が高鳴り、顔から血の気の引くのがわかりました。

 僕は有るはずもない切符を探すふりをしました。

「あれー変だな」

「どうしました?」車掌が怪訝な顔をする。

「あの・・・えっと・・・なくしたみたいなんです」

「えっ!?」大学生と車掌が一緒に声を上げた。

財布が…!?

「財布は?」大学生が聞く。

「あ・・・えっと・・・財布ごとなくしたようです」

「それ、すられたんじゃない?」大学生がそう言った。

 車掌が困った顔をして

「困ったね。どこまで行くの?」

「な・・・長崎です」

「君、家は長崎市内?」大学生が聞いた。

「はい、西北です」

長崎の町

「分かった!僕は市内の小島町だから、じゃあ、君の旅費を僕が立て替えよう」

「え、それは申し訳ないですから」

「なあに、お金をあげる訳じゃないよ。立て替えるだけだ。ご両親は長崎に居るんだろう?だったら帰ってから君が返してくれれば、それでいいから」

 僕が同郷だからと、その大学生のお兄さんが僕の分のお金を払ってくれました。

 貸してくれたんです。本当に親切な人だった。

 朝10時30分に東京駅を出た「雲仙」号は昼過ぎには静岡に入る。

 お兄さんは静岡辺りで弁当を二つ買ってきて、ひとつを僕に差し出した。

静岡駅弁「幕の内弁当」

「君、財布までなくしたんじゃあ、お金もないんだろう?これは僕のおごりだよ」

 お兄さんはまた、自分の喉が渇くと必ず僕の分のお茶まで買ってくれました。

 名古屋に着くとまた駅弁を買ってきた。

「名古屋コーチンって有名な鶏があってね。名古屋は鶏の名産なんだ」

 そう言って今度は「鶏めし」を差し出した。

名古屋駅弁「とりめし」

「いえ、お腹はすいていませんから」と言うと

「僕がお腹がすいているのに、僕より若い君がお腹がすいてないわけはないよ。さあ、いいから遠慮しないで食べなさい」と言ってくれました。

 そぼろが入っていてね、今でも好きなんです。

 夜、コートを顔に覆って、寝たふりをしてコートの内側で思いっきり泣きました。

 自分のついた嘘の恥ずかしさ、それに善意を示してくれるこの人のありがたさにとうとう耐えきれず泣きました。

「雲仙」号は深夜、山陽路をひた走る。

 真夜中に広島を過ぎ、やがて山口県の一番はずれ、下関の駅に着く頃はもう明け方近い。

「腹が減ったろ?でもな鳥栖まで待てよ。鳥栖の駅の構内のうどんが旨いんだ」

「はい。ありがとうございます」

 鳥栖であちち、あちちと言いながら二杯のうどんを両手にお兄さんが帰ってきた。

鳥巣駅「中央軒」

「ほれ、早く取ってくれ」

 僕が慌てて受け取るとお兄さんはようやくひとごこちついた顔になって、

「さあ、食おう」と笑顔で言った。

 肥前山口駅で長崎行きの「雲仙」と佐世保行きの「西海」が切り離される。

「雲仙」は有明海のほとりを走り、諫早駅から今度は大村湾沿いに海辺を走る。

 そうして午前10時27分に「雲仙」は長崎駅のホームにたどり着くんです。

 長崎駅へ着く前に車内でお兄さんと住所と電話番号の交換をする。

「すぐにお礼に伺います」

「ああ、僕はね10日ぐらい家にいるから、慌てないで良いからね」

 僕は何度も頭を下げ、お礼を言い、ホームへ下りた。

かつての長崎駅

 長崎駅の改札口を抜けると背後からお兄さんの呼ぶ声。

 お兄さんは早足で僕に追いつくと

「君、財布をなくしたんでは帰りのバス賃もないだろ」

「いえ、歩きますから」

「歩けないよ、西北までなんか」

 彼はそう言うとポケットから百円を出して

「これは貸すんじゃなくて、君にあげる。いいかバスか市電で帰りなさい」

 お兄さんは最寄駅までの電車賃まで出してくれたんです。

電車賃を…

 親切とはこういうもんだよと教わった気がする。

 あの当時の大学生の志の高さ、人間性の熟し方に驚きます。

 今、この話をするのは、その大学生のお兄さんにまた会えないかなと思うからです。

(参考図書 新潮社「美しき日本の面影」より)

 

(追伸)

 いよいよ次回は、「しゃべるDAY」最後のトーク「さだまさし経歴編」です。

まっさん命の小柴まっさん命の小柴&さだ研【2013.3.28アップ】

 

 

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