私はどのような生き方を選択する(した)のだろうか?と思う時がある。
ヨーロッパの田舎街や小国を訪れた時、或いはある都市からある都市へ、バスや列車で移動している途中、車窓に広がる田園風景の中にポツンと建っている家を見いだした時にそんな考えが頭の中をよぎる。
やや語弊があるが、インドを旅している時や決して豊かとは言えない国を旅して、のどかな田園風景を目にした時、そのような考えが頭の中をよぎったのであれば自分の将来の生き方は容易に想像が付く。
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沐浴の風景
(インドにて) |
もし自分がそのような国の比較的小さな街の農家に生まれたならば、否応なしにその地で農家を継ぐか、あるいはその街の会社に就職するなりして、一生外国へ出ることもなさそうだなと。
しかし、ヨーロッパとなると話は別である。
EU(欧州連合)になったことによって、加盟国内のどこへでも行って働けるという選択肢が1つ増える。
もし仮に私が昨年5月にEUに新規加盟したチェコやポーランドの片田舎の農家に長男として生まれていたなら、自分はどのような選択をしたのだろうか。
昨年の夏、仕事帰りに語学学校に通っていたのだが、クラスメートの多くは、EUに新規加盟した国からの若者が多かった。
「イギリスに行って英語を学び、その後はイギリスで働くべく就職口を探す」となるのか「やっぱり、地元が好きだから地元に残って農家を継ぐ」となるのか。
また、それ以外の選択肢を見つけるのだろうか。
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街並みの風景
(チェコにて) |
私は福島の片田舎の農家(しかも兼業農家)の長男として生まれてきたわけだが、どういうわけか、何かの縁で今ロンドンに住みそこで働いている。
しかし、実家にいたときは、家の農作業は極力手伝うことにしていた。
というのは私にとって、それが家族の絆や一体感を感じる瞬間の1つであるからだ。
私の父が若い(独身)ときは、農業の手伝いをしていたのかどうだったのか私には分からないが、少なくとも父が今の私の年齢のときには、田植えなどは手伝っていた。
家族総出で田植えをし、田んぼの畦道に座り母が作ったおにぎりを頬張った記憶が私にはある。
私の家では、田んぼは祖父、畑は祖母というように役割の分担がなされていた。
私が小学校6年生の初夏に祖父は他界した。
父が40歳前後の時である。
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田植えの風景
(日本) |
父は地元の小さな会社に勤務しており、農業に対して特に興味はなかったように思う。
祖父が入院した頃から、私の家の田んぼは近所の専業農家に委託されている状態であった。
祖父の死後、しばらく(私の記憶だと1~2年)はそのような状態が続いたが、ある時から父が自ら農業をやるようになった。
といっても、会社を辞めて農業に専念したわけではない。
もともと、私の家の田んぼの面積は専業農家として生計を立てていくには少なかったからである。
父が用水路周辺や畦道の草刈、また除草剤散布を朝食前にやってから会社に出勤していたのを中学生だった私は覚えている。
父が米づくりをするという選択をするに至った経緯は、未だに父に直接尋ねたことがないので分からない。
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風車の風景
(英国にて) |
かつての父がそうであったように、いつか私もまた父と同じ選択をするのだろうかと自らに問いかけるが、ただ問いかけるのみで明確な答えがないまま、私は列車の車窓から過ぎ行くヨーロッパの田園風景を目で追った。
旅は明確な答えのない問いを考えるのに最良の時間を与えてくれる。
人によってはそんな時間は無意味な時間だと言うかも知れないが、私はそんな無意味な時間が好きでもある。
《リニューアル配信:2020.1.19》 nemoto |