私の中には、「ロンドンに赴任したら絶対に行っておくべき街」リストがあります。そのリスト上の街の1つである、ガーナの首都アクラに先月行ってきました。
かつて黄金の都と詠われた街に憧れを抱いて行ったわけでもなく、おいしいチョコレートを求めて行ったわけでもありません。
ガーナと聞いてパブロフの犬のように反射的に"チョコレート"と反応する方は多いと思います。というか、少なくとも30代の方はそうだと思いますが、20代の方もそういう反応をするんでしょうか?
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メモリアル |
今から約80年近く前の1927年、ある日本人が西アフリカのガーナの首都アクラのセント・ジョージタウンに船で上陸しました。その日本人は現在の千円札の肖像になっている野口英世博士です。
当時、ガーナでは黄熱病が猛威を振るっており、博士はその黄熱病の研究のためにガーナに来たわけですが、皮肉にもこの地で博士自ら黄熱病に罹り帰らぬ人となりました。
アクラにはガーナ大学医学部の付属機関である「野口医学研究所」があり、敷地内には博士の胸像と日本庭園があるということを以前聞いたことがあって、そこを訪ねることが私の目的でした。
午後ロンドンを発った飛行機は、夜アクラの空港に到着。
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ガーナ市街 |
空港を出ると友人や親族を出迎えに来た大勢のガーナ人でごった返しており、その人ごみを掻き分けてタクシーを見つけ市内まで向かい安宿を探し無事宿(1泊700円)を確保。
翌日、ガーナ大学医学部へ。大学の敷地が広いので、すれ違った人数人に聞きながら、無事「野口医学研究所」に到着。
博士の胸像があり、その下には花輪が飾られてありました。
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野口英世胸像 |
当然ですがアクラに着いてから、すれ違う人は全て黒人であり全く福島を思い出す瞬間というのはなかったのに、アフリカの地で野口英世博士の胸像を目の前にした時、自分の故郷である福島を思い出しました。
ガーナは現在でも決して経済的に豊かとは言えないし、約80年前は今よりインフラも当然整備されていなかっただろうし、そんなところに黄熱病の研究のため海を渡ってきた博士のことを思うと感無量でした。
また、小さな資料館には、博士に関する新聞記事や写真等があり、私はここの資料館に千円札を寄贈してきました。
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「忍耐」 |
この資料館には来館した方が記入するノートがあるのですが、それを見ると記載者の殆どが日本人であり、訪れる人が結構多いのに驚かされました。
私は3月中旬に訪れたのですが(3月に入ってからは私が初めての来館者)、前月の2月には5人くらいの日本人の名前が記載されてありました。
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野口シカと英世 |
ところで、私のガーナ滞在(首都のアクラのみ)は3泊4日だったのですが、その滞在期間中、不覚にも蚊に2ヶ所刺されてしまいました。
(蚊取り線香を焚いたにも拘らず!)
私は蚊に刺されやすい体質?で、旅行先や日本でもよくバシバシ刺されているんです。小さいときに妹や従兄弟と一緒に寝ていて何故か私だけ蚊に刺されるってことがよくありましたね。
ガーナを含めアフリカにはマラリアというハマダラ蚊が媒体となって発病する病気があります。突然の高熱、意識が朦朧としてくるなどの症状があり、治療が1日でも遅れると死に至るようです。
確か、平清盛はマラリアで亡くなったのではないかと言われていたような記憶があります。
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案内標識 |
昔、旅先でマラリアに罹ったことのある日本人に出会ったことがあります。
その方はサーファーで、バリ島で罹りシンガポールの病院に飛行機で搬送され、数年後、沖縄で再発した経験がある方でした。
一度マラリアをやると再発の可能性大らしいです。
ヤバイ、これってマラリアに罹ったかも?
ガーナで命を落とした福島県職員!なんていうことなるんじゃねーだろーなと思って多少ビビっていたものの、帰国後1ヶ月以上が経過して特に熱も出ていないので、まあ大丈夫でしょう。
《リニューアル配信:2019.12.22》 nemoto |