その65 ラゴス帰還!
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【ラゴス帰還】

Aug.19~20 in 2011

 ケニアでの夢のような時間はあっという間に過ぎ去り、家族は一足先にドバイ経由で日本へ、私は一人ラゴスへ帰還することになりますが、適当な時間のフライトがないので、ナイロビにもう一泊することにしました。

  まずは家族をナイロビの国際空港まで送ったのですが、この空港は建物の入口から先へ付添者、送迎者は入れません。

 仕方なく、家族とはあっけなく空港建物の入口で別れることになりました。

 せめてチェックインの手伝いくらいはしてやりたかったところですが、まあラゴスの空港と違って安心でしょうから、すぐにまたナイロビの街中へ戻りました。

アンボセリの鳥

アンボセリの鳥

←アンボセリで弁当の残飯を漁りにきた鳥。
カラスみたいな奴でもこんなに美しい!!

 この日の晩は、ケニアで青年海外協力隊員として活躍しているお嬢様方4名と夕食をともにすることができ、皆さんが頑張っているお話を聞いて、ものすごく感動してしまいました。

 何がすごいって、現地の言語であるスワヒリ語をペラペラしゃべっているのですよ。

 こちらはラゴスで、未だに英語で苦戦しているのに、もう格段の差です。

 私ももう少し頑張らなければいけないなあと、よい意味で思いっきり刺激を受けました。

 さて面白かったのが、最後の晩のナイロビの宿。

 あらかじめケニアで活動をされている日本人の方に宿の手配をお願いしていたのですが、どうやらホテル側と行き違いがあったようで、チェックインしようと思ったらすでに満室とのこと。

 仕方ないから別のホテルを探そうと思ったら、庭のテントだったら一つ空いていると受付のお姉さんが言ってます。

 このホテル、バックパッカーでケニアを訪れる人の、ナイロビでの拠点にもなっているようで、庭にはテントが何張りか張られています。

庭のテント

庭のテント

←ナイロビでの最後の宿はこのテント。
世界各国からバックパッカーが集まっているようですが、でかいスーツケースをテントに持ち込んでいるのはどうやら私だけのようでした。

 どうせ一人だし、他のホテルを探すのも面倒だったので、このテントに宿泊することにしました。

 ちなみに、共同のトイレとシャワーがあったので、昼間の内にシャワーを浴びて、テントにスーツケースと持ちこみましたが、鍵も無いから何だか不用心だし、そもそもテントにスーツケースとキャリーバッグを持ち込むのも変な感じがしましたが、もう何でもいいやといった感じで、結局このテントで熟睡してしまいました。

 宿泊料は、朝食込みで800円程度、安く上がったのも助かりましたが、とても不思議な経験でした。

 

【Femi Live】

Sep.4 in 2011

 念願のFemi KutiのLiveを、まさに彼の活動の本拠地、New Africa Shrineで観ることができました。

 実はこのライブ、この日がオープニングだったのですが、本当はその1週間前に予定されていたものが延期となり、1週間待って、本当にあるのか不安な中、Shrineへ向かったのですが、予め会場案内をお願いしておいた音楽学校の先生もすでに会場しているようでほっとしました。

 さて、20時スタート予定のLiveも、どうせ時間どおりには始まらないだろうと30分以上遅れて到着したのですが、ステージではまだ前座演奏が続いており一向に始まる気配はありません。

遠いVIP席

遠いVIP席

←最初はステージから遠い
安全なVIP席で観ていましたが、
面白くないのでステージ前に移動。

 この前座演奏、とにかく音はひどいし、演奏もお粗末だったので、とにかく早く終わってくれと祈りましたが、結局終わったのは22時近く。

 やっとメインのFemiのバンドがセッティングを始めましたが、こちらはスタンバイ後すぐに演奏が始まりました。

 そんな中、ステージに来てくれとの伝言が入ったので行って見ると、この日のパーカッションは、何と最初に音楽学校へ行った時の太鼓の先生でした。

 本当にプロなのか半信半疑でしたが、どうやら本当だったようです。

 興味深かったのは、Femiがステージに現れても、日本のように観客が大騒ぎになることはなく、淡々と演奏が始まりました。

演奏開始

演奏開始

←やはりステージ前の迫力は違います。
Femiとも面識があったので、
日本人がステージ前にいたから笑っていました。

 それでも、このShrineで観客が盛り上がると、会場を机や椅子が飛び交い、非常に危険な状況になります。

 だから用心のため2階のVIP席で観たのですが、この日は会場の入りも、客の乗りも今ひとつ。

 しばらくVIP席で観たものの物足りなく、思い切ってステージ正面のスペースで踊っているナイジェリア人に混ざって観ることにしました。

 さすがに真近でみるステージは迫力十分。

 遠目ではわからなかったのですが、ダンサーのお姉さんが丸々太っていたのには驚きましたが、やはりアフリカンダンスはとにかく格好いいです。

 さらにおまけがありました。

 ステージかぶりつきで写真を撮っていたら、またステージに呼ばれました。

 ライブの最中にもかかわらず、太鼓の先生の計らいで、ステージに昇らせてくれて、ステージ上でライブを楽しませてくれたのです。

ステージ上から

ステージ上から

←これはステージ上から客席の方を見た写真。
トリプルパーカッションは恰好よかったです。

 これは非常に面白かったです。ひょっとすると、太鼓も叩かせてもらえるのかと一瞬期待しましたが、まあそんなに上手く行く訳もなく、それでもステージ上に東洋人が昇っているのは目立つので、ステージ下のナイジェリア人の突き刺さる視線を感じつつ、もう開き直って楽しんでしまいました。

 最後まで観ていると朝になってしまいそうだったので、泣く泣く途中で引き上げましたが、ラゴスでの夢の一つがかなった幸せな夜でした。

 

【アブジャ出張】

Sep.16 in 2011

 久々にアブジャへ出張してきました。

 先日の爆弾騒ぎ後、アブジャへ行くのは初めてだったので、どうしても街の警備の様子などが気になってしまいます。

 2日に渡って仕事をして、この日の正午のフライトでラゴスへ戻る予定だったのですが、空港までは順調に来れたものの、チェックイン後に予定していたフライトが飛び立つ気配がまったくありません。

 とにかく情報は空港アナウンスだけ、予定時間が過ぎると、いつ飛び立つのかわからず、アナウンスを聞き逃すともうそれでアウトなので、ロビーの椅子で寝る訳にもいかず、ひたすらアナウンスを待ち続けました。

アブジャの風景

アブジャの風景

←不思議な岩山が立ち並ぶアブジャ。

 2時間待って、ようやく予定していたフライト番号のアナウンスが入ったと思ったら、あと1時間は飛ばないとのこと。

 しかたなく、レストランで昼食でも取ろうと、ナイジェリア料理を注文したところ、ナイジェリア人から一緒のテーブルで食べようと誘われました。

 どうやら彼もひたすらフライトを待っていた一人のようで、テーブルではレバノン人らしき人物と、どう見てもインド人がすでにビールを飲み始めています。

 ということで、ひょんなことから日本人も加わった4か国人の昼食会がスタートしましたが、特に話すこれといった話題もないので、出るのはみんな、航空会社への文句ばかり。

 とにかくすでに3時間遅れているのに、状況説明もなし。油断していると、いきなり飛ばしたりするから、聞きにくいアナウンスが流れると、みんな必死で聞きます。

 盛り上がらない昼食会も早々に終わり、ロビーでさらに待ち続けましたが、飛行機が飛び立つというアナウンスが入ったのは、すでにフライト予定時刻から4時間が経過してから。

 ロビーで待つ人の数は増え続け、怒号が飛び交うようになってきました。

アブジャの空港で

アブジャの空港で

←空港までは順調だったのですが、
その後ラゴスーアブジャ間を
2往復できそうなくらい待たされました。

 やっとのことで飛行機には乗り込んだものの、エアコンは動いておらず蒸し風呂のようです。

 さらに、副大統領の飛行機が飛び立つのを待つということで、汗だくの中30分待たされ、最終的は4時間半遅れで飛び立ちました。

 おかげでこの日の夕刻、ラゴスで予定していた約束はすべてキャンセル。

 ひどい目にあいましたが、現地の人たちは、最終的にはあまり怒る様子もなし。

 国内線が遅れるのはいつものことで、その遅れが大きくなっても、飛行機が飛びさえすればあまり文句もないようです。

 とにかく疲れました。特に、空港アナウンスのヒアリングが。

《配信:2020.7.3》 MarathonmanMarathonman

 

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