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このイベントは、乳がんに対する意識啓発や治療改善を目的として、世界的に開催されているチャリティー・マラソン大会で、今回はラゴスの中心街にある外国人学校を拠点として開催されました。 (今回でラゴスでの開催は3回目ということです。)
そもそもラゴスの地でマラソン大会が開催されるということに非常に興味をもちまして、ついつい参加費のほかに寄付金もお支払いして、エントリーをしてしまったのですが、膝が痛いのに走れる訳はありません。 また歩けなくなっても困るので少々迷いはしましたが、距離は6kmということで大した距離ではないので、まあ雰囲気を見るついでに、歩けるだけ歩いてみようと、とりあえず会場まで行ってみました。
朝8時がスタート時間ということで、その1時間前には到着したのですが、受付をはじめ会場の雰囲気は、日本で開催されるマラソン大会とまったく変わりません。 ゼッケンのほか、Tシャツなどスポンサーからの提供品がたくさん配られるのもまったく同じです。
この大会には、実際に乳がんを経験されて、治療により克服された方々も各国から参加されていまして、開会式で紹介されていました。なかなか感動的なセレモニーでした。 この日の参加者は全体で4百名程度、高齢の方から、小さな子どもまで一斉にスタートしました。
さて私のほうは、最初からまったく走る気はないので、カメラを片手に、同じく日本人で肉離れで故障中の人とゆっくりゆっくり歩きました。 いつもは車が渋滞している道路が、今日は交通規制が入り車やバイクが締め出されているので、路上もゆっくり歩くことができます。
そもそも、こんなにリラックスして、この街を歩けること自体が驚異的なことなので、それだけでも参加した価値があると思いました。 よくよく見ると、各交差点では必ずと言っていいほど、バイクタクシーの運転手と警察官の小競り合いが見られます。
どうやらランナーがいなくなるまで、さすがのバイクタクシーも路上を走れないので、ドライバーの怒りが爆発しているようです。 そんなことも気にせずに、ゆっくりと1時間10分程度をかけて完歩することができましたが、優勝者のタイムは24分くらいでした。
6kmだから、自分の持ちタイムを考えると、これは十分優勝のチャンスもあったということで、それを知った時は非常に悔しかったのですが、まあ真剣に走るのは来年のお楽しみということで、ラゴスでのマラソン大会、存分に堪能することができました。
日本の大震災関係の報道は、こちらのローカルな新聞やテレビでは今週に入ってほとんど目にしなくなりました。 それでも未だに、いろいろな場面でお祈りをしていただいたり、心温まるメッセージをいただいています。
年度末を迎え、最近は頻繁に銀行へ出向いているのですが、こちらのお札は最高でも千ナイラ、銀行でもらうのは最近では五百ナイラが最高紙幣ということが多いので、ある程度まとまった金額をおろす場合は、山のような札束を抱えて銀行を出るというかなり危険な状況になります。 (1ナイラは0.5円くらいですが、例えば50万円の買い物をすべて500円玉で払うことを想像してみてください。) さてそのような銀行の窓口で、例によって山のような札束をもらうのを待っていた時、銀行の窓口の職員(若い男性)が何かごそごそやっています。 こっちも忙しいから早くしてくれと催促して、札束を受け取ったらすぐに車に飛び乗ってオフィスへ向かったのですが、オフィスで金勘定をしていたら、札束にメッセージが書かれた付箋が付いています。 Mr. K........ My heart is with the Japanese people, and I sympathize with them for the losses caused by the earthquake and tsunami. Best wishes....................... これは申し訳ないことをしてしまったと反省しましたが、時すでに遅し。 今度また彼に会えたらお礼を言おうと思っていますが、毎日こんな出来事に力づけられています。 自分も、もう少し思いやりのある人間になりたいと本当に思っています。
いよいよ3週に渡る選挙が今度の土曜日からスタートします。 4月最初の土曜日が国会議員選挙、翌週が大統領選挙、3週目が州知事や地方議員選挙という日程になっていますが、この時期はいろいろ物騒で、仕事もストップしてしまうことがあるので、こちらで暮らす日本人の方の多くは一時帰国したり、国外に一時退避される方もいるようです。
とりあえず私は現地居残り組ですが、英語の先生に聞いても、投票日は絶対に出歩くなときつく言われたくらいなので、街の様子を見に行くような無謀なことは止めた方がいいようです。 とくに今のところ、街ではこれと言って変わったことはないのですが、気のせいか乱闘シーンに出くわす頻度が増えたような。 近隣国では選挙後に暴動が起こっている国もいくつかありますので、いずれにしても用心して暮らしたいと思っています。
来週は投票日の様子などお知らせできると思います。 もちろん部屋から出られないのでローカルテレビからの情報になりますが。
アフリカでしかできないことを何か体験して帰ろうと、こちらに来る前から考えていたのですが、やはりアフリカと言えば太鼓、それでもいざ太鼓を習うといっても、日本のようにカルチャースクールがある訳でもなし(無いことはないのですが)、最後の手段はライブ会場でミュージシャンに直談判しようかと考えていたところ、知人の紹介で、とあるパーカッションプレーヤーと会う約束を取り付けることができました。 待ち合わせ場所は、以前紹介させていただいたアフリカ音楽の殿堂「ニュー・アフリカン・シュライン」たったのですが、この彼、実は伝説のミュージシャンFela Ku**の息子で、やはり世界的なミュージシャンであるFemi **tiのバンドでパーカッションを担当しているプロミュージシャンということで、とても私のような素人が太鼓を習えるような人ではないのですが、成り行き上このような嬉しいことになってしまいました。
しかしながら、そもそも待ち合わせ場所はちょっと物騒な場所なので、荷物と金目のものはすべて車のトランクにしまい、もしものときの2千ナイラだけポケットにいれて繰り出したところ、シュラインで話をすると思ったら会って早々、近くにもう一人先生がいるからそこに行こうといいます。 かなり不安な中、物騒な道を5分ほど歩いて、ちょっと大きな建物の中にすたすたと入って行きます。 ここで襲われたら一巻の終わりだなあと、とりあえず痛い膝でどこまで逃げられるか非常に不安な気持ちの中案内されたのは、どうやら小学校の音楽室のようです。 学校自体もとてもきれいに整備されていますが、この音楽室には、ピアノやドラム、サックスやトランペットといった管楽器やバイオリン、ギターなどの弦楽器も置いてあります。
聞いたところ、学校の授業が終わった時に、この学校の音楽教師と例のパーカッションプレーヤーが講師となって、音楽教室を開いているようです。 部屋の中でひときわ目を引いたのが、伝統的なアフリカ太鼓の数々。 あまりに恵まれた練習環境に舞い上がってしまったところですが、授業料を聞いてびっくり。 日本の音楽教室と同じくらい、いやもっと高いでしょうか、料金表も見て確認したから間違いありませんが、どうやら金持ち現地人の子弟がピアノやバイオリンを習うような場所のようで、授業料が高いのも理解できます。
さっそく値引き交渉に入りましたが、相手も絶対に譲りません。 結局話は平行線で終わり、返事は保留してありますが、気持ちはすっかりアフリカ太鼓にのめり込んでしまいました。 さてどうしましょうか・・頭を冷やしてしばらく考えます。
ここに来たばかりのころは、1か月もつか、3か月もつかと言った感じで、トラブルの連続でしたが、どうにかラゴス滞在1周年を迎えることができました。 この日は御褒美に美味しいものでも食べて、一人で乾杯しようかなどと思っていたのですが、日本の大震災以降やはり元気が出ませんで、これといった感慨もなくこの日を迎えました。 1年経ったからもう大丈夫だろうかというと、そんなことはまったくありませんで、もう電気や水など少々のトラブルには慣れてしまったので、特段Topicsにも書いていないのですが、やっぱり一番怖いのは交通事故です。 週何回かは車の中で大声をあげるくらい危機一髪の事態に遭遇しますが、通勤途中でも、燃え落ちて燻っている車や、中央分離帯に乗り上げたタンクローリーを見ることなどは特に珍しいことではなく、外を見ると胃が痛くなるので、車の中では新聞に集中して外の様子は極力無視することにしてます。
さてこれから1年は何が待ち受けているのでしょうか。まだ御紹介したいネタはたくさん残っていますので、このHPも、もう少し継続してみようかと思ってます。 どうぞお時間ある時には、たまにチェックしてみてください。 2年間完走が究極の目標なので、安全第一、健康にも気を付けて、慎重に一日一日過ごしていこうと思っています。
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