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 その39 最後の手段 

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  Opinion by Kurama / Site arranged by Habane
“Walking Man” by Music of my Mind

代理出産の問題を捉えた、その26「誰かの代わりに」に対してその後多くの意見がありました。続けて掲載すればよかったのですが、時間が空いたことに謝罪します。そしてそれらを鞍馬君に送ったところ、再度「鞍馬の意見」が投稿されました。今回はその両方を掲載させていただきます。まずは読者からの意見をご紹介します。

みくく みくく

みくくです。(みなさんはじめまして (^_^)
私は助産師です。

これまた重い問題で・・・そう簡単に代理出産はできないのです。
法的なものはおいといて、金銭的、時間、身体的、社会的(会社)すべての条件がそろった方しか不可能だともいます。

このタレントさんの場合非常に恵まれた環境にありると思います。

まず、不妊治療には莫大な費用がかかる。性周期を整えるために、内服、注射に通うに必要がある。=時間 =会社はどうするのか・・
仕事をしながら、高度な治療は行うのはかなり難しいのです。現実に退職される方が多いです。そうなると金銭的にきつくなります。

また、代理出産となると、代理母の性周期と母となりたい方の性周期を合わせます。双方に通院の必要があります。

この技術を一般化して、女性の社会進出や妊娠出産によるキャリアアップの障害を取り除こうというのはかなりの無理があります。
それほど、普通の妊娠出産以上に女性にとっては大変なことなのです。

ほんとに我が子がほしくて不妊治療の最終手段であれば、このタレントさんのようにうまくいくと思います。

しかし、不妊治療をして方でも、出産がゴールになってしまい、あとの育児で行きづまってしまう方も多くあります。

「子どもがほしい」その気持ちをどこまで維持できるのか、本心なのか。(もうやめられないと言う脅迫観念)

出産方法が問題ではなく、その先にある長い子育ての支援を先に整備しないと不幸な家族が増えるだけなのです。
歯車が狂ってくると、泥沼です・・・普通以上に・・・


エンジェル エンジェル

どこかの大臣が 女性は 子供を産む機械だ って 言って・問題になってるけど・ 機械じゃ・子供は産めないですよね~?


Dream Dream

お若いのに何時も確固たるご意見をお持ちなので感心しています。
今回の「誰かの代わりに」拝見しました。

世代の違いを感じます。男女の平等社会進出は大いに望ましいことです。
だからと言って人工子宮を作るなんて私にはとても考えられません。
同じ人間でも男は男としての役割、女は女としての役割、が大事だと思います。
神様が定めた自然の摂理に逆らう事は私には出来ません。

女性は「子供を生む機械」だなんて言葉はゆるせませんが、教育の問題、社会保障の問題等重要課題を抱えた国会を欠席して街灯で声高々とそれを連呼するなんてどうかと思います。


みく みく

子供は欲しいけれど生活は大変だし、仕事を休む余裕もないし、子供の将来の教育費の事を考えると不安で思い切れません。

これって、代理出産以前の問題かも。

それに、代理出産ってお金も時間的余裕も必要なようだし、結局、お金持ちしか救われないんですよね。


?? 名無しさん(葉羽さん、今回は匿名と言うことでお願いします。)

私たち不妊夫婦はです。正確に言えば、夫に子供を授ける能力がありませんでした。

つまり二人の子供を残す事は不可能で、どうしても子供が生みたければ、精子バンクなどの力を借りなければならないのでしょう。(日本にあるのかどうか知りませんが。)

でも、私たち夫婦はそういう道を選びませんでした。

両親のいない子供を養子にもらい、わが子と同様に(いいえ、それ以上に)愛して育てています。

それで、私たち夫婦はとても幸せだと思っています。

親子とは、決して血のつながりだけではないと思います。

子供の問題は、技術的にではなく心の問題として解決した方がいいのではないかと思います。

(そして以下が鞍馬の意見その39「最後の手段」です。)

 

鞍馬 コメントありがとうございます。真摯なコメントをいただいて、大変恐縮しています。

かの大臣が今度は、子どもは二人生まないと不健全とか言い出して、このトピックについて原稿をお送りするのがますます気が引けるのですが、もう一度だけお付き合いください。

■ 反省

いろいろコメントをいただきありがとうございました。

代理出産、というか妊娠・出産って当然ですが、いろいろと負担のかかることなんでしょうね。

さて、前回の記事で、妊婦の死亡率と、自動車の運転手の死亡率を比較してみましたが、よく考えたらば、あれは妥当ではありませんでした。

通常の出産と、代理出産では、「お腹にいるのは自分の子どもではない。」という決定的な違いがあって、それが通常の場合よりも強く母体に負担をかけるのではないかという仮説もあるようです。

いずれにしても、通常の妊娠と比べてどちらが危険かということは事例が積み重ならないと本当の所はわからないのだと思います。

投稿後も、自分なりにいろいろ調べてみて、まだ知らないことがたくさんあることがよくわかりました。

少し反省しています。

ただ、代理出産は通常の妊娠に比べて精神的に負担が大きいとか、不妊治療の最後の手段であるべきであるという意見にはやっぱり納得のいかないところがあります。

■ 純粋な精神的負担の原因

代理出産の場合、さまざまな治療をしたり、体のバランスを変えるための操作をするといった、通常の出産では体験することのない肉体的負担があって、それが精神的につらいというのはわかります。

でも、不妊治療とか、代理出産とかに対する純粋な精神的負担というのは、そもそも子どもができないことに対する世間の目とかそれに飲み込まれている出産適齢期のご夫婦が生み出しているものなのだと思います。

つまり、前者は不妊治療に伴う肉体的負担(あるいは金銭的?)が結果的に精神的負担になるもので、後者は子どもができない体だとわかった瞬間から発生する精神的負担です。

たとえば、dreamさんのご指摘に「女は女としての役割」という表現がありましたが、その「役割」という言葉がどこまでのことを含んでいるのか気になります。

もし、「子どもを生み育てる役割」を含んでいるのだとすれば、そういう固定観念こそが、後者の精神的負担の根本的原因なのではないかと思ってしまいます。

かの大臣の失言も、同じ固定観念が引き起こしたものです。

人間は単性生殖(雌雄の区別がないか、あるいは雌の個体だけで出産(主に産卵)できる生物の生殖形態)ではないので、子どもをつくるというのは男女のペアがあって初めて成り立つものです。

せめて、「今適齢期にある男女の数は決まっている。出来上がるペアの数、つまり組み立てられる機械の数は決まっているわけだから、もっと結婚して子どもを作ってもらわないと。」と言ったのであれば、ここまで問題は大きくならなかったのだろうと思います。

そう考えると、3代前の厚生労働大臣が多くの嘲笑をかった「残業をなくせば子どもが増える。」という発想は、子どもを作る男性にも目を向けた画期的な一歩進んだ考え方ということになるのでしょうか?

そういう冗談はともかく、肉体的苦痛が精神的苦痛を引き起こしているだけでなく、不妊に対する世間の目や不当な自責の念という精神的苦痛が、さらに高度な不妊治療に手を伸ばさせ、より強い肉体的苦痛を引き起こすという、逆の相関関係も存在していることも見逃すことはできません。

そんな、「女性は子どもを産まにゃならん。そのためには適齢期の女性は結婚せにゃならん。」という圧迫感をもたらす固定観念がなくなることが、不妊治療の精神的負担を軽減する近道だと思っています。

■ 役に立たない最後の手段

代理出産を、不妊治療の最後の手段ではなく、あまり条件をつけずに早い段階で認めるべきだというのには、それなりの理由があります。

それは、もし許可対象を「重篤な不妊者」にするとした場合、その判断をどこでつけるかということです。

ただし、判断の境界線があいまいであることが問題なのではありません。

彼ら彼女らが「重篤な不妊者」であることを証明するために、長期間にわたるさまざまな不妊治療をしなければならなくなることが問題なのです。

繰り返し失敗し、期待を裏切られ、何度も挫折しかけ、時には死のうとすら思い、精も魂も、そして時には財や夫婦愛まで尽き果てて与えられるのが、代理出産というこれまた十分高いハードルです。

そんなシステムが本当に役に立つのでしょうか?

そんな、全焼しないと支払われない火災保険のような、あまりに不親切なシステムでは、人は不幸になることはあっても、幸せになることは絶対にありません。

■ 幸せな結末

子どもができない、できづらいということがわかった夫婦が幸せな結末を迎えるためには、不妊を受け入れる文化をつくるのがもっとも重要です。

つまり、「できないからってなんなのさ?」と思ってくれる周りの人が増えることが重要だということです。

そうすれば、誰から迫られることもなく、自分たちが子どもを持ち育てることに夢を持ち続けている間だけ治療をし、好きなときに図からの判断だけであきらめることができるので、不妊治療に現状どうしても付きまとう悲壮感がなくなります。

あるいは、あまり負担のかからない不妊治療を、それほど効果を期待せずに40歳ぐらいまでゆっくり穏やかに続けてみるという選択肢もとることができます。

こうなることによって、不妊の純粋な精神的苦痛から開放され、肉体的苦痛にさえ耐えればよいか、場合によっては、その肉体的苦痛すら、相当軽減することができるのです。

ローランサン「母と子」

そしてもうひとつ、代理出産という手段を、不妊治療の早い段階で選択できるようにすることです。

度重なる不妊治療の失敗で親たちの子どもを持ち育てることへの夢が失われる前に、最後の手段に手を伸ばせるようにしなければなりません。

そうすることで、親たちの心が折れてしまうことなく、子どもを持ち育てる幸せを手にすることができる可能性が格段に高くなりますし、そういう夫婦に育てられた方が子どもも幸せになれるはずです。

こんな幸せな結末を思い描くのは、あまりに短絡的すぎるでしょうか?

鞍馬【2020.8.25 リニューアル・アップ】

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