懐かし過ぎて涙が出そう‥。
まずは国立国会図書館にあったこの写真。福島市のどこだか分かりますか?
実はコレ、福島県庁。
現在とは似ても似つかない姿ですが、初代の福島県庁が福島城本丸跡に建てられたのが明治6年(1873年)。それが建て替えられた明治40年(1907年)の二代目庁舎です。
現在の本庁舎は僕の誕生年と同じ1954年に建設され、その後、西庁舎や北庁舎が増設され現在に至っています。
第三代福島県本庁舎(1954年落成)
ということで今回は、主に昭和時代の福島市の懐かしい姿を集めてみます。
では、次の写真は?
これは昭和32年(1957年)頃の「平和通り」。東に遠く阿武隈山系、左上に見えるのが中合デパートと屋上遊園地。
昔懐かしい形のバスの一部も見えます。
改めて驚くのは、この時の僕は三歳。ということは、あの中合デパート屋上の遊園地で遊んでいたはず。その時の街路が、こんな閑散とした様子だったことは全く記憶にありません。
そして、平和通りの中央緑地帯に建てられた「少女の像」・・これは、その後の道路改修に伴い、市内の「児童公園」に移設されました。
福島市児童公園に移設された「少女の像」
中合デパートを東側から撮った写真が以下。
中合デパート
こんな牧歌的な街並みだったんですね。
で、僕の記憶に残っている中合デパートの姿がコチラ・・
そうそう、小学校の頃はコレコレ! やはり「ミサイルタワー」が無いと中合らしくありません。
そして、その屋上遊園地の様子がこんなでした。
中合”屋上遊園地”(1966年)
このグルグル飛行機、こんなですが結構怖かった。廻って広がると、屋上の角を超えてビルの外側まで行った。(気がした:笑)
休日に中合の食堂レストランで食事をするのが、家族のささやかな愉しみでしたっけ。
そして、忘れてならないのは「路面電車」(チンチン電車)。
昭和31年(1956年)の駅前栄町付近の写真。この右側に辰巳屋タクシーとホテル辰巳屋がありました。
見えませんが、左端に看板が小さく見えるように山田デパートもまだ健在(というか大盛況)で、さらに大きな中合デパートの看板も。
ああ・・中合デパートのヘンなロゴって、こんなでしたね。懐かしい。
下は、その中合デパートからバスターミナルに曲がる様子。
チンチン電車
左に見えるのが上町中合デパート、画面の奥が福島駅。この手前には「粉又」や「大勝軒」がありました。(いずれも僕の同級生の実家)
この路面電車は福島市域を越えて県北地方のあちらこちらに伸び、市民の重要な足でした。
福島市から北へ伸び伊達町(市)の「長岡駅」から飯坂方面へ向かう路線と霊山方面へ向かう路線に分岐。その「長岡分岐点」の写真がコチラ。
伊達(町)市・長岡分岐点
東へ向かった保原駅の前には、ラーメン道104『保原町/駅前食堂』がありました。
実は僕はこのチンチン電車に大変お世話になっているのです。まだ就学前、家庭内の事故で顔面に大火傷を負った僕は、婆ちゃんに連れられて保原の先、霊山町掛田にあった皮膚科の名医に通っていたのです。
新陳代謝が盛んな時期であったため火傷の跡は修復し、右目の端に1センチほどの小さな傷だけが今も残っています。
今の僕がイケメンなのも、修復をしてくれた名医のお陰と思います。←(おいっ!)
福島駅前の電車発着所
さて次は、日銀福島支店。
東京駅を設計した辰野金吾が設計し、大将2年に竣工した福島を代表する洋風建築の一つでしたが、昭和53年(1978年)僕が入庁した年に惜しまれながら解体されました。
この前身である日銀福島出張所は、明治32年に東北で最初に認可され、蚕物商「万国屋」を改造して設立されました。
日銀福島出張所(明治32年7月)
その内部の様子を写した貴重な写真も残っています。
日銀福島出張所の営業風景
これが上述のように大正2年に「福島支店」として洋風建築に建て替えられた後の驚くべき写真が残っていました。
右が日銀福島支店。そしてその前を走っているのは・・!?
そうです、蒸気機関車です。
これは「軽便鉄道」と呼ばれるもので、チンチン電車が走る前、このような姿で運用されていたのです。
大正時代の画像ですが、これもまた牧歌的な風景ではないでしょうか。
銀行関係では、社史などに古い記録がしっかり残されている例が多く、その他にもいくつか・・まずは、福島県農工銀行。
福島県農工銀行(昭和6年撮影)
こちらも辰野金吾の手による風格ある洋風建築。日銀福島支店と同じ大正2年に完成。
昭和19年に日本勧業銀行福島支店となり、昭和48年に惜しまれながら解体。
そして、秋田銀行福島支店。
秋田銀行福島支店(昭和6年開業時)
日銀福島支店の隣にありましたが、こちらは町年寄を勤めてきた名家加賀屋総本家の金沢弥五兵衛宅の邸宅であった土蔵造りを改修して開業したもの。
さて最後はランダムに数枚。まずはコチラ・・
昭和32年(1957年)に撮影された飯坂温泉の入口付近。活気を感じます。
そして・・かなり現代に近いですが、昭和48年(1973年)のあづま陸橋開通。
この時、写真右手で建設工事を行っていたのが、中合デパートと山田デパートの両駅前移転ビル。
その50年後の現在、これらが解体されて再開発ビルに生まれ変わろうとしています。
そして、元の中合デパートがあった大町付近の非常に古い写真がコチラ。
大町の道路建設工事(昭和10年)
これは県の県北建設事務所が公開している「道路工事に建設機械が導入された最初期」の貴重画像。
最初期の建設機械とはロードローラー。以前は全て人力施工だった訳です。
場所は、信夫山との位置関係から県庁前通りのどこかでしょう。え、中合ですか?・・もちろんこの左手の辺りに存在していたはずです。
何せ、中合デパートは天保元年(1830年)創業で、明治7年(1874年)に中合百貨店(デパート)を創立していますから。
ラストはコチラ・・
これは僕が大学生頃の県庁前通り。左のビルの一階にあったのが「文化堂」で、喫茶店「サボイア」の特徴ある二階の窓も見えます。
左にバスターミナルがあり、写真奥に県庁本庁舎と弁天山。煙を吐いている煙突はどこでしょうか? この場所には40年後、退職後の僕が招かれて勤務することになる県立医科大学があったはず。
高度成長を経た活気溢れる姿を表すように、アーケードの下には大勢の人々の姿も。
うん、あの頃にはまだ『夢』があったな。オイルショックもあったけど。
では、お後がよろしいようで。
《配信:2023.11.29》
各所から写真をご提供いただきました。なお、右の背景画像は昭和30年(1955年)頃の電車通り(福島駅前通り)。道路の右側には、間も無く街頭テレビが設置される「福ビル」があります。 |