異常な高値になったウィーン国立歌劇場の来日公演へは最初から行くつもりはなかった。しかし、ウィーン・フィルとベルリン・フィルに関してはチケット争奪戦に敗れ、今年はウィーン・フィルもベルリン・フィルも聞かない年になるのかとあきらめていた。
特にクリスチャン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルのブルックナー交響曲第5番をブルオタ(ブルックナー・オタク)の私が聞けないなんて悲しいと嘆いていた。
その後チケット流通センターで探したら、奇跡のような良席がどこからともなく降って湧いて来た。

今回日本ではこのブルックナー5番(ノヴァーク版)は、11月7日(金)大阪フェスティバルホール、11月11日(火)サントリーホール、11月15日(土)サントリーホールの計3回公演あったのだが、最後の回が一番出来が良いはずと思っていたが、この希望も叶った。
信じられないことに手数料を入れても定価よりわずかに安かった。
私は2006年にアーノンクール指揮ウィーン・フィルでここサントリーホールでこの交響曲第5番を聞いている。それこそ腰が抜けるのではないかというぐらいのショックを受けてしばらく放心状態になって、公演後ホール横のベンチにへたり込んだ記憶がある。
今回その再現を期待していた。ブルックナーはやはりウィーン・フィルで聞きたいのだ。なお私は、ティーレマンのブルックナーは2022年12月6日にベルリン国立歌劇場管弦楽団との交響曲第7番を東京オペラシティコンサートホールで聞いている。音楽監督バレンボイムの代役だった。
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ティーレマンの指揮に関しては、一部に好きではないという感想がある。威圧的で力づくで感触が冷たくて温かみや優しさがないというもの。剛直で音楽の造形は巨大で怒涛のような推進力があるが、ティーレマンの若い頃はそれが表面的作為的過ぎて、そういう感想も分からないではなかった。
私も2012年にドレスデン国立管弦楽団と来日してNHK音楽祭でブラームスの交響曲第1番&3番を演奏した時にNHKホールで聞いているが、ちょっと不満だったのを覚えている。
しかし、ティーレマン(1959年4月1日生まれ)も66歳。自身の成熟とともに実績を積み重ね、欧州楽壇のカリスマとして君臨するようになった。

その巨大な造形と怒涛の推進力こそティーレマンのティーレマンたる所以であって、好きだろうが嫌いだろうが、聞く者はその音楽的説得力を認めざるを得なくなっている。
そしてその音楽性が最大限に発揮されるのはオペラ以外ではブルックナーの交響曲であり、なかんずく最も抽象性の高い第5番なのだと思う。
ブルックナーの交響曲にはともすればエモーショナルな「感傷」に流されかねない魅力的な側面がある。ティーレマンの音楽性はそうした「感傷」とは無縁だ。その強靭さが素っ気なさや無骨さや冷たさを感じさせるのもしれないが、そうした音楽性にピッタリなのがブルックナーの交響曲第5番なのだ。
今回実演に接して、私は上記の考えに確信を持った。ただウィーン・フィル(コンサートマスター:マンフレート・ホーネク)の柔らかく美しいアンサンブルがティーレマンのそうした音楽性を中和させて、演奏としての完成度を高めていた。豪胆でそして繊細な演奏だったのだ。

第1楽章の冒頭8台のコントラバス(舞台の向かって下手奥)のデリケートなピッチカートから完全にその世界にいざなわれる。テンポはかなり遅いが緊張感が支配して弛緩はない。金管のフォルティッシモは迫力十分なのに柔らかい。そしてそれに拮抗する弦楽器(16型の両翼配置)は各声部がはっきり聞こえるのだ。テンポはインテンポではなく自在に変化している。
第2楽章はいつも感じるしみじみとした宗教的な雰囲気や寂寥感はあまり感じないが、ウィーン・フィルの木管とホルン(ロナルド・ヤネシッツ)と弦楽器のアンサンブルの天国的な美しさを味わった。
第3楽章のスケルツォは打って変わってテンポがかなり速く疾風のような表現。トリオではやはり木管と弦とホルンのアンサンブルが素晴らしかった。
第4楽章は第1楽章と同じくスローテンポで始まるが、徐々にフィナーレに向かって踏みしめるように勢いを増し、まさに大伽藍と呼ぶべきコーダを迎える。コーダでは第1楽章コーダ同様に1台のティンパニーを2人の奏者が叩いていた。サブの奏者はその2カ所のためだけに待機していたのだ。
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音が消えて10秒ぐらい静寂が続いた。その後はブラヴォーと拍手の嵐。この静寂は素晴らしかった。ウィンナ・ワルツのアンコールなんかやらなくていいよと願ったが、その願いも叶った。
しかし第2楽章結尾で2階の客だと思うが咳止めの飴を取り出すために袋を開ける音がかなり長く続いたのには閉口した。
音楽が最も沈潜する時だった。万死に値する蛮行だった。

アメブロ「クラシックなまいにち」から借用
サンクコストバイアスがかかっているから、こういう高額チケットのコンサートを聞いて正しい評価をするのは難しいが、十分に満足できるコンサートだった。幸運だった。
月並みな言い方で恐縮だが、このオーケストラはやはり世界の至宝である。
(2025.11.21「岸波通信」配信 by
三浦彰 &葉羽 )
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