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11月18日(火)14時、初台の新国立劇場でベルク作曲のオペラ「ヴォツェック」(全5回公演の2日目)を見た。

 演出については、ゲネプロ(最終リハーサル11月13日)を見た時に感想を書いたが、併載すると長くなるので続いて「別稿」で紹介する。

 あらすじは以下の通り(新国立劇場による)。

◆新国立劇場「ヴォツェック」のあらすじ

【第1幕】理髪師から兵士になった実直なヴォツェックは、内縁の妻マリーとの間に一人息子がいるが、貧しい生活を強いられていた。彼は上官の大尉の髭を剃ったり、誇大妄想気味の医者の人体実験のアルバイトをしたりして小銭稼ぎをしている。そのためヴォツェックの精神状態は不安定で、不気味な幻覚を見ては妄想に苛まれていた。妻のマリーはヴォツェックとの暮らしに疲れ、猛々しい肉体の持ち主である鼓手長に惹かれ、やがて不倫関係に陥る。

【第2幕】ヴォツェックはある日、耳飾りを手に女性らしく華やいでいるマリーを見て不審を抱く。それは鼓手長からの贈り物だった。やがてヴォツェックの猜疑心は高まり、妻を詰問するがしらを切られる。ついに居酒屋で鼓手長がマリーと嬉しそうに踊っている現場を押さえたヴォツェック。ヴォツェックは鼓手長に絡まれ取っ組みあいになるが、袋だたきにされ、痛めつけられる。

【第3幕】信心深いマリーは自分の罪を悔いて神に祈る。しかし赤い月が昇る沼のほとりで、錯乱気味のヴォツェックに刺し殺されてしまう。凶器のナイフを捨てて逃げたヴォツェックは、苦しみを紛らわそうと居酒屋で享楽に耽るが、シャツの血痕を見つけられ外に飛び出す。再び沼のほとり。ヴォツェックは証拠のナイフを沼の奥深くに投げ入れようとして溺れ死ぬ。翌朝、マリーの死骸が見つかる。遊んでいた子ども達が、マリーの息子に「君のお母さん、死んだよ」と告げて沼へ向かうが、意味が呑み込めない息子は一人遊びに興じている。(幕)

 貧困、様々な抑圧、陰湿な虐め、暴力、精神錯乱、不倫、そして殺人事件、主人公の溺死まで起こる救いようがないオペラではあるが、これ見よがしに悲劇を強調するのではなく、そこに知的な再構成が感じられる見事な演出だった。

 さらに「ぶらぼあ」ONLINEの小室敬幸氏(音楽ライター)によるゲネプロ・レポートを読んで、色に関するこだわりが尋常でないことに気付かされた。

 例えば、冒頭のビリヤードの玉の色、そしてヴォツェックとマリーの子供が来ているトレーナーが赤、ブルー、黄色の3色マルチなのは、人間の階層がその赤、ブルー、黄色に分けられているのに対応している。

 赤は血、ブルーは水分、黄色は尿なのだという。なるほど尿ですか。そう言えばヴォツェックは人体実験の被験者になって金を得ているが、実験を行っている医師から立ちションを咎められていた。

 また夕暮れ、血、赤い月などの赤色が、自分の運命を先取りしているという錯覚を起こさせ、遂には殺人に至ってしまうというのはなんとなくユング心理学を思わせる。

 

 知的な再構成と同時に、不気味なコミカル・テイストというかブラック・ユーモアを感じさせるのは、演出家リチャード・ジョーンズがイギリス人だからか?などと思ったりもする。なんとなくスタンリー・キューブリック監督の映画、特に「時計仕掛けのオレンジ」「博士の異常な愛情」を思い出したのだが。

 さて演奏だが、ヴォツェック役のトーマス・ヨハネス・マイヤーが、上述したブラックジョーク的な側面を軽快に演じながら、その反面精神錯乱に至る悲劇をリアルに演じるという見事な演技と歌唱。最大級の賛辞を贈りたい。

 マリー役のジェニファー・デイヴィスは、私が持っているヴァルトラウト・マイヤーやヒルデガルト・ベーレンスなどのドイツ人ソプラノのマリー像つまり生活に疲れた男好きの中年女のイメージとはちょっと違う。やはりアメリカ人歌手が演じるマリーでもう少し若くて快活なイメージで今回の演出にはピッタリの人選だと思うし、歌唱の迫力は凄かった。

 大尉役のアーノルド・ベズイエン、鼓手長役のジョン・ダザックは持ち役だけに達者な演技と歌唱で楽しめた。医師役の妻屋秀和はこの2人に比べるとコミカルな面白味に欠けるが堅実な演技と歌唱。日本人歌手の中ではアンドレスの伊藤達人とマルグレートの郷家曉子が注目された。

 

  そして、今回大拍手を送りたいのが芸術監督大野和士が自ら指揮した東京都交響楽団である。オーケストラコンサートも含めて私が聞いた大野和士の指揮の中では最高の出来かもしれない。緻密なスコアの読みと劇的な感性という大野の特性が万全に発揮された。

 これに応える都響の機能性の高さに今更ながら驚嘆。マリー殺害の後の3幕5場に続く間奏曲のド迫力と情感の深さには感動した。それだけでなく響きがメローでマイルドなのでこの曲のワルツ調の楽想が映えた。

  演出、演奏ともに大いに楽しんだ。個人的には今年の新国立劇場のオペラ公演ではマイ・ベストに挙げたい。

 この大傑作オペラが実に11年ぶりの上演というのはちょっと解せない。上演後の拍手もいつもに比べておとなしい感じなのはやはり「難しいオペラ」といまだに思われているのか。こんなに知的な刺激があってまた美しい音楽に溢れているオペラはそうそうない。

 今回の公演は、それを最高級の演出と演奏で味わえた。ベルクのもうひとつのオペラ(未完)のオペラを是非上演してもらいたい。新国立劇場では2005年2月に上演されて以来20年も上演がない。なお来年4月に二期会がこの新国立劇場でその「ルル」を17日、18日、19日上演する。

  今回の新国立劇場の「ヴォツェック」は、残り3公演がある。その日程は:11月20日(木)19時、11月22日(土)14時、11月24日(月・祝)14時。演奏時間は約1時間40分で途中休憩はないのでご注意。

(2025.11.14「岸波通信」配信 by 三浦彰 &葉羽

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