ロバート・レッドフォード(1936.818~2025.9.16 享年89)、クラウディア・カルディナーレ(1938.4.15~2025.923 享年87)と銀幕のスターが相次いで死去。
すぐに特集が組まれと思ったが、なぜか動きが鈍い。どうも日本ではこの2人評価が低いようだ。
この二人の大スターは私の中でも、さほど評価が高くない。いわゆる時代を代表する大スターではないのだ。
まずは「ロバレ」ことロバート・レッドフォードに関する私の評価とそのベスト映画。
◆亡くなったレッドフォードの映画で私が一番好きなのは?
ロバレの出世作は「明日に向かって撃て」(1969年 ジョージ・ロイ・ヒル監督)で、「スティング」(1973年 ジョージ・ロイ・ヒル監督)でその評価は決定的になった。
「西のアラン・ドロン、東のロバート・レッドフォード」なんていうキャッチコピーがあったような気がする。美男男優として売り出したのだ。しかし2つの映画の主役はポール・ニューマンであってレッドフォードは脇役だった。
この2作に限らずこの男優なんとかなく醒めているのだ。大スターには欠かせない「熱さ」が欠けているのだ。知的で「こんな役やってますが、別に好きな役ではないんです」という雰囲気が漂うのだ。
その後レッドフォードは映画監督も始めるのだが、こっちの方が彼のやりたかった仕事なのだろう。
そうしたレッドフォードの主演作で私がもっとも共感するのは「追憶」(1973年 シドニー・ポラック監督)だ。原題は『The Way We Were』。
あらすじは以下の通り。
◆『The Way We Were(追憶)』(1973年)のあらすじ
政治運動に熱心に取り組む大学生のケイティ(バーバラ・ストライザンド)は、キャンパスでハンサムな青年ハベル(ロバレ)に出逢う。2人は大学の創作クラスで一緒に学んでいるが、ハベルはケイティに興味を示すことはなかった。大学を卒業して、別々の道を歩んでいくケイティとハベルだが、第二次世界大戦が始まる。
ある時偶然にニューヨークで海軍の制服に身を包むハベルに再会する。2人は愛し合い、戦争後に結婚する。やがてロサンゼルスに移り住み、ハベルは脚本家として生きていくが、ケイティは熱心に政治運動に取り組んでいく。政治運動に取り組むケイティとそれに関わりたくないハベルの間には少しずつすれ違いが生まれていく… |
「ロバレ」の醒めたノンポリの感じとバーバラ・ストライサンドのアメリカ進歩派女性のコントラストが実に見事。

男と女のなんとも儚い関係。そしてバーバラの見事な主題歌歌唱。ちょっとメロメロとしてしまうのだ。
ここでも主役はバーバラ・ストライザンドでロバレは相変わらず醒めた感じの「脇」ではあるのだけれども(笑)。
◆私が選んだ亡きクラウディア・カルディナーレのベスト映画は?
ロバート・レッドフォード(1936.818~2025.9.16 享年89)死去の1週間後、クラウディア・カルディナーレ(1938.4.15~2025.923 享年87)が亡くなった。レッドフォードより2歳若いのでビックリした。
若いころにイタリアの二大巨匠フェデリコ・フェリーニとルキノ・ヴィスコンティに重用されたのでそういうイメージになったのだろう。その突出した代表作がフェリーニの「8 1/2」(1963年、はっかにぶんのいち)とヴィスコンティの「山猫」(1963年)だ。カルディナーレが25歳の時。
私的には、カルディナーレはこの2作だけで映画史に残ってしまったようなものなのだ。この2作に比べると失礼ながらあとはカスミみたいな存在だ。

「8 1/2」のクラウディア役のクラウディア・カルディナーレ
この2作品でカルディナーレは主役ではない。
「8 1/2」の主役は映画監督役のマルチェロ・マストロヤンニでありカルディナーレはそのマドンナ役、「山猫」の主役は没落貴族役のバート・ランカスターであり、カルディナーレはその息子(アラン・ドロン)の恋人役。しかし、主役に並ぶ存在感を示している。

「山猫」のポスター。主役ではないのにカルディナーレがクローズアップ
カルディナーレは、マリリン・モンロー(略称はMM)、ブリジット・バルドー(同BB)と並んでCCと呼ばれたというが、前2者に比べると、それほど強烈な存在感はない。前2者が強烈過ぎるのだが(笑)。
モンローはアメリカのセクシーダイナマイト、バルドーはフランスのそれ、カルディナーレはイタリアのセクシーウーマンという考えで3人を選んだのだろう。
しかしカルディナーレはフランス保護領モロッコでイタリア人両親の子として生まれ母国語はフランス語で、イタリア語は18歳になるまで話すことがなかったという(Wikipediaによる)。顔は純正イタリア人なのだが、本質的にはフランス人なのだ。このあたりがなかなか複雑なのだ。
この年代の純正イタリア人女優ならソフィア・ローレン(1934.9.20~ )がいたと思うのだが、確かにこちらは同じセクシーダイナマイトでも「庶民派」ということだったのだろう。強烈で脇役なんて似合わない圧倒的な主役面である(笑)。
カルディナーレはもう前出脇役2作品だけで大女優なのであるが、もうひとつこれも脇役ながら見逃せない映画がある。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「フィッツカラルド」(1982年)である。ペルーのアマゾン密林地帯にオペラ劇場を建設しようという途方もない夢を持つ主人公フィッツカラルド(クラウス・キンスキー)の愛人で売春宿の女将モリーというのがカルディナーレの役柄だ。

「フィッツカラルド」のカルディナーレとクラウス・キンスキー
これが44歳のカルディナーレの、恐らく最後の輝きを示した映画ではなかったろうか。
「8 1/2」、「山猫」、「フィッツカラルド」の脇役3つで映画史に残る女優になったのがクラウディア・カルディナーレだったのだ。