昨日(12月11日日曜日14時)、初台の新国立劇場でモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聞いた。
コロナ禍は感染者数だけ見れば第8波に突入したが、外国人の日本への入国制限はほぼ無くなり、日本人の新規感染者や濃厚接触者への隔離制限も大幅に緩和されつつある。
コロナ禍に対してかなり慎重な対応を続けて来た新国立劇場もこうした緩和の流れを受けて、今回の公演は、指揮者、主要登場人物に外国人が揃った上演になった。しかも、昨日は公演4日目ということで実に音楽的に充実した上演になった。
まず歌手はどの配役もほとんど不満の無い出来栄えだった。
例えば、新国立劇場でもお馴染みのドンナ・アンナ役のミルト・パパタナシュは、ドンナ・アンナというのはこういう役柄なんだということを改めて教えてくれるような演技と歌唱で、このオペラの主役と言ってもいいような存在感を示した。
かと思えば、対するドンナ・エルヴィラ役のセレーナ・マルフィも同様に味の濃い歌唱で大拍手。
無論、主役ドン・ジョヴァンニ役のアルベルギーニ、その従者レポレッロ役ドルチーニも達者な演技と歌唱。
通常の省略ナンバーも歌ってかなり存在感を主張したドンナ・アンナの婚約者オッターヴィオ役のコルテッラッツィは音程が怪しくなる嫌いはあったが、美声で楽しめた。
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「ドン・ジョバンニ」公演
(C)新国立劇場 |
こうした外国人勢に比べるとやはり日本人歌手は脇役ということもあるが、盛り立て役ということになるか。
ツェルリーナ役の石橋栄実は歌唱・演技は申し分ないが、もう少し若いツェルリーナが聞きたかった。
騎士長は日本で売り出し中の河野鉄平で同様に不満はないが、あえて言えば、この役はもう少し低音に凄みのあるバスで聞きたいところ。
公演4日目ということもあるのか、パオロ・オルミ指揮のオーケストラ(東京フィル)とチェンバロ(小埜寺美樹)が実に素晴らしい。
ただ手の内に入り過ぎたためか、冒頭の騎士長殺害場面などは、物語の発端になるカタストロフィーなのに、音楽はスイスイと進んでいってしまって、「あれっ」と思わされた。さすがに大団円のドン・ジョヴァンニの地獄堕ちは迫力があったが。
そうした不満はわずかにあったが、音楽としての完成度は極めて高い「ドン・ジョヴァンニ」で、25分の休憩が1回ある3時間30分をすっかり満足して過ごしたのだった。
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「ドン・ジョバンニ」公演
(C)新国立劇場 |
このプロダクション(演出)は、グリシャ・アサガロフによるもので、2008年に初登場した。ベネチアが舞台であることを除けば、きわめてオーソドックスだ。
私は2012年、2014年、2019年と見て来て、今回が4回目。さすがに新しい演出が見たい。次回は新制作、それもかなり読み替えある斬新な演出を期待したいものだ。
これが、私にとっては今年のオペラの見納めである。
新国立劇場では10作品を見た(うち「ペレアスとメリザンド」「ジュリオ・チェーザレ」についてはゲネプロも見ている)。
この他に、オペラ映画ではあるが、METライブビューイングで「ボリス・ゴドゥノフ」「トゥーランドット 」「ナクソス島のアリアドネ」の3作品を鑑賞した。
トータル13作品か。海外の歌劇場の引っ越し公演がほとんどなかったので、こんなもんかなあ。
(2022.12.23「岸波通信」配信 by
三浦彰 &葉羽)
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