登場した店は、新宿の「麦めし いとう」という定食屋。番組では新宿と紹介していたが正確には、新宿区若松河田町である。
こんなところで寛斎は何をしていたのか。犬の散歩では代々木の家からは遠すぎるし、近くの東京女子医大か国立国際医療研究センター病院に来ていたのではないだろうか。
腹が減っていたのか、こんな食堂にふらっと入るところが気さくな寛斎らしい。近くにはスペイン料理の小笠原伯爵邸なんていう高級店もあるが、失礼ながら寛斎の懐はそんなに暖かくはなかったのであろう。
頼んだのは、サバ味噌定食。決して洒落た舌平目のムニエルなんかではないのである!すっかりこの店が気に入った寛斎はたまに来るようになったという。
偶然入った店が気に入ったからといってわざわざ若松河田町までやって来るものではないだろう。やはり東京女子医大病院か国立国際医療研究センター病院に来ていたと考えるのが普通だろう。
急性白血病で亡くなっているが、いろいろと病気を持っていたようだ。 昼飯どきにやってきて、行列に並んでまでサバ味噌定食にありついたという。なんかその話を聞くと泣けてくる。
それで席につくと、あのデカい声で「お冷やくださ〜い」と言って、出された冷酒を旨そうに飲んでいたという。 悲しくなってくる話である。
カッコつけしなければ商売にならないデザイナー稼業なのに、若松河田町の一膳飯屋で冷酒をうまそうに飲んでいた寛斎。もう泣けてくるなあ。
実は、寛斎が白血病のために7月21日に76歳で亡くなる年(2020年)だが、彼に人生を振り返ってもらおうという企画があって、年初私はカンサイスーパースタジオに取材を申し込んでいた。
返ってきたメールを見て愕然とした。「ギャラはおいくらでしょうか?」。もちろん秘書の応答である。 バカタレが!武士は食わねど高楊枝という言葉を知らんのか!!
もう取材にギャラの話が出てくるようになっていたのである。芸能事務所所属だとしても朝日新聞にもこんな応答をするのだろうか。絶対にそんなことはない!
私が舐められていたのか?そうでもあるまい。貧すれば鈍する!この秘書が何も知らなすぎたのだ。
まあ、こんなことはもうどうでよかろう。病に侵された寛斎と本音でいろいろ話したかったなあ。ただただそれが悔やまれるだけである。
ファッションプロデューサーなんていう賑やかし商売ではなくて、一度経営に失敗して会社を倒産させたクリエイター山本寛斎は本当は何がしたかったのか? サラメシを見ている視聴者はそんな面倒くさいことは知らなくていいだろう。
ちなみに寛斎の最終学歴だが、wikipediaに日本大学文理学部英文科中退とあるのは誤り。寛斎本人から電話があって 日大理工学部土木工学科中退とのことである。
1971年に弱冠27歳で日本人デザイナーとして初めてロンドン・コレクションでファッションショーを行った輝かしいキャリアが故に、紹介者が勝手て英文科中退と誤解したようだ。