中学生の私もTBSの毎週のTV中継はかじり付いて見ていたものだ。
プロ野球巨人のON(王・長嶋)よりも、大鵬の大相撲よりも、ジャイアント馬場のプロレスよりも熱狂していたかもしれない。
まだサッカーなんてアマチュアのスポーツだった時代である。
必殺の真空飛び膝蹴り!いやあ、1973年のオイルショックを前にした昭和高度成長の最後の輝きみたいなものだったかもしれない。
今にして思うと、メジャーになりきれないマイナースポーツの陰画としての悲哀とそれだからこその凄味がそこにはあったのだ。
1973年に三冠王になった王貞治を抑えて日本プロスポーツ大賞を受賞したのが最大の勲章だった。
沢村忠の引退(1976年)後、キックボクシングは急激に衰退して、K-1に吸収されていく。
引退してから沢村忠は、全く表の世界には登場せず、自動車修理工場を経営していた。
死亡説、パンチドランカーのため廃人になったとかいう噂がひとり歩きし、そして忘れ去られた。今回の訃報も心ある人がマスコミに知らせたためだろう。
沢村忠が完全に我々の記憶の彼方に沈まずに、ひとときでもその昭和の嵐のような熱狂を思い出させてくれたのだ。合掌。