一部の音楽関係者からは、「なんで、ウィーン・フィルだけは特別扱いなんだ!」という不満の声が上がっているという。
フルオーケストラを引き連れて、11月5日の北九州を皮切りに、客も50%制限なしでフルに入れて、大阪(6日)、川崎(8日)と回って、9日からはサントリーホールに陣取って4日間の公演。
国賓並みに特別機で11月4日に日本到着後は2週間の滞在中はほぼホテルと演奏会場の往復という隔離状態だという。
私もまさかこんな公演が、コロナ感染再拡大の現在、実現するとは思えなかったから(最終決定発表は10月30日)、チケットが売られているとも知らず、その後「完売」の文字を見て、指をくわえていた。
ワレリー・ゲルギエフ
指揮者はゲルギエフかあ。まあ、彼ならこういう状況でも乗ってくるよなあ。そうしたら、なんと11月12日に追加公演‼️これには、飛びついてしまった。
隔離状態ならオフの2日間のうち、追加公演はたしかに有りだ。東京で393人の感染者が出た12日夜にS席3万9000円のチケットを持ってサントリーホールへ出かける私に家人はあきれ顔。まあ、決死の覚悟だ。
12日のプログラムは、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、交響詩「海」が前半。後半はストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」(1910年版)。
このコンビでドビュッシーを聞くこともないが、「火の鳥」は、このコンビの十八番ではないか。
コンサートマスターはシュトイデ。ゲルギエフは指揮台なしで、例の爪楊枝みたいな指揮棒で指揮していた。
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冒頭の「牧神」の超スローのフルートソロからホルンに移るところで、うっすら涙が出た。素晴らしい!
いわゆるフランスのオーケストラのフルートに見られるような軽さや輝きはないが、そんなものは求めていない。
弦の弱音が奇跡のよう。倍音効果というかシルクのような心地よい耳触り。どのオーケストラでも聞けない素晴らしいハーモニーなのだ。世界文化遺産級である。
これだけでも来た甲斐があろうというもの。確かにこの曲はウィーン・フィル向きの曲である。エレガントで儚くて哀しくて。アンティーク・シンバルがちょっと決まらなかったのを除けば、パーフェクトな出来栄え。
「海」は、その繊細とゲルギエフらしい豪壮さがせめぎ合うような演奏。フォルテシモがこのオーケストラとしては珍しく濁ったりしていたのは意外だった。
後半の「火の鳥」はもう何をか言わんや。空前絶後の大名演。捕まえられた「火の鳥の嘆願」の艶めかしさ、王女たちの「スケルツォ」と「ロンド」の優雅さは聞いたことがないような世界。
ライバルのベルリン・フィルには絶対に出せない音。もちろん迫力も十分。いつも不満な「カスチェイ王の死」も思わずのけぞるド迫力。 「ブラボー」禁止なのに、思わず禁を犯す客がいたほど。
アンコールは「皇帝円舞曲」。なくもがなだった。そう言えば、ゲルギエフはまだニューイヤーコンサートに招かれたことがないのだな。
ロシア系ではマリス・ヤンソンス(ロシア)、アンドリス・ネルソンス(ラトヴィア)がいるが、ちょっとニューイヤーコンサートは柄じゃないのかな。この「皇帝円舞曲」もフォルテがキツすぎた。
最後に、あまり書きたくないが、日本のオーケストラの水準が最近かなり上がっていると言われて久しいが、やはり上には上があるなあというのが偽らざる実感。
「ウィーン・フィルを特別扱いするな」というより、よく来てくれたという思いの方が強い。
日本のオーケストラに足りないものを具体的には書かないが、結局歴史の差ということになるのだろうか。
私が、ウィーン・フィルを聞いた前回は、アーノンクール指揮の2006年11月。もう14年も経っているのだ。
曲はブルックナー交響曲第5番。終楽章のフーガの大伽藍に圧倒されて、終演後なかなか立てなかったのを思い出したが、昨晩はそれに匹敵する夜だった。
(2020.11.20「岸波通信」配信 by
三浦彰 &葉羽)
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