アニメ界の帝王と呼んだらいいのだろうか、宮崎駿(1941.1.5~)が引退する。私は、証券会社からWWDジャパンの編集部に入る前に半年ほど「アニメージュ」編集部でバイトしていたことがある。といっても、「アニメージュ」ではなく、同編集部が作っていた別冊「なぞなぞ大図鑑」を編集していたのだが。
その時、宮崎駿の原画を見た記憶がある。
私はアニメ好きでもないし、ファンタジーと呼ばれる映画が嫌いなので宮崎作品は、初期の「風の谷のナウシカ」(1984年)に感心したぐらいである。
この「風の谷のナウシカ」はある意味世界の終末を描いたアニメで、宮崎アニメの中では、かなりシリアスな内容になっている。
世界の終末を描いた作品というと、なんと言ってもアンドレイ・タルコフスキイ(1932.4.4-1986.12.29)の最後の映画である「サクリファイス」(1986年)ということになるが、彼の作品の中では、その結晶度は今ひとつではないかと思う。
「サクリファイス」には哲学者のニーチェ(1844.10.15-1900.8.25)がトリノで発狂するきっかけになったと言われる鞭打たれる馬のエピソードが実際に出てくる。
このエピソードに触発されたと言われる映画「ニーチェの馬」(2011年ハンガリー映画)を最近DVDで観た。
冒頭のシーンに疾走する馬が登場するが、その舞台は砂嵐が吹きすさぶ荒野のあばら家だ。映画はこの家に住む貧しい農夫とその娘の6日間を描いている。
一向に止まない砂嵐。こんな場所が実際にあるのだろうか。あるいはどうやって、撮影中に砂嵐を巻き起こしているのか。親娘は実に単調な日常を繰り返している。
時おりこのあばら家を訪れる者が現れるが、それ以外は、ジャガイモを茹でて食べる。洗濯をする。井戸から水を汲む。薪を割る。火を起こす。寝るの繰り返し。
時おり馬車で街に買い出しに行っていたようだが、ついにいくら鞭打っても馬が言うことを聞かなくなってしまう。着々とこの親娘には最期の日が迫ってくる。
こんなモノクロ映像が2時間26分延々と続くのだが、私は全く飽くことがなくその黙示録のような静かな悲劇を味わった。少なくとも今世紀に入ってから私が観た映画のベストワンではなかろうか。
この映画を監督したタル・ベーラ(1955.7.24~)は、これを最後にもう映画は撮らないと宣言したが、よくわかる。全てを語り尽くしてもうこの後には、何にも語るものは残っていないのだろう。
アニメとかファンタジーでは絶対に描けない世界がここにはある。映画芸術の本質に迫った傑作だと思う。観る者を選ぶ映画だとは思わない。多くの人に観てもらいたい映画だと思う。
(2013.9.17「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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