もうひとりはロンドン在住で最近デイムの称号を与えられたピアニストの内田光子(1948年熱海生まれ)だ。
11月に来日しサントリーホールで公演を行なった。技巧が衰えないうちに内田の演奏を聴いておきたいと思っていた。
これまでその機会がなかったが、今回やっと念願が叶った。もう63歳、指揮者と違ってピアニストとしてはギリギリの年齢だろう。
私が聴いた演目はシューベルトが死の直前に作曲した最後のピアノソナタ3曲。なんとも重いプログラムだ。
しかし今回の4公演のうちで最も内田が自分の真価を聴衆に問うたプログラムではないだろうか。会場はほぼ満席。
内田はいつも自分のスタインウェイを持ち込み、専属の調律師を帯同する。
それほどピアノの音色にこだわっているのだが、その夜(11月7日)も、特に弱音が灰色に底光りするデリケートさには心が凍った。
特に20番の第2楽章アンダンティーノ。梅毒に罹患して余命幾ばくもないことを知っていたシューベルトの未練と諦観が仄暗い弱音で弾かれる。
ちょっと息苦しくて耐えられないほど。残念ながら信じられない弾き飛ばし(21番の第4楽章)があり、完全主義者の内田らしからぬミスタッチもあった。
63歳という年齢を考えればこれは致しかたないかも。しかし、それを補ってあまりあるピアノ芸術の深淵が垣間見られて大いに満足だった。
その夜プログラムをペラペラ捲っていたら。面白い写真をみつけた。
(※右の背景画像:Photo by RICHARD AVEDON)⇒
「プリーツ・プリーズ」を着た内田がまるでムンクの「叫び」のようなポーズをとらされている。
こんなポートレート、アヴェドンぐらいしか撮れないだろうと思ったら、やっぱりそうだった。
アヴェドンは2004年に亡くなっているから、それ以前に撮られたことになる。自己顕示とは全く無縁の内田にこんなポーズをとらせてしまうあたり、さすがアヴェドンである。
内田はインタビュー嫌いで有名だが、その言葉で印象に残っているのは、「私、パンと紅茶とバター、それにちょっとサラダがあったら他に何にも要らないわ」の一節。
私がこんな境地に辿り着くにはまだもう少し時間がかかると思う。