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イトキンの創業者である辻村金五・名誉会長が12月12日に老衰のため亡くなった。享年93。アパレル業界の巨人がまた一人鬼籍に入った。

 現役を退いた後も、趣味であるファッション誌や業界紙の切り抜きは続けていたのだろうか。

 10年ほど前に、フラッと同社の展示会に現れて、マネキンを着せていた子供服の展示の仕方を自ら直していたのを目撃したことがある。ファッションが好きだったのだろう。

故・辻村金五氏

故・辻村金五氏

(イトキン名誉会長)

←2012年12月12日に93歳で御逝去。

 デザインにも一家言あったと推測するが、「12」が3つ並ぶ日を命日に選ぶとはさすがと周囲を唸らせたのではないだろうか。

 オンワードホールディングス創業者の樫山純三氏(1901.9.21~1986.6.1)、レナウンの実質的創業者とも言われる尾上清氏(1911.5.23~1988.2.9)、三陽商会創業者の吉原信之氏(1916.11.5~2007.3.15)と並んで日本のアパレル業界の基礎を築いた巨人が逝去したと言っていいだろう。

 その4人にインタビューしたり、立ち話をしたことがある筆者としては、ひとつの時代が終わったという感慨に襲われる。

 この1940年代~1970年代創成期に続く成長期に活躍した大物経営者としては、オンワードホールディングスの馬場彰・名誉会長(77)、東京スタイルの故高野義雄・前社長(享年75)、そして現在TSIホールディングスの会長兼社長とサンエー・インターナショナル会長を兼務する三宅正彦氏(77)をあげなければならないだろう。

三宅正彦氏

三宅正彦氏

 故人になった高野氏、現役を退いた馬場氏と違って三宅氏はいまだに現役。

 今年2月23日のTSIホールディングス及び東京スタイルの中島芳樹・社長の解任事件で、その健在ぶりをアピールした。

「高野社長から東京スタイルの将来を託された」と三宅氏は今回の事件を振り返る。

 今回の解任事件は、2009年8月30日の高野社長の急逝に端を発している。

 東京スタイルの中興の祖として権勢を振るった高野氏が、草場の陰で今回の事件をどう見ているのかと思うと胸が痛む。

 筆者にとっては昨年最もショッキング事件である。

 TSIの誕生は業界再編の先ぶれとして大いに注目された。

 かなり社風の異なる両社で、その点を危惧する向きもあったが、今回の事件の原因は社風の違いではなかったことは指摘しておきたい。

TSIホールディングス

TSIホールディングス

(Webサイト)

 今回の解任事件が、合併による業界再編の動きを萎縮させることになるかもしれない、という見方がある。

 各アパレルメーカーが長所を伸ばして、それぞれに生き残っていくというのは理想である。が、そうしたことが難しいほど状況はシビアなものになっている。

 来年以降も大型の合併&吸収が見られそうだ。

 さらに、12月21日には、神戸アパレルの雄であるジャヴァホールディングスの細川数夫・会長が71歳で急逝した。

 ジャヴァ・グループの創業者であり、ワールド並んで神戸ファッションを全国区にした功労者のひとりだった。

 同社の経営企画室の方によると一昨年に私が神戸本社で行ったのが、最後のインタビューだったとのこと。その直後に脳梗塞で倒れてリハビリを続けていたという。

 とにかく「愛」という言葉が話の中に頻出したが、それが嫌味なく自然に出た人だった。

 ひとつの時代が確実に終わったのをますます実感させた。

TSIホールディングス

故・細川数夫氏

(ジャヴァホールディングス会長)

 私の記者生活もちょうど30年になるが、最初の10年間は、大手アパレルの快進撃を見て、上記の巨人達の経営手腕を目のあたりにして今後のアパレル三国志がどうなって行くのか、想像をかき立てられたものだが、次の20年間で、日本のアパレル市場は激変した。

 改めて述べるまでもないが、1990年のバブル経済崩壊後、百貨店への卸売業務をメインにした上記のアパレルメーカーは、百貨店業態の衰退と軌を一にするように厳しい状況にさらされている。

 すでに80年代に勃興し急成長した青山商事、アオキインターナショナルに代表される郊外型専門店が百貨店の紳士服部門を侵食し続けたのに続き、90年代に入ってからはファーストリテイリング(「ユニクロ」)やしまむらなどのSPA企業が衣料市場で大きなシェアを獲得するようになった。

 さらに2008年9月に日本上陸を果たしたH&Mを始めとした海外SPA企業も同様にシェアを拡大。加えて、渋谷109から派生したギャル系SPAや原宿系カジュアルからスタートしたSPA企業も、500億~1000億円規模の企業に成長を遂げた。

 百貨店アパレルにとって、この20年間は、まさに専守防衛の20年間と言うこともできた。

Otto Collection

Otto Collection

(百貨店アパレル)

 チャネルを見ても80年代に高額消費をメインに成長した百貨店チャネルだったが、すでに90年代以降の主役は駅ビルを始めとしたSC(ショッピングセンター)に移っており、SPAブランドをテナントにして拡大を続けた。

 言わば、百貨店と百貨店アパレルはデフレ経済が進攻する中、SCとSPAの成長を横目にして茨の道を歩み続けている。

 百貨店アパレルが、現在の難局打破の施策として打ち出しているのは、①SCチャネルへの進攻、②中国戦略、③eコマースビジネスの本格化3本柱である。

 このうち、①SCチャネルへの進攻は長年の懸案であるがその歩みは遅々としたものであり、変化の激しいヤングマーケットを攻略している例は少ない。

 ②中国市場も赫々たる成果を出しているとは言えず今年の尖閣問題により一頓挫しているのは否めない。

 最も結果が出そうな施策と言えば、③eコマースということになる。SCチャネルが減速気味の現在、eコマースは唯一成長を続けているチャネルである。

マガシーク

マガシーク

(ファッション eコマース)

 特に、百貨店アパレルが得意とするミッシー・ミセス・シルバーを対象にしたeコマースは、高齢化が急速に進む日本では、大きな可能性が残されているように思える。

 このゾーンのeコマースビジネスに大きく経営資源や投資を裂くぐらいの徹底が望まれるのではないか。

 SPA化で大き遅れをとった百貨アパレルが有利に戦いを進められるとしたらこのビジネスではないかと思う。

                

(2013.2.1「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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