今年開場15周年を迎えた新国立劇場オペラパレスの2012-2013年シーズンのオープニングは、ブリテン作曲の歌劇「ピーター・グライムズ」だ。
(10月2日初日で5日、8日、11日、14日の5公演。詳細は上掲のフライヤー参照)
あまりポピュラーな演目ではないが、英国を始め欧米ではブリテンの代表作として上演される機会は少なくはない。
ブリテンは今年生誕100周年を迎えるので、このオペラ(1945年初演)は各地で上演されそうだ。
私は大学時代に英語の勉強を兼ねてブリテン指揮&ピーター・ピアーズ(題名役)のLPを聴いた覚えはあるが、実演を見たことがないので、出掛けてみようかと思っている。
たぶん、名作オペラの中で、この「ピーター・グライムズ」は最も救いようのないオペラだと思う。
そう書くと、ヴェルディのオペラでは、娘を誤って殺す道化師の父親を描く「リゴレット」を筆頭に救いようがないオペラが大半ではないかという意見が出そうだ。またワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」だってしかり。
さらに20世紀オペラでは、生体実験のモルモットにされ発狂して妻を殺すベルクの「ヴォツェック」以上に悲惨なオペラはないのではないかという意見もありそうだ。
反論すれば、それらのオペラでは、劇中に、少なくとも主人公の幸福な瞬間が描かれているか、幸福だった過去を連想させることがなにかしら描かれている。
たとえば、ヴォツェックには妻マリーとの幸福な過去があって、その愛の結晶としての子供が登場している。リゴレットしかり、オテロしかり、アイーダしかり、トリスタンとイゾルデしかり。
自分は本当に不幸だと思っている人間は自分の幸福だった時間を忘れているだけなのかもしれない。
しかし、「ピーター・グライムズ」にはそうした「幸福」を連想させることは一切描かれていない。
そうした意味で、全く特異なオペラである。ある意味では、主人公の漁師ピーターは、不幸、不運、悲惨、疎外感、貧困、不満、絶望といった要素を一身に身に背負ったきわめて抽象的な存在なのかもしれない。
よくこんなオペラが作曲できたものである。
音楽後進国のイギリスがヘンリー・パーセル(17世紀後半に活躍)以来久方ぶりに輩出した天才ブリテンの、ヨーロッパ大陸の音楽とは一線を画した異形の音楽と言えるかもしれない。
異形ではあるが、6つの間奏曲を含め、その夜明け、嵐、日曜の朝、海、霧、夕暮れを描いたオーケストラのパートが素晴らしく美しい。音楽的には、この6つの間奏曲がオペラを牽引する。
こうした構成は、前述したベルクの「ヴォツェック」(1925年初演)からの影響が大きい。若いブリテンは、ベルクに師事しようとしたこともあるから、当然かもしれない。
美しい間奏曲だけではなく、ピーターに対して無慈悲な村民たちを描いた音楽は暴力的なほど凄まじい。
第2次世界大戦後に初演されたオペラとしては、最も成功したオペラという一般的評価は間違っていないと思う。
この世に救いのない音楽を好む音楽ファンが大勢いるとは思えないが、この異形の音楽は一度体験するだけの価値があると思う。
自分は、もしかしたら、あるいは、どちらかといえば、「幸福」な存在であることを発見できるかもしれない。
(2012.10.10「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
|