先日、友人のMとカラオケに行った。
この友人Mとはもう40年近い付き合いだが、Mは2年前に酒を止めて以来(アル中病院退院後と言うべきか)、一滴も酒を飲んでいないという。
私と飲むときは、ノンアルコールビールとかジンジャエールとか炭酸水を飲んでいる。払いはワリカンだから、私には何の不満もない。
居酒屋で飲んだ後、珍しくMがカラオケに行こうと言う。私に異存があるはずもないが、シラフでカラオケする奴の気が知れない。
そこで、Mがビリーバンバンの「さよならをするために」を歌った。
ほう、こんなレパートリーがあったんだと聞き始めたが、そのうち懐しさでたまらなくなった。
Mは歌が上手いわけではないが、なんというか一陣の昭和の風が吹いたのである。もう完全に昭和の風である。
早弾きのギターの伴奏に続いてフォーク調の感傷的な旋律が続く。ただし、60年代の初期のフォークソングに比べ、メロディも歌詞も陰影が深い。
♪過ぎた日の微笑みを みんな君にあげる
夕べ枯れてた花が 今は咲いているよ
過ぎた日の悲しみも みんな君にあげる
あの日知らない人が 今はそばに眠る
温かな昼下がり 通りすぎる雨に
濡れることを 夢に見るよ
風に吹かれて 胸に残る想い出と
さよならをするために
グーグルで調べるとテレビドラマ「3丁目4番地」(1972年、日本テレビ)の主題歌だった。石坂浩二が詞を書いており、坂田晃一が作曲。
「3丁目4番地」では、その石坂浩二と浅丘ルリ子が主演で故原田芳雄、寺尾聡、故范文雀、森光子などが出演していたとある。
「白いブランコ」以来ヒット曲に恵まれなかったビリーバンバンの大ヒット曲(80万枚)だが、菅原兄弟の弟である進は、その当時のフォーク歌手らしく、自分たちの作詞・作曲ではないこの曲のレコーディングに難色を示したとある。
私にはなぜか高視聴率をマークしたとあるこのドラマの記憶がない。しかし、この歌には、同時代に青春を迎えていた者にしかわからない全面的な共感を覚える。
ちょっと意味が判然としない複雑な歌詞がまたいい。ビリーバンバンの「白いブランコ」の単純さに比べると歌詞・旋律ともに雲泥の差である。
1番の歌詞を引用したが、1番にも2番にもカタカナ言葉が一切ない。
この時代、大袈裟にいうと万葉集の時代から続く日本独自の「哀傷」という男と女の機微がまだ生きていたのだ。
「ヘビーローテーション」なんてわけのわからないカタカナ語が乱舞する平成という暗黒時代になって、やっとそのことが分かる。
「さよならをするために」は、たしかに名曲である。この曲には今でもカバーが多いのも頷ける。
いわゆる昭和歌謡という範疇に入るのだろうが、「歌謡」が本来持っている力は、少なくともこの平成の御世には失われてしまったのではないだろうか、とふと思う。
昭和のオジサンにとっては、今の「流行り歌」など騒音にしか聞こえないのだ。
滅多にないが、若い連中とカラオケに行くこともあるが、今後私がカラオケ代を払う場合は歌う曲は80年代まで、アンダー90のルールを徹底することにしよう。
それじゃ誰も付いて来ないだろうよ、と案じることなかれ。
寂しくヒトカラしようじゃないか。それが昭和というものさ。
(2012.9.15「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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