立川談志が11月21日死去した。75歳だった。
戒名は立川雲黒斎勝手家元居士(たてかわうんこくさいかっていえもとこじ)。最期まで人を食っていた。
落語界の異端児、風雲児、鬼才と新聞などの追悼記事で形容されているが、円生、志ん生、文楽、小さん志ん生などの「昭和の名人」に比肩する「平成の名人」という評価はない。
活動の範囲が落語に留まらず広かったためだろうが、いわゆる「名人」という呼称はたしかにふさわしくない。
もちろん落語は上手かったし、持ちネタも多かったが、昔風の「名人」ではなかった。人間国宝(故小さんや現桂米朝)になったり、天皇の前で御前落語を演じる(故円生)ようなタマではなかった。
「落語とは人間の業の肯定」が談志の持論だが、どの高座も反骨、皮肉、独善の談志色に染まるから、いわゆる「名人芸」を期待してもそれはなかなか叶えられなかった。
だから意外に「名演」は少なかったのではないか。自らそれを否定するようなところさえあった。
2007年12月18日読売ホールの「芝浜」を一世一代の名演とする意見があるが、そうは思わない。
「芝浜」は夫婦愛がテーマの人情噺だが、「俺だってやろうと思えばこれぐらいできる」という談志のドヤ顔が透けて見える。
落語家には自分のキャラクターにピッタリマッチしたネタというのが必ずある。
円生なら「死神」、志ん生なら「お直し」、文楽なら「愛宕山」、小さんなら「試し酒」、志ん朝なら「明け烏」といった具合にその十八番はその演じ手の風貌まで含めた人間性と乖離することはない。
では談志の場合はどうか。私は「居残り佐平次」か「黄金餅」をあげたい。
前者は品川の女郎屋で計画的に居残りを決め込んだ文無しの小悪党が最後は逆に店から金を巻き上げて揚々と引き上げる噺。
後者は小金を餅に混ぜて飲み込んで死んだ乞食坊主を火葬してその小金を手に入れる小悪党の噺。
いずれも嫌な後味の演目で人間の負の一面を描いた珍しい落語だ。
両方とも、永井荷風を気取ったのか貯金通帳と印鑑をいつも携帯していたという吝嗇家で小悪党を気取っていた談志にピッタリ。
不思議なことに後味も悪くないのだ。残念ながら両方ともDVDで視聴しただけだが。
私がその高座に実際に接したのは、2006年と2007年の2回だけ。
いずれも演目は「やかん」(亀有で聴いた2006年は「二人旅」も演じた)。晩年の談志が好んで演じた噺だ。
本来他愛のない前座噺だが、もちろん現代的な内容も盛り込んだ談志版の「やかん」である。
亀有では「本当は『鉄拐』やろうと思ってたんだけど」と言訳していた。
体調がすでに思わしくなく「鉄拐」のようなちょっとめんどくさい噺は避けたのだろうか。
「ほんと死にたいんだよ」がすでに口癖だった。
「後ろの方聞こえますか?」とか、「これ入場料5000円?高いな。落語なんて2000円、3000円払って聞くようなものでね」とかも言っていた。
2007年の高座は半蔵門の東京FMのホール。終わってから談志が自らエアチェックした映画のビデオをホワイエで販売していた。
1本100円!。物を捨てられないケチン坊がやることだ。
談志も現れて、立ち話だが私は映画の話を少しした。意外に人見知りするので驚いた。
その場でビデオを10本も買ってしまったが、いまだに1本も観ていない。談志の思い出として大切にとっておこうと思っている。
(2011.12.6「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)
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