リンク・セオリー・ジャパンの佐々木力(ちから)・社長が8月9日に急逝した。
通称はリッキー。60年の太く短い人生だった.。
女性週刊紙でも大きく取り上げられているが、その内縁の妻(前妻が離婚してくれなかった)は女優の萬田久子さんである。
死因はスキルス性の胃癌。
電話で訃報を聞いてびっくりした。なにせ6月末に六本木ミッドタウンで取材したばかり。
そのときは何も知らなかった。
「リッキーさん、ずいぶん痩せたね?」と尋ねると「鍛えているからね」と答えた。
強がりだったのか。まだ胃癌を自覚していなかったのか。とにかく30分だけではあったが、会ってくれた。
好調を噂される「セオリー」の真偽を確かめるのが取材の目的だったが「三浦さん、こんな時じゃないと現れないよなあ」とリッキーは笑っていた。
WWDジャパンで「リッキー佐々木のジェットコースター人生」という連載(2007年)をしてもらったこともあるが、付き合いは25年以上になる。
リッキーの谷も山も見てきた。
波乱に満ちたリッキーのジェットコースター人生もついに終点を迎えたというわけだ。
ファッション業界の裏も表も知り抜いた男がまた一人去った。寂しく悲しい。
「お客さん、もう終点ですよ。降りてください」と肩を叩かれたのはむしろ私の方かもしれない。
私がリッキーに初めて会ったのは、ワールドの最年少役員(35歳)として「シャンタル トーマス」との契約を締結した時の祝賀パーティ(85年12月)。
「これが業界で今話題のリッキーか」と精力に満ち溢れた風貌に見入ったものだった。
その後ワールドホンコン(WHK)の社長に就任。
ちょっと中だるみの時期に入る。
香港では色々とどろどろした動きをしていたようだ。
その頃リッキーは、WHKの子会社としてCSL(Cはカシミヤ、Sはシルク、Lはリネン)という会社もやっていて、その取材に千駄ヶ谷のオフィスを訪ねたことがある。
先客がいて、隣の部屋で聞き耳を立てると、リッキーは中国生産に関して訪問者(DCブランド「N」の生産担当M部長)に激しく注文をつけている様子だった。
中に通されてインタビューしたが、どうもリッキーの機嫌が悪い。
果ては、「WWDジャパン面白くないよ。変な国内記事やめて、全部NY版の翻訳にしたら」なんて言い始めた。
取材後ほうほうの体で退散したのを覚えている。(以下次号)
(2011.9.1「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)
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