「windblue」 by MIDIBOX


(前号から続く)

 そもそもコラボレーションにはどういう効能があるのか?

 マーケティングの本に書いてあるように、お互いの弱点を補強し1+1が3になるような相乗効果が得られるケースはそうそうあるものではない。

 ランカスター理論ではないが、2者のコラボによるメリットはそれぞれの企業の売り上げの2乗に比例なんていうケースが多いのではないだろうか。

 たとえばH&Mとコムデギャルソンがコラボすれば、そのメリットはほぼH&Mに吸収されてしまう。

 先ごろ発表された「ユニクロ」と「アンダーカバー」のコラボも同様であろう。

ユニクロ×アンダーカバー

ユニクロ
×
アンダーカバー

 ファストファッションとコラボすることで失うブランドのプレステージや独立性のほうが大きいような気もする。ではなぜ?

 ひとつには、やはり半端ではない契約料だろう。

 人様の懐具合を云々するような愚は冒したくないが、もちろん億単位でなければ、OKはしないのだろう。

 パリコレ費用や社員のボーナスぐらいにはなるかもしれないが。

 ことほど左様に同業種間のコラボはなかなか難しい。

フィアット500×グッチ

フィアット500
×
グッチ

 これが異業種間のコラボとなると話は別だ。

 最近だと「グッチ」と「フィアット500」(フィアット・グループには、「アルファロメオ」、「マセラッティ」、「フェラーリ」などの超高級車があるにもかかわらず「フィアット」、それも「フィアット500」なのはフリーダ・ジャンニーニの「グッチ」を考える上でのひとつのヒントになるかもしれない)。

 ちょっと前だと「アルマーニ」と「メルセデス」や「エスカーダ」と「メルセデス」などなど。

 とくに前者(2005年に「ベンツCLK」1200万円、世界で100台限定)はコラボとしてこれほどドンピシャなコラボもなかったと思う。

 かつてあるラグジュアリー・マーケティングの研究家にインタビューしたときも「異業種間のコラボ、それもそれぞれの顧客を大規模に交流させるようなコラボは今後大いに有望」と話していた。

ベンツCLK

ベンツCLK

 さて本題に戻ろう。

 コムデギャルソン社のように、時代の動きに敏感で常に時代をリードしようという意欲に溢れたファッション企業がこれほどコラボに御執心なのだから、これはある意味では、サンプリング&リミックスと並ぶ現代ファッションの一大潮流なのではないかと思えてくるのである。

 簡単に言ってファッションの分野ではそうそう真の意味で「新しいもの」は出なくなった(非技術系の分野ではほとんどがそうではあるが)。

 というか、もうほぼギブアップなのではないか。

 かつてのヒット作を現代に蘇らせたり、他人のイイトコをつなぎ合わせたりするサンプリング&リミックスは有力な現代のコレクションの手法になっている。

 そのかなりが「ああ、どっかで見たな」なのである。

 そしてこれと並んで「新しさ」を生み出す有力な手法が「コラボ」というわけなのだろう。

 これはサンプリング&リミックスの曖昧さ=匿名性に比べると正々堂々と双方の名入りで「新しさ」を主張できる手法である。

DDP×コムデギャルソン

DDP
×
コムデギャルソン

 今回のDDPとのコラボは、人気廃盤の復刻というDDPのコンセプトにコムデギャルソンが上手く乗った印象をうける。

 定番化を拒絶して毎シーズン「新しさ」を追求するのがギャルソンのクリエイションの根幹にあるが、復刻しても「新しさ」を失わないと思える廃盤があるという判断があったのだろう。

 ギャルソンはそうした意味ですでに半ば「ブランド」化していると言えなくもない。それはデザイナーズ・ビジネスが生き残る上での必然の道かもしれない。

                

(2011.8.18「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)


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