「windblue」 by MIDIBOX


20世紀の音楽を代表する作曲家で指揮者でもあったピエール・ブーレーズ(1925~2016)が3年前亡くなった時に誰かが書いていたが、彼はある時期就寝前にモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」のスコアを数ページ必ず読んでから眠りについたという。

 「オペラ座を爆破せよ」と書いた現代音楽の闘士ブーレーズが、「ドン・ジョヴァンニ」のスコアをナイトキャップ代わりにしていたというのがなかなか意味深である。それだけこの音楽は怖いものを内包している。

「ドン・ジョヴァンニ」騎士長殺害が物語の発端

(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)

 モーツァルトの4大オペラの中で、「ドン・ジョヴァンニ」は「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」などのオペラ・ブッファやフリーメーソン色の強い歌芝居の「魔笛」などとは一線を画していて、飛びぬけて異形の音楽だ。

 愉悦、愛、嫉妬、嫌悪、疑惑、憎悪、恐怖、死、暴力、反逆といったテーマが描きつくされていて、音楽は一瞬のうちにこれらのテーマが交代する。

 また主要6役(マゼットと騎士長も入れると8役)はアリアの難しさに加えて演技力もかなり要求されて、歌手を得ないとなかなか満足する上演には当たらない。

 今回の新国立劇場の上演は、アサガロフの演出としては2008年以来4回目の公演だ。私はこの演出で3回目観ているが、今回は主要6役が揃って見事で、実に満足度の高い上演だった(5月17日初日所見)。

 まずドン・ジョヴァンニ役のウリヴィエーリがいかにも好色な貴族という感じの声と姿ではまり役。ドンナ・アンナ役のケルケジ、ドン・オッターヴィオ役のガテルは、いずれも惚れ惚れするような美声で歌唱も素晴らしかった。

「ドン・ジョヴァンニ」脇園彩(左)が見事な歌唱

(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)

 最大の注目は、ドンナ・エルヴィーラ役のメゾ・ソプラノの脇園彩(わきぞのあや、30歳)。ヨーロッパでの勉強、修行が長かったが、最近頭角を現し同地の歌劇場で主役を歌い始め、新国立劇場初登場。声が練れていて、よく通り、アジリタも見事。演技も体当たりで説得力があり、見事なデビューになった。

 4月の「フィレンツェの悲劇」でもヨーロッパで活躍する齋藤純子が同劇場デビューしたが、ヨーロッパの歌劇場での活躍が長い大野和士・芸術監督の人脈がこうしたヨーロッパで活躍する日本人実力派歌手の紹介につながっているようだ。

 ついでに書くと、同劇場のオーケストラ・ピットも大野体制になってからレベルアップしている。大野監督は「紫苑物語」(2月)で指揮しただけだが、それだけでも効果があるものなのか。

 今回のヤヌシュケ指揮の東京フィルもきれいごとではない迫真のモーツァルトだった。

「ドン・ジョヴァンニ」騎士長の石像が
ドン・ジョヴァンニを地獄へ

(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)

 このヤヌシュケは同劇場初登場だが、主要6役中、ツェルリーナ(九嶋香奈枝)を除いては、5人がやはり同劇場初登場だったが、アンサンブルも及第点で、とにかく満足度の高い「ドン・ジョヴァンニ」だった。

 ただし、公演初日のためか冒頭のレポレッロ(ドン・ジョヴァンニの従者)のアリアで最初の「夜も昼も」が完全に「飛ぶ」というアクシデントがあってヒヤリとした。

 モーツァルトのオペラは、いわゆるオペラ初心者を中心に人気演目なのだろうが(この公演初日は平日の18時半開演なのに満員)、今シーズン(「魔笛」「ドン・ジョバンニ」)のように、シーズン2作品上演なら片方は新制作が絶対条件だろうし、同じ演出なら今回のように高水準の上演でないと中級者以上の本当のオペラファンは納得しないだろう。

                

(2019.6.7「岸波通信」配信 by 葉羽&三浦彰)

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