昨年10月に就任した新国立劇場オペラ部門の大野和士・芸術監督が強化課題のひとつにしているのがダブルビル(1幕ものオペラの2本立て公演)。1幕オペラの公演時間は大体1時間だし、休憩は1回で済むから、結構歓迎する向きも多そうだ。
かく言う私は、ダブルビルでは「道化師」「カヴァレリア・ルスティカーナ」しか観たことがない。ヴェリズモ・オペラの血なまぐさい2本立てで、もう少し組み合わせを考えてほしいと毎回思っている。
今回、新国立劇場で観たのはツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」とプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」の二本立て(4月10日)。
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「フィレンツェの悲劇」(右端は73歳のバリトンのレイフェルクス)
(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
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2本ともフィレンツェが舞台の悲劇?と喜劇で、それぞれ完成が1917年と1918年と近い。
私が、大いに楽しみしていたのは「フィレンツェの悲劇」の方。ツェムリンスキーというと「抒情交響曲」と交響詩「人魚姫」が有名だが、いまひとつ旋律の魅力に欠ける作曲家だと思っていた。こういう作曲家なのにオペラを結構作曲している。
この「フィレンツェの悲劇」はオスカー・ワイルドの原作で、登場人物は生地の行商人(レイフェルクス)とその妻(齋藤純子)、そしてその妻と不倫する貴族(グリヴノフ)の3人だけ。
グリヴノフと齋藤純子がなかなかいい歌唱だった。ほぼ歌いっぱなしの73歳のロシアの名バリトンのレイフェルクスは抑え気味に歌い出していたが、なかなか調子が上がらず、今一つの出来だった。
ワーグナー風、マーラー風、R・シュトラウス風の音楽はなかなか聞かせるが、やはり「魅力に溢れる」とはちょっと言えない。一流と超一流の違いだろうか。
最近、生前はもちろん、今世紀に入っても不遇のツェムリンスキーの再評価が進んでいるというが、どうなのだろうか。
後半の「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニの唯一の喜劇だが、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演されたこともあり、ミュージカル的というか映画的というか、非常に軽くて耳になじみやすい演目だ。
まずテーブルの上の調度品を巨大化させて人間を小人に見せる傾斜舞台(横田あつみ)が実にユニーク。ジャンニ・スキッキ役のカルロス・アルバレス(52歳)以外は日本人歌手だったが、なかなか健闘していた。
しかしアルバレスが歌、演技ともに上手すぎて、引き立て役になってしまった。聞けば、アルバレスはジャンニ役を歌うのは初めてらしいが、見事なものだ。
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「ジャンニ・スキッキ」(中央が52歳のバリトンのカルロス・アルバレス)
(撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場)
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このオペラは、ジョヴァッキーノ・フォルツァーノが、ダンテの「神曲/地獄篇」のあるエピソードを台本化したものだが、なかなかよく書けている。原作者ダンテも追放される前はフィレンツェで活躍した。
今でも、フィレンツェを始めトスカーナの人間はケチでコス辛いというのは、よく現地で笑い話になるが、フィレンツェに近いルッカ生まれのプッチーニは、どうだったのだろうか。
個人的には、「ピッティ・ウオモ」という世界最大のメンズウエア見本市がフィレンツェであり、4度ほど取材で行っている。その際に、ラウレッタとリヌッチョの二重唱でも歌われている丘陵地帯のフィエーゾレの屋外劇場でオペラ「フィガロの結婚」を観たことがある。
その時、舞台が客席の方に倒れてきて、かぶりつきで観ていた私は、あわや大怪我というハプニングがあった。今となっては懐かしい思い出である。
しばらくフィレンツェには行っていないが、あのビステッカ・フィオレンティーナをトスカーナ・ワインとともに食べる至福をもう一度味わいたいものである。
(2019.5.27「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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