安部兼章が6月25日に死去していた。享年57。
数年前に、酒浸りが原因で寝たきりになっているというような噂を聞いていたので、ついに来るべきものが来たという感じだが、同年代ということもあってショックだった。
私には、訃報を記録しておくという変な習性があり、同年代の有名人の死はヒトゴトではない。
今年の点鬼簿では、ギタリストのゲイリー・ムーア(58)、オペラ歌手のヴィンツェンツォ・ラ・スコラ(53)、デザイナー西田武生の長男の西田旬良(52)、田中好子(55)、オサマ・ビン・ラディン(54)、セーラ・ロウエル(50)など。
このほかにも私的な訃報もあり、齢60を前にした死は、平均寿命が80歳を越える現代ではやはり早すぎる。
それにしてもケンショウ(こう書く方がしっくりくる)は、なんであんなに酒に溺れたのだろう。
ウイスキーをストレートでがぶ飲みしてベロベロになった彼の姿を目撃したことがあるが、アル中といってもいい常軌を逸した飲酒だった。
ケンショウは80年代の東京コレクションの大スターだった。
初代プレスの浦野たか子によれば、東コレのシンボルだった代々木テントに1500人の観客を動員し、さらに数百人が入れなかったという。
1回のコレクションに5000万円かけ、うちサンプル代が3000万円。
いかに80年代のDCブームが凄まじかったかがわかる。
ケンショウはレナウンで「シンプルライフ」の外部デザイナーをしていたのを、野村の故野村直晴社長(この人も50代で亡くなった)に見出されて、デビューした。
野村では大成功していた島田順子ビジネスに続く存在にしたかったようだ。
デビュー後3、4年は破竹の快進撃で年商も30億円はあったはず。
しかし、バブル崩壊でビジネスは急激に悪化し、スキーショップのアルペンに経営移管。
このあたりから、ケンショウの痛飲が度を越すようになったのではないかと私は推測する。
一度大きな成功を味わった者は、その夢がなかなか忘れられないものだろう。
ケンショウは中央大学法学部を卒業後に文化服装学院に入ったある意味インテリデザイナーだった。
インテリであるが故に、成功が忘れられないと同時に、もう二度とその甘美な成功を手にすることはないのをよく知っていたのだろう。
悲しい、悲しすぎる。
やはり酒でしくじったガリアーノを持ち出していつものようにデザイナーという現代の悲しい商売のことを語る気にもなれない。
せめて80年代の日本のファッション界の大スターの冥福を祈ろう。
(2011.7.22「岸波通信」配信 by
葉羽&三浦彰)
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